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Rosso Alfaのブログ一覧

2021年05月04日 イイね!

ドライバーフィギュアの世界 Part 9(真の1982年F1チャンプ ディディエ・ピローニ)

ドライバーフィギュアの世界 Part 9(真の1982年F1チャンプ ディディエ・ピローニ)

お籠りGWを利用して、前回のエレ・ニースに引き続いてネタを仕込みましたので連チャンでアップ致します。
Part 9のテーマは、1982年の不幸な事故が無ければ、アラン・プロストよりも前にフランス人初のF1チャンプに輝いていたであろう悲運のレーシングドライバー、ディディエ・ピローニです。


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ディディエ・ジョゼフ-ルイ・ピローニ(Didier Joseph-Louis Pironi 1952~1987年)は、レーサーだった異母兄の影響で20歳からレース活動を開始しました。
エルフのバックアップを受けてフォーミュラ ルノーに参戦したピローニは、1976年にフォーミュラ ルノー欧州選手権のチャンピオンになりました。
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また同年のルマン24時間レースにもクレーマーレーシングから初参戦し、Porsche 934で総合19位、GTクラス4位の成績を収めました。
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翌1977年はヨーロッパF2選手権に参戦し(シリーズ3位)、またモナコGPの前座として開催されたF3レースで優勝し、F1関係者の注目を集めます。
この活躍とエルフの後押しにより、翌1978年にTyrrellからF1デビューが決定しました。

モナコGPのF3レースで優勝したピローニのMartini Mk.21/Toyota。
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同年のルマンにもRenault A422で参戦しました(結果はDNF)。

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1978年のF1デビューシーズンは、Tyrrell 008で第2戦のブラジルGPで早くも6位入賞を果たし、これを含めて5位2回、6位3回入賞して年間ランキング15位でシーズンを終えます。
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この年もルマンにRenault A442Bで参戦しますが、Didier Pironi/Jean-Pierre Jaussaud組の2号車がルノー悲願のルマン初優勝を果たします。

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翌1979年も引き続きTyrrellからF1に参戦します。
Tyrrell 009の戦闘力不足に苦しみながらも、第6戦ベルギーGPでの初表彰台(3位)を含め、3位2回、4~6位各1回で前年度を上回るランキング7位でシーズンを終えました。
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翌1980年は、リジェからのオファーを受けて移籍しますが、競争力のあるLigier JS11/15を得て第5戦ベルギーGPで初優勝を果たすなど活躍し、8度の入賞(うち初優勝をはじめ表彰台5回)・2PP・2FL、ランキング5位でシーズンを終えるという飛躍の年になりました。

チームメイトのジャック・ラフィーとの2ショット。
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リジェの総帥ギィ・リジェと何やら真剣に話し込むピローニ。
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ピローニが駆るLigier JS11/15。
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この年のルマンはBMWフランスチームからBMW M1で参戦し、総合14位、IMSAクラス3位に入賞しました、
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翌1981年は、前年の活躍が評価されフェラーリに迎えられジル・ヴィルヌーブとコンビを組むことになりますが、フェラーリ初のターボカー126CKの熟成不足に苦しみ、4位1回、5位3回、ランキング13位の不本意な成績に沈みました。

エンツォ・フェラーリと写真に納まる、ヴィルヌーブとピローニ。
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ピローニの駆るFerrari 126CK
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運命の1982年もフェラーリ―でF1シーズンを迎えます。
大幅に戦闘力が向上したニューマシン126C2を駆って、第4戦サンマリノGPでフェラーリ移籍後初優勝を遂げますが、後続を大きく引き離してヴィルヌーブとピローニが1・2体制になった時にピットから出た“SLOW”のサインを見て、チームオーダーが出たと思ったヴィルヌーブをピローニが最終ラップでパスして優勝したことでヴィルヌーブが大激怒。チーム内に険悪なムードが漂います。

続く第5戦ベルギーGPで、予選2日目終了直前にピローニが自分のタイムを上回ったことを知ったヴィルヌーブは急遽タイムアタックに再出撃しますが、スロー走行中のヨッヘン・マス車に追突し、シートごと地面にたたきつけられて死亡してしまいます。
タラレバの話になりますが。前戦でのピローニとの確執がなかったらこの悲劇は起きなかったかもしれません。

ヴィルヌーブ亡き後、ピローニは好調を維持し続け、第11戦フランスGP終了時点では9ポイント差でランキングトップに位置していましたが、第12戦ドイツGPで今度はピローニ自身に不幸が襲い掛かります。
豪雨で視界不良のホッケンハイムリンクの土曜日午前中のフリー走行中、直線で280km/h位のハイスピードで走行中のピローニ車が、アラン・プロストのルノーの後輪に乗り上げて宙を舞い、地面にたたきつけられて大破した車に押しつぶされて両足を複雑骨折する大怪我を負ってしまいます。
結果的に1982年シーズンは、Williams FW08に乗るケケ・ロズベルクにチャンピオンの座を奪われ2位で終わりました。

ヴィルヌーブとピローニのツーショット。
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ピローニの駆るFerrari 126C2.
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ドイツGPの事故でクラッシュしたピローニ車。
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事故後F1への復帰を模索しつつパワーボートレースの世界に進出したピローニですが、1987年のパワーボート世界選手権の最中に高速で転覆し、クルー2名とともにあの世に旅立ってしまいました。合掌
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ピローニの1/18スケールフィギュアは、Le Mans Miniatures社から素晴らしい出来のものが発売されています。
最近の同社のフィギュアは、本人の特徴を非常にうまくとらえているものが多いのですが、これもピローニそっくりです。
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1978年のルマンでルノーに悲願の初優勝をもたらした、Renault A442B #2(Norev製)と並べてみました。
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1980年のルマンにBMWフランスから参戦したBMW M1 #83(Minichamps製)と並べてみました。
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ピローニというとやはりFerrari 126C2というイメージなので、GP Replicas製の126C2と並べてみました。
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1982年というとエンツォももう84歳の高齢なので、こんな光景は現実にはなかったかもしれませんが、Scale Figures社製のエンツォのフィギュアと一緒に並べてみました。

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このシリーズは過去にこんな記事をアップしていますので、ご興味のある方はお暇なときにご覧ください(表題をクリックすると記事にリンクします)


ドライバーフィギュアの世界Part 1 (1/18スケール その1)
ドライバーフィギュアの世界Part 2 (1/18スケール その2)
ドライバーフィギュアの世界Part 3 (1/18スケール その3)
ドライバーフィギュアの世界Part 4 (1/12スケール)
ドライバーフィギュアの世界Part 5 (伝説のアルファドライバー タツィオ・ヌヴォラーリ)
ドライバーフィギュアの世界Part 6 (史上最高のドライバー ファン・マヌエル・ファンジオ)
ドライバーフィギュアの世界Part 7 (フライング・スコット ジム・クラーク)

ドライバーフィギュアの世界Part 8 (ブガッティの女王 エレ・ニース)

2021年05月01日 イイね!

ドライバーフィギュアの世界 Part 8 (ブガッティの女王 エレ・ニース)

ドライバーフィギュアの世界 Part 8 (ブガッティの女王 エレ・ニース)

4年ぶりにアップするドライバーフィギュアの世界は、1930年代の数々のレースで男性に混じって活躍したフランスの女性レーシングドライバー エレ・ニースをご紹介します。




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エレ・ニース(Hellé Nice 1900~1984年)本名マリエット・エレーヌ・ドラングル(Mariette Hélène Delangle)は、1900年にパリの南西70kmにあるオネ・ス・オノーという小さな村の郵便局長の娘として生まれました。
16歳の時にパリに出たエレーヌ・ドラングルは、当初は画家のヌードモデルなどで生計を立てていましたが、次第にダンサーとして頭角を現し、有名クラブや劇場で売れっ子ダンサーとして活躍するようになります。エレ・ニースという芸名もこの頃から名乗るようになったようです。
この写真を見ると、かなりセクシー系のダンスのようですね(^-^;
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売れっ子ダンサーとして華やかな生活を送っていたエレ・ニースですが、1929年の初めにスキー中の事故で、ダンサーの命というべき膝の軟骨を痛める大けがを負ってしまいます。
このケガでダンサー生命を絶たれてしまいますが、スリルと華やかな世界を求める彼女が次に向かった先は、当時フランスで盛んになってきた自動車レースの世界です。

彼女のドライバーとしての才能と宣伝価値に目を付けたブガッティからのオファーで、ブガッティの本拠地モルスハイムで特訓を受けたエレ・ニースは、1929年12月にモンレリーの高速周回路で速度記録に挑戦し、10マイル平均194.266km/h(ベストラップ197.7.8km/h)の女子世界新記録を達成し一躍時の人となります。

エレ・ニースの初レース、第3回レディース自動車デーGP(1929年6月)で見事優勝を遂げた後、オメガ シックスの運転席でお化粧直しをするエレ・ニース。
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1929年12月、速度記録挑戦に臨む直前のエレ・ニースと2L過給機付きBugatti T35。
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この後、愛車Bugatti T35Cを駆って数々のGPレースやヒルクライム、ラリーなどで活躍します。

1930年6月にル・マンのサルト サーキットで開催されたブガッティGPに出場したエレ・ニース。
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同レースで3位に入賞し、エットーレ・ブガッティの息子ジャンから祝福を受けるエレ・ニース。
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1931年8月、雨のグルノーブルGP(7位)でずぶ濡れのエレ・ニース。
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1931年8月、コマンジュGP(サン・ゴタン サーキット)において9位でゴール後、得意満面でカメラに向かってポーズをとるエレ・ニース。
後述する彼女の伝記“The Bugatti Queen”の表紙にも使われている有名な写真です。
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Bugatti T35Cの戦闘力に陰りが見られた1933年シーズン途中からはアルファロメオにスイッチし、ブルーとライトブルーのツートーンに塗られたAlfa Romeo 8C 2300 Monzaを駆って活躍します。

1934年6月、VIII ADAC Eifelrennen (ニュルブルックリンク)に出場したエレ・ニースと8C 2300 Monza。
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半袖に付いたリボンが彼女のトレードマークです。
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1935年8月、コマンジュGP(7位)のレース前にポーズをとるエレ・ニースと8C 2300 Monza。
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この時期のエレ・ニースは、スターティングマネーだけで1レース当たり現在の価値で10万ドルを稼ぐスタードライバーであり、EssoやLucky Strikeなどからの広告収入もあって、豪奢なアパートメントに住み、超高級車のイスパノ・スイザを乗り回わし、華麗な男性遍歴を繰り広げるといった人生の絶頂期にありましたが、1936年に大きな不幸が彼女に降りかかります。

7月にブラジルで開催されたサンパウロGPに出場したエレ・ニースは、ブラジルの英雄デ・テッフェを追って3位で最終ラップの最終コーナーを立ち上がった所で突然コース上に転がり出てきた藁のバリアにぶつかりコースアウトしてしまいます。
コントロールを失った車はコースにはみ出さんばかりに詰めかけた観衆をなぎ倒し、40人が死亡し34人が病院で手当てを受ける(内6人はその後死亡)という南米レース史上最悪の事故を引き起こしてしまいます。
車から放り出されたエレ・ニースは昏睡状態で病院に運び込まれましたが、地面にぶつかる前に警備中の警官にぶつかったことが幸いして(その警官は死亡)一命をとりとめます。

サンパウロGPでの事故の瞬間の写真。
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昏睡状態で救助されるエレ・ニース。
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ぐちゃぐちゃになったエレ・ニースの8C 2300 Monza。
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この事故は彼女のミスによって引き起こされたものではないため、却って彼女には同情が集まり、ブラジル政府からも多額の賠償金を受け取ったようです。
事故の傷が癒えた後も、ミッレ・ミリアやトリポリGPなどへの出場を目指して活動した様ですが、彼女をスポンサーしてくれる所はなく、戦争が始まるまでの目立った活動としては1937年5月にモンレリーの高速周回コースで実施された耐久速度記録トライアル程度しかありません。

このトライアルは、Yaccoオイルが自社オイルの宣伝の一環として企画したもので、女性だけの4名のチームで10日間に渡って昼夜兼行で走り続けるという過酷なトライアルです。
エレ・ニースはチームの一員として参加し、10日間の平均速度139.99km/hをはじめとする10個の世界記録と15個の国際記録の樹立に貢献しました。

Mat-Ford V8の運転席に座るエレ・ニースとヤッコ・トライアルチームの面々。
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長い戦争もやっと終わり、またレース界に復帰しようとしたエレ・ニースに人生最大の不幸が降りかかります。
1949年1月に開催されたモンテカルロ・ラリーの歓迎晩餐会の席上、エレ・ニースのかつてのチームメイトでもあった名ドライバー ルイ・シロンから、「ゲシュタポの手先だった女が何故ここに居るのだ?」と公然と罵倒されます。
これは事実ではなく濡れ衣だったようですが、一度付いてしまった「ナチスの犬の売国奴」という汚名が簡単に消えることはなく、レース界からも追放され、一緒に暮らしていた年下の愛人が投資に失敗して財産も失い、愛人も去っていき、人生がどんどん暗転していきます。

晩年のエレ・ニースは、ニースの旧市街の港の裏にある安アパートに一人ぼっちで暮らし、慈善団体の援助に頼る困窮した生活の中で、1984年に地元の病院で誰にも看取られることなく寂しく世を去りました。
以前から母親や姉との折り合いが悪かった彼女の名前は、ドラングル家の墓石にも刻まれていません。

こうしてエレ・ニースの名前もその功績も人々の記憶から消え、歴史の中に埋没してしまっていましたが、2004年にミランダ・シーモア(Miranda Seymour)によって彼女の伝記“The Bugatti Queen”が刊行されて、戦前に第一線の男性ドライバー達と同じ土俵でハンディキャップなしに戦っていた勇敢な女性ドライバーが居たということが再発見され、その功績が見直されています。
二玄社から和訳版も刊行されていますので、もっとエレ・ニースのことを知りたい方はご一読ください。
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エレ・ニースの1/18スケールフィギュアは、Scale Figuresというロシアのメーカーから素晴らしい仕上がりのものが発売されています。
このメーカーは最高品質の1/18スケールフィギュアを多数販売しており、以前からその存在は知っていたのですが、一般のミニカーショップでは扱っておらず、ロシアのメーカーということもあって入手ルートが分からず今日まで至っていましたが、やっと入手ルートを開拓したので数体購入してみました。今回の記事を書く気になったのもこの素晴らしいフィギュアを手に入れることができたからです。

前述の伝記の表紙にも使われている、1931年8月に開催されたコマンジュGPレース後の写真に写っているエレ・ニースを再現したものですが、得意の絶頂にある彼女の姿を完璧に再現しています。
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CMCから発売されている、これまた完璧な仕上がりのBugatti T35に乗せて、コマンジュGPの写真を再現してみました。
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彼女が乗っていたAlfa Romeo 8C 2300 Monzaの1/18スケールミニカーはどこからも発売されていませんが、CMCあたりに是非エレ・ニース仕様もモデル化してもらいたいものです。
私は私有していませんが、1/43スケールではMG Modelから発売されています。
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このシリーズは過去にこんな記事をアップしていますので、ご興味のある方はお暇なときにご覧ください(表題をクリックすると記事にリンクします)

なお、赤字のヌボラーリの記事については、その後もっと出来の良いフィギュア―を入手したので写真を撮り直して加筆した改訂版です。一度ご覧になった方も再度ご一読ください。
ドライバーフィギュアの世界Part 1 (1/18スケール その1)
ドライバーフィギュアの世界Part 2 (1/18スケール その2)
ドライバーフィギュアの世界Part 3 (1/18スケール その3)
ドライバーフィギュアの世界Part 4 (1/12スケール)
ドライバーフィギュアの世界Part 5 (伝説のアルファドライバー タツィオ・ヌヴォラーリ)
ドライバーフィギュアの世界Part 6 (史上最高のドライバー ファン・マヌエル・ファンジオ)
ドライバーフィギュアの世界Part 7 (フライング・スコット ジム・クラーク)

2021年04月17日 イイね!

アルファロメオ4C カーボン リアルーバー取付け

アルファロメオ4C カーボン リアルーバー取付け

高い位置の重量軽減とエンジンルームの排熱向上→夏場の油温低減を狙って、4CのリアガラスをCFRP製のルーバーパネルに交換しました。

4C用のCFRP製リアルーバーパネルは、SCARA73(こちら)とGMS(Gale Motorsport)(こちら)から発売されています。価格は前者が1,490€(クリア塗装済み)、後者が1,190€(クリア塗装無し)1.460€(クリア塗装済み)です。
私はデザインの好みでSCARA73製を選択しました。

今回もインタークーラーの購入でお世話になったALFA9 Supplyを通じて購入しましましたが、$1,820でした。ALFA9を通さずにイタリアから日本に直送するよう手配してくれたので、送料は$145でした。別途通関手数料と国内消費税を9,400円徴収されました。

発注から5週間くらいで、イタリアから馬鹿でかい頑丈そうな段ボール箱が着弾!!
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オートクレーブ成形されたドライカーボンで、中々美しい仕上がりです。
大きさの割に羽根のように軽く、重量わずか1.0kgでした(#^.^#)
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裏面はこんな状態です。
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取付けはいつもの広島の秘密基地SpRさんで行いました。
ガラス屋さんに出張してもらって作業しましたが、先ずは細いワイヤーで接着剤を切ってリアガラスを取り外します。
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リアガラスが外れました。
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脱脂とプライマー塗布を行った後、接着剤を塗布します。
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カーボン リアルーバーを慎重に位置決めしてセット。
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さすがこの道のプロだけあって大変手際の良い仕事ぶりで、1時間半くらいで作業完了。
パネルのフィッティング具合やチリの合い具合も良好で、イタリア人も中々イイ仕事しています(#^.^#)
Amazonで調達した中華製ステッカーをワンポイントで貼ってやりました。
一晩放置して接着剤を完全硬化させます。
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4Cの純正リアガラスは重量軽減の為、ガラス屋さんもビックリするくらい薄いガラスが使われていましたが、それでもガラス部分3.8kg+メッシュ部分1.2kgの計5.0kgなので、4.0kg重量軽減出来ました。

後方視界確保の為、デジタルルームミラー(ミラーカム MRC-2020)のリアカメラを移植してやりました。
以前リアガラスの内側に取付けたら、夏場のエンジンルームの熱にやられてリアカメラがピンボケになる不具合に遭ったので、念のためにJuranのサーモブロックテープを貼り付けて断熱してやりました。
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リアカメラ取付け状態です。
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4Cのスタイルにマッチして中々カッコイイです(#^.^#)
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SCARA73は、これ以外にも4Cの外板パネルを全てCFRPで商品化しているので、金に糸目をつけなければドアを含むボディーパネルを全てCFRP化することも可能です。

どなたか
カーボンルーフの
人柱お願い~~~!!

Posted at 2021/04/17 20:11:32 | コメント(8) | トラックバック(0) | 4Cのこと | クルマ
2021年04月05日 イイね!

Vecchio Bambino 2021 春季

Vecchio Bambino 2021 春季


例年、春と秋に開催される岡山を巡る旧車ラリー「ベッキオ・バンビーノ」も昨年はコロナ禍で中止となりましたが、今年は無事4/3~4に開催されました。
Vecchio Bambinoとは、大人の子供→少年の心を持ち続ける大人・永遠の少年を意味するイタリア語です。
今回は2日目があいにくの雨だったので、まともな幌が無い車は大変だったと思いますが、Vecchio Bambinoな紳士・淑女と旧車たちが元気に岡山の道を駆け抜けていきました。

今回のコースは下図の通りですが、連年通り一日目(青線)は県北中心、2日目(赤線)は県南中心のルートになっています。
今回は2日目の玉島通町商店街で迎撃しましたので、その時の写真を紹介します。
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Ermini Gilco 1100 G.P (1948)

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Mercedes Benz 190SL (1957)

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Austin Healey 100/6 (1957)
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Austin Healey 100/6 (1959)
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MG-A (1958)

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Alfa Romeo Spider Veloce (1973)

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Fiat X1/9 (1980)
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Lotus Soper 7 Sr.2 Cosworth (1962)
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Porsche 930 Turbo (1977)
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Porsche 912 (1969)
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Jagur E-Type Sr.2 4.2FHC (1969)
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Simca 8 Sport Barquette (1938)

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Mercedes Benz 300SLE 6.3 ?
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Porsche 356 SC (1965)
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MG-A (1955)

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大勢のギャラリーで商店街はかなりの密状態です(^-^;

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Austin Healey 100-4 BN2 (1956)
クレイジー ケンバンド 横山 剣さんの愛車です。
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MG-A (1957)
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Ford Consul Cortina Lotus Mk.1 Sr.2 (1963)

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Lotus Seven Sr.1 (1957)

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オープンの車は雨で大変です(^-^;
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Alpine A110 1300VC (1972)

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Fiat Dino Spider 2400 (1970)
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Alfa Romeo Junior Z
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Toyota Sports 800 (1969)
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Fiat Giannini 590GT Corsa (1967)
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Chevrolet Corvette (1969)
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Mercedes Benz 280SL (1969)

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Dutsun Fairlady 2000 (1967)
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Alfa Romeo 4C Coupe (2015)
4Cでも出場資格があるんですね(#^.^#)
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VW TypeⅡ 11W Standard Micro Bus (1958)
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Ford Mustang 289GT Fastback (1966)
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Austin Healy Sprite

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Ferrari 365 GTC/4 (1972)
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Chevrolet C-3100 (1969)
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Caterham Seven (1973)

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MG-TC (1949)

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Ford Thunderbird (1956)
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Rocky 3000GT (2018)
Toyota 2000GTかと思ったら、レプリカのRockyでした(^-^;

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Posted at 2021/04/05 18:38:36 | コメント(6) | トラックバック(0) | 日記 オフ会 | クルマ
2021年02月11日 イイね!

アルファロメオ 4C インタークーラー換装

アルファロメオ 4C インタークーラー換装

夏場のパワーダウンを軽減するため、容量アップしたインタークーラーに換装しました。
私が知る限り、4C用として発売されている大容量インタークーラーは、イタリアのScara73製(こち)と米国のEurocompulsion製(こちら)の2つがありますが、今回導入したのはScara73のインタークーラーです。
メーカー側の謳い文句では、57%容量アップ、吸気温度が25℃低下し、15HPパワーアップするとのことです。

Scara73のサイトにはショッピング機能が無いので、何度かお世話になっている米国のALFA9 Supply(こちら)から購入しました。
値段は、$1,825+送料$110+通関手数料&国内消費税11,300円でした。

インタークーラー本体にUpperホースとボルト類4セット分が同封されていました。
取説の類はありません (*_*;
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IN側のエンドタンクはアルミの削り出し品。
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OUT側のエンドタンクはCFRP製です。
発売当初は両タンクともCFRP製でしたが、高温になるIN側はCFRPでは熱的に何か問題があって設計変更されたのかな?
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取付けはいつもの広島の秘密基地SpRさんにお願いしました。
インタークーラーにアクセスするためには、リアバンパーを外した後、左リアフェンダーを取り外す必要があります。
純正状態のインタークーラーです。
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純正インタークーラーは、黒いスチール板金物のブラケットを介してアルミサブフレームに固定されています。
スロットルボディーに繋がるUpperホースは、何故か曲がりくねったレイアウトになっています。
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導風ダクト、純正インタークーラーとブラケット、Upperホースを取り外します。
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上が純正品、下がScara73製です。純正品は両エンドタンクとも樹脂製です。
コアの縦横寸法はほとんど同じですが、
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厚みは純正品が65㎜に対してScara73製は103㎜で、1.6倍近く厚いです。
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重量は、以下のようにScara73製が1.2kgの重量増になります。
純正品  :本体3.2kg+ブラケット0.6kg+Upperホース0.8kg=4.6kg
Scara73 :本体5.4kg+Upperホース0.4kg=5.8kg

純正ブラケットからゴム製グロメットを取り外して移植します。
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Scara73製インタークーラーを車体に固定。
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コアが厚い分、下に落とし込んで取付ける必要があるので、純正ブラケットは使用せずアルミサブフレームに直接ボルト止めします。
取説の類が全くないので、Scara73のサイトに掲載されている写真を頼りに取付けました。
サイトの説明ではポン付けできると書いてありますが、アルミサブフレームに穴あけ加工は必要です。ボルト、ワッシャー、セルフロックナット4セットは付属しています。
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インタークーラー本体の取付けと同時に、Upperホースをスロットルボディーに差し込み、ホースバンドで固定します。
純正品と違って最短距離をストレートなホースで繋ぐので、効率が良さそうです。
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導風ダクトは純正品を流用してポン付け出来ます。
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これでメデタシメデタシのはずでしたが、リアフェンダーを仮付けしてみると・・・・、
導風ダクトに干渉するじゃん(*_*;
ダクトの補強リブを削ったり・・・、

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エアインテークと干渉する入口部分を削ったりを繰り返してもイマイチ収まりが悪いので悩んでいたら・・・、

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ダクトの後端がインタークーラーのフランジに乗り上げているのを店長が発見!!
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この部分を切り欠いてやっと解決しました。
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後でScara73のサイトに掲載されている写真↓をよく見たら、ダクトの入口と後端がちゃんと切り欠かれていました(*_*;
だったら取説の一枚くらい入れとけよ~!!(プンプン)
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大分回り道をしましたが、後に続く人は、先ず上の写真の赤線で囲った部分を削って様子を見て、それでも干渉するようなら補強リブを削る、という手順で進めた方が良いです。
あとは、リアバンパーと左リアフェンダーを取付けて完成!!
なんだかんだで、結局一日がかりの作業でした~(^-^;

取付け後のインプレッションですが、店を出てすぐにスロットルレスポンスが向上していることを感じました。
高速や広域農道で試走した感じでも、全域にわたってスロットルレスポンスが向上しており、気温の低いこの季節でもパワーアップしていることを感じ取れます。
但し、燃費はさらに悪化している模様・・・ (*_*;
今のところ1.2kgの重量増と燃費以外のネガなところはありませんが、また特記するようなことが起こったらご報告します。

Posted at 2021/02/11 22:00:28 | コメント(4) | トラックバック(0) | 4Cのこと | クルマ

プロフィール

「4Cで広域農道攻めてたら、ミッションのオーバーヒート警告が出て(ミッション油温計は130℃😱)セーフモードに入ってしまい、パドル操作を受け付けなくなった😰 クールダウンして再始動したら正常に復帰したけど、暑過ぎです😓」
何シテル?   07/13 16:41
セクシーな赤いイタリア娘をこよなく愛するRosso Alfaです。 ちょっと古めのレーシングカーとそのサポートカー、トランスポーターのミニカー収集も趣味の一つ...
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