前回のブログ記事でナルディの双胴ルマンカーNardi Bisiluroを紹介しましたが、ほぼ同時期にスペインにもPegaso Z-102 Bisiluroという双胴マシンが存在しました。また、これらペガソのレーシングマシンを運搬するトランスポーターも大変ユニークな良い形をしています。
今回は、これらスペインの至宝ペガソのレーシングマシンとトランスポーターをご紹介したいと思いますが、ペガソのレーシングマシンの話をするには、まずはミッドセンチュリー期のスペインに突如として現れ消えていった、超弩級スーパースポーツカーPegaso Z-102から話を始めないといけません。
戦前のスペインには、イスパノ・スイザ(Hispano-Suiza )という有名な高級車・航空エンジンメーカーがありましたが、戦後同社の工場や生産設備、スタッフを受け継いで国営の商業車製造会社ENASA(Empersa Nacional de Autocamiones S. A.)が設立され、トラックやバスの製造を行っていました。
ENASAの代表であるウィフレート・リカルト(Wifredo Ricart)は戦前のアルファロメオで設計部門を統括していた人物ですが、彼がスペインの威信をかけてPegasoの名で(Pegasoはスペイン語でペガサス=天馬)世に送り出したのが、1951年のパリ・サロンでデビューしたZ-102です。
Z-102は、オールアルミ、ドライサンプのV8ツインカムエンジン(2.5L、2.8L、3.2L)、トランスアクスル、ド・ディオンリアサスペンション、進歩的なプラットフォームシャシー等々、コストを度外視してリカルトのエンジニアとしての理想を追求した車で、ディチューンしたGPレーサーにロードカーのボディーを被せたようなスーパーカーでした。
こうした凝りに凝ったエンジンやシャシーに、カロッツェリア・ツーリング(Carrozzeria Touring)やフランスのソーチック(Saoutchik)などのコーチビルダーが腕をふるったアルミボディーを架装し、純銀製のエンブレムや象牙のシフトノブ等で飾ったPegaso Z-102は、当時R-Rシルバー・レイスが$19,000、キャデラック・エルドラドが$13,000であった時に$29,200もした超高価な車でした。
日本にも、かつて川本 稔さんという愛好家所有の1954年製Z-102B Berlinetta Touringが生息しており、CGの1978年7月号やSuper CG No.34(1996)で紹介されていたので、古くからのCG読者なら記憶に残っているかもしれません。
ペガソの顧客リストには王侯貴族や富豪のスポーツマンなどが名を連ねてはいましたが、キャデラックの倍以上の値段のGPレーサーに近い複雑で非実用的な2シーターでは販売台数はおのずと限られたものとなり、ENASAは1958年に乗用車の生産からは完全に撤退しました。1951年から58年までに生産されたZ-102はわずか86台といわれています。
その後もENASAはPegasoの名でバスやトラックの生産を続け、現在はフィアットの商用車部門イヴェコ(Iveco)の傘下に入っています。
前置きが大変長くなりましたが、レースにも意欲を燃やしたペガソは先ず1952年のMonaco GPに2台のZ-102を送り込みましたが、プラクティス時に発生したトラブルのためレースには出走しませんでした。
その年のルマンにも車の準備が整わず、国内のヒルクライムレース等である程度の成績を残すに留まりました。
Pegaso Z-102, #54 Palacios/Jover, Monaco GP 1952
1952年のモナコGPにエントリーした2台のZ-102の内の1台を再現した、スペインDaz Hobby製の1/43ミニカーです。レトロな形がなかなかイイですね。
翌1953年のルマンの為に、2基のスーパーチャージャーで過給された2.5Lエンジンを搭載した特異な双胴シングルキャノピーのZ-102 Bisiluroを2台準備しましたが、不運にも工場の火災でダメージを受けたため、実際のレースにはコンベンショナルな形態のZ-102 BS/2.8 Touring barchetta(2.8Lスーパーチャージャー1基)が2台出場しました。
しかし、またまたペガソの上に不幸が襲いかかり、ワークスドライバーのJuan Joverがプラクティスで大クラッシュして重傷を負ったため、チームは本戦に出場せず引き揚げました。
唯一ペガソが見せ場を作った、翌1954年のカレラ・パナメリカーナでも、一時はトップのフェラーリを追い上げて3位に付けながらまたまた大クラッシュを演じてリタイアとなってしまい、国際レースでは目立った成績を上げることなくペガソのレース活動は終わってしまいました。
Pegaso Z-102, #28 Joaquin Palacio Pover / Pablo Julio Reh Cardona/ Celso Fernandez, Le Mans 24h 1953
1953年のルマンには、プラクティスで大クラッシュしたJoverの#29号車とこの#28号車がエントリーしました。
この1/43ミニカーは、スペインのKit Car 43というショップが制作した大変珍しいものです。
1954年のカレラ・パナメリカーナに出場したJoaquin Palacio Pover /Celso Fernandez組の#10号車の実車写真です。
ルマンの為に開発されながら使われることなく終わってしまった前述の双胴マシンZ-102 Bisiluroは、速度記録車として1953年にベルギーJabbekeの公道を使ったトライアルに参加しましたがエンジントラブルのために記録達成は成らず、代わりにルマンで使用されたZ-102 BS/2.8 Touring barchettaを駆るCelso Fernándezによって、1km平均速度243.079 km/hを始め、ジャガーXK120が持っていた記録を破る4つの国際速度記録が達成されました。
Z-102 Bisiluroの実車写真です。
こちらは最近製作されたレプリカですが、NardiのBisiluroと異なりパワートレインは通常のFRの配置のままで、左側胴体にはルマンに出場するためにレギュレーション上必要なパッセンジャーシートが配置されているようです。
Pegaso Z-102 Bisiluro, 1953
Bizzareから発売されているZ-102 Bisiluro の1/43ミニカーです。
Jabbekeで速度記録を作ったCelso FernándezのZ-102 BS/2.8の実車写真です
私は持っていませんが、Kit Car 43から1/43ミニカーも発売されています。
こうしたZ-102レーシングカーを運搬するトランスポーターは、ENASAのZ-401バスシャーシーを流用して自社製作したものを使用していましたが、その流線型の特異な形状からBacalao(スペイン語で魚のタラ)と呼ばれていました。
なんとも良い形をしていて、私の最も好きなトランポの一つです。
運転席はエンジンの真上の中央に配置されています。
うれしいことに、スペインのHispania Modelsという今まで聞いたこともないメーカーが1/43ミニカーにしてくれました。
後ろのハッチも開閉でき、非常に素晴らしい仕上がりです。