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Rosso Alfaのブログ一覧

2013年10月31日 イイね!

Team Lotusの小間使い

Team Lotusの小間使いアルファネタではありませんが、最近入手したちょっと変わったミニカーをご紹介します。
Sparkから発売された懐かしいホンダの軽トラTN360の1/43ミニカーですが、何故かブリティッシュ・レーシンググリーンに塗られ、マルティニ・ストライプを纏っています。
私もこのミニカーが出るまで知らなかったのですが、1970年代後半から80年代にかけて、実際にF1のTeam Lotusでタイヤや部品を運んだりするサポートカーとして使用されていたようです。
こんな超マニアックな車まで出してくるとはSparkも完全に変態ですが(笑)、量産ミニカー最大手の会社がこんなのまで出してきたら、弱小ガレージキットメーカーは困っちゃいますね(笑)。




TN360は、ホンダが4輪に進出したときの最初の製品T360の後継車で、1967年から1977年まで製造されました。
先代のT360(下の写真)は、360cc 水冷4気筒DOHC、4連キャブ、タコ足エキパイのエンジンをアンダーーフロア・ミッドシップに搭載したスポーツ(?)軽トラとして有名ですが、TN360はN360の空冷2気筒SOHCエンジンをミッション毎流用したもう少し常識的な(笑)軽トラです。


Lotusが使用したTN360はTN7型とのことなので、1975年から1977年に販売された最終型です。
ホンダS600やS800がヨーロッパに輸出されたのは知っていましたが、軽トラまで輸出されていたんですね。こちらのブログをみると英国向けのカタログまであるので、ちゃんと正規輸出されていたようです。

Team Lotusが使用していたTN360の実車写真をネットで探していたら、sulusumi-jpsさんが既にみんカラで記事にされていたのを見つけましたので本人ご了解の上写真を転載させて頂きますが、JPSがスポンサーの時代からTN360も使われていました。
JPSがLotusのスポンサーだったのは1972年から1978年までと1982年から1986年ですが、TN7型の販売時期から考えると1976年~1978年位、Lotus77から79あたりが活躍していた時代に撮影された写真ではないかと思われます。




ビョーキなSparkからは、このJPS時代のTN360もちゃんと発売される予定になっています。
マルティニがスポンサーだったのは1979年だけなので、今回私がご紹介しているマルティニカラーのTN360は、1979年シーズンを再現したものということになりますね。

サポートカーはやはりその時代のレーシングカーと一緒に並べると様になるので、同じくSparkから発売されているLotus 79とのツーショットです。
このLotus 79は、1979年のUS West GP (Long Beach)にマリオ・アンドレッティ(Mario Andretti)のドライブで出場し、4位に入賞したマシンを再現しています。


同じく1979年のスペインGP(Jarama)でアンドレッティがドライブしたLotus 80とのツーショットです。
これはTameoのメタルキットをアマチュアモデラーが組んだものです。
Lotus 80は大失敗作だったので、第5戦のスペインGPから第9戦のイギリスGPまで使われただけでお蔵入りになりました。


Sparkは、1979年シーズンに使われたLeyland製トランスポーターのミニカーもちゃんと作ってくれているので、当時のパドックの状況を再現できます。
こういうミニカー遊びは中々楽しいですね(笑)




2013年10月28日 イイね!

アルファの復活 その2(BTCCでも大暴れ)

アルファの復活 その2(BTCCでも大暴れ)その1でご紹介したドイツのDTMは、一握りのトップメーカーが金に糸目を付けずにハイテクを投入して開発した、市販車の形をしたモンスターマシン同士の戦いでしたが、イギリスツーリングカー選手権(BTCC=British Touring Car Championship)に代表されるその他の国のツーリングカーレースでは、より改造範囲が狭く市販車に近いFIAツーリングカー クラス2規定(NA 2L以下)の車両を使ったレースが盛んに行われ、注目を集めていました。
DTMと同時代に行われたこうしたツーリングカーレースでも、アルファが開発したクラス2車両155 TSが大活躍しました。
今回はBTCCを中心とした、155 TSの活躍ぶりをご紹介します。

イギリスツーリングカー選手権(BTCC)
BTCCでは1990年から排気量をNA 2L以下に統一した車両で競われており、その参入し易い規定の為に多くのメーカーが参戦し、毎レース毎レース肉弾戦と呼べるような実力拮抗した激しいバトルを繰り広げて人気を集めていました。
この人気に目を付けたFIAがパクって世界的な規定にしたのが、ツーリングカー クラス2です。

アルファもこの人気に目を付け、ホモロゲーション車両の155 TS Silverstoneを2,500台製造し、それをもとに開発したクラス2車両155 TSを引っ提げて1994年のBTCCに殴り込みをかけました。
武骨なDTMマシンとはまた違って、市販車そのままのナローボディーとホイールアーチにめり込んだようなタイヤに過激にネガティブキャンバーの付いた155 TSもなかなかカッコイイです。






市販車と同様、横置4気筒2LエンジンのFFですが、低重心化と重量配分の改善を図るために、エンジンを後方に27度傾け、3か所のマウントを介して可能な限り低い位置に搭載しています。
エンジンは155 Q4のエンジンをベースに(もちろんターボはなし)ドライサンプ化され、290hpまでパワーアップされていますが、レブリミッターの装着が義務付けられているため、回転は8,500回転でカットされます。
レギュレーションで禁止されているので、DTM車両のようなABSやトラクションコントロールといった電子デバイスは搭載されていません。




ミッションは6速シーケンシャルです。




1994年のBTCCには、アルファ・コルセからガブリエル・タルキィーニ(Gabriele Tarquini)とジャンピエロ・シモーニ(Giampiero Simoni)の2人が参戦しました。

アルファは初戦から絶好調、タルキィーニが破竹の開幕5連勝と幸先の良いスタートをきりましたが、あまりの強さに怪しげな下駄を履かせたハイマウントリアウイング等の空力付加物に他チームからレギュレーション違反ではないかとのクレームが付き、このゴタゴタの為第7戦~第9戦は欠場、第10戦からは市販車に準じたものに戻して復帰しました。
他チームも空力的な改善等を行ってきたので、中盤戦以降は連戦連勝とまでは行きませんでしたがやはりアルファは速く、21戦9勝を挙げたアルファがルノーを抑えて見事メイクスタイトルを獲得、8勝のタルキィーニもドライバーズタイトルを獲得して、アルファが完全勝利を遂げました。
1994年BTCCの最終的な成績の詳細はこちらの通りです

片輪走行になりながら爆走する#55タルキィーニ車です。


こちらの動画は更に過激です(笑)。


155 TS BTCC (1994)
hpi racingから発売された1994年のBTCCチャンプマシン、#55タルキィーニ車の1/43ミニカーです。
これはインチキっぽい(笑)ハイマウントリアウイングが付いた、第6戦目までの仕様を再現しています。




同じくhpi racing の#56シモーニ車(ドライバーズランキング5位)です。
復帰後の第10戦以降の仕様を再現しています。


翌1995年はアルファ・コルセが撤退し、プロドライブがマネージメントするAlfa Romeo Old Spice Racingが参戦しましたが、逆にフルワークス体制で臨んできたライバル達に苦戦を強いられた結果メイクスランキング8位に終わり、ドライバーズランキングもタルキィーニの16位が最高でした。
1995年シーズンのマシンです。





スペインツーリングカー選手権( CET=Campeonato Español de Turismos )
CETにも1994年から参戦し、1994年はBMW(BMW318i)と5勝ずつを分け合う激戦で、メイクスタイトルはBMWに次いで2位、ドライバーズタイトルは3勝を挙げたアルファのアドリアン・カンポス(Adrian Campos)が獲得しました。

翌1995年は、アルファが20戦中7勝、日産(Primera GTe)が6勝、BMW(BMW318i)が5勝の混戦を制して、アルファがメイクスタイトル、ドライバーズタイトル(Luis Villamil)とも獲得しました。

1996年、1997年は詳しい資料が無くて詳細不明ですが、少なくとも1997年はアルファのFabrizio Giovanardiがタイトルを獲得しています。

155 TS #155 Gabriele Tarquini, CET (1994)
BTCCのかたわらスポット参戦し、1994年第9戦のハラマ(Jarama)で優勝、第10戦のへレス(Jerez)で2位になった#155タルキィーニ車(hpi Racing製)です。





イタリア・スーパーツーリング選手権(Campionato Italiano Superturismo)
1992年に155 GTA で完勝したアルファですが、翌年からはクラス2車両で争われることになったので1993年から155 TSを投入しましたが、BMWやAUDIに阻まれて2番手3番手に甘んじ、1997年に155 TSの後継車両156 TSでメイクス、ドライバーズ両タイトルを奪取するまでタイトル獲得は成りませんでした。

155 TS #2 Gianni Morbidelli, Campionato Italiano Superturismo (1993)
1993年に2勝を挙げた#2ジャンニ・モルビデリ(Gianni Morbidelli )車のミニカーです。BBRのレジンキットをアマチュアモデラーが製作したものを私が少々手直ししました。
まだ155 TS Silverstoneがホモロゲーションを取得する前の車両なので、リアウイングが付かずフロントエアダムも大人しい姿が返って新鮮です。





フランス・スーパーツーリング選手権( Championnat de France de Supertourisme)
資料が少ないので詳細が良く分からないのですが、1993年にGraff RacingからPhilippe Gache、Team Usine Alfa RomeoからRoberto Morenoが参戦し、それぞれドライバーズランキング6位と7位に入っています。
ちなみに、この年のドライバーズタイトルはAUDI 80 Quatroに乗るFrank Bielaが獲得しました。

155 TS #15 Jean Alesi, Championnat de France de Supertourisme (1993)
第4戦ポウ(Pau)のみにGraff Racingからスポット参戦し、6位入賞したF1ドライバー、ジャン・アレジ(Jean Alesi)がドライブした車を再現したBBR製のミニカーです。




155 TSに乗り込むジャン・アレジ


第4戦ポウ(Pau)のアルファドライバー3人組(左からアレジ、ガッシェ、モレノ)



全日本ツーリングカー選手権(JTCC)
日本のツーリングカーレースでもアルファを走らせたいというユニコルセ・エンジニアリング大川親子の熱意がアルファ・コルセを動かし、日本にも155 TSがやってきました。
アルファ・コルセの支援の元に、ドライバー、スタッフ共にイタリア人で固めたチームでJTCCに挑み、1994年に参戦した4戦の内、仙台ハイランドで行われた第16戦では4位に入賞し翌年に期待を抱かせましたが、阪神大震災でユニコルセが被災し甚大な被害を被ったこともあって翌1995年は6戦のみの参戦にとどまり、いずれも満足な成績を残すことはできませんでした。

155 TS #55 G. Busi, JTCC (1994)
1994年のJTCCにユニコルセから参戦した、#55 ブーシ車を再現したhpi Racing製のミニカーです。




155のDTMやBTCCでの大活躍でレーシングアルファは見事過去の栄光を取り戻し、その後の156、147の大ヒットの原動力ともなりました。
後継車の156 TSも2001年から3年連続ヨーロッパツーリングカー選手権(ETCC)のチャンピオンになるなど活躍していますが、この辺の年代は私のコレクションの守備範囲外なので(90年代も本当は守備範囲外ですがアルファは特別)、トランスアクスルアルファの時代から説き起こした「ミニカーで辿るレーシングアルファの歴史シリーズ」も、今回で一区切りとさせて頂きます。

エンツォ・フェラーリがアルファのレーシングチームを率いていた戦前あるいは、Tipo 158/159アルフェッタが初期のF1を席巻していた50年代前半といった古き良き栄光の時代や、ジュリアの大活躍、プロトタイプレーシングカーの世界で奮闘したTipo33シリーズ等々・・・・・、まだまだネタは一杯有るのですが、このシリーズは執筆にかなりのエネルギーが必要なので(笑)、またパワーが充電されて書く気になったらご披露したいと思います。
それまでは小ネタで御勘弁を・・・・・。

それでは、毎回長文記事をご愛読ありがとうございました。
2013年10月25日 イイね!

アルファの復活 その1(DTMで大暴れ)

アルファの復活 その1(DTMで大暴れ)さて、ミニカーで辿るレーシングアルファの歴史第3弾は遂に本命登場、155がDTMで大暴れする1993年以降の話になる訳ですが、この時代はモンスターマシン155 V6 TIのDTMでの活躍と、より市販車に近いクラス2車両155 TSがBTCC等のツーリングカーレースで活躍する話が並行して進みますので、2回に分けてお話しすることにさせて頂き、先ずその1ではDTMでの戦いぶりをご紹介いたします。
今回はかなりの大作ですので、お時間のあるときにじっくりご覧下さい(笑)
なお、特記無い限りはミニカーのスケールは1/43です。


1993年シーズンからドイツ・ツーリングカー選手権(DTM=Deutsche Tourenwagen Meisterschaft)に導入された新レギュレーションの車両は、FIAのツーリングカー規定 クラス1(NA 2.5L)に準じ、それに独自の規定を加えたものですが、その主な内容をおさらいしてみると・・・・・。
① ベース車両は連続する1年間に2,500台以上生産された量産車
② エンジンは自然吸気2,500cc 6気筒以下で、ベース車両のエンジンとブロックの材質が同一でV型エンジンの場合はバンク角が同一であれば、あとは変更自由。レブリミッターもなし(アルファのV6 2.5Lは初年度でも420ps/11,800rpm!!)
③ エンジンの搭載位置はベース車両に準じるが、搭載方式に関してはバルクヘッドに手を加えなければ、後付けのサブフレームにエンジンを搭載しても可。
④ フロントサスは基本形式がベース車両と同一、リアサスはそのメーカーが生産している何れかの市販車と基本形式が同一であること(1996年から完全に自由)。
⑤ 4WDも可。但し最低重量は2WD が1,000kgに対して4WD は1,040kg。
⑥ トラクションコントロール、アクティブサス、ABSなどの電子デバイスも可。
⑦ イコールコンディション化のため、上位5位までの車両は次戦に15kg、12kg、9kg、6kg、3kgのハンディウェイトを積載(上限50kg)。6位以下でフィニッシュした場合は順位に応じてハンディウェイトが降ろされる。
という、簡単にいえば改造範囲が大変広いほとんど何でも有りの世界であり、ベースの市販車とは全くかけ離れたモンスターマシンでした。
















1993年シーズン
 アウディが公認部品の解釈をめぐって主催者と対立し1992年の途中で撤退、BMWも新型M3の公認が取れないことを理由に1992年で撤退、オペルは新型車Opel Calibra V6 4x4の開発遅れから参戦を延期(最終戦2戦のみ参戦)となり、1993年シーズンは前年度の覇者メルセデスと新参者アルファのガチンコ勝負となりました。

アルファの陣容は、アルファ・コルセ(Alfa Corse)からエースのニコラ・ラリーニ(Nicola Larini)とアレッサンドロ・ナニーニ(Alessandro Nannini)の2台、ドイツのシューベル(Schübel Engineering Racing Team)からクリスチャン・ダナー(Christian Danner)とジョルジュ・フランチア(Giorgio Francia)の2台の体制です。

下馬評では実績のあるメルセデスの圧勝と思われていましたが、ふたを開けてみるとデビュー戦のゾルダー(Zolder)はRound1がアルファの1-2フィニッシュ、Round2もアルファの1-2-3フィニッシュの快勝に終わり、サーキットに赤い衝撃が走りました。
メルセデスは慌ててマシンの改良を図りますが、フルスペック・クラス1マシンの155 V6 TIに対してメルセデスは4気筒の前年度マシン 190E 2.5-16 Evo2をクラス1にモディファイして使っているので不利は否めません。
メルセデスの必死の巻き返しも及ばず、メイクスタイトルは20戦中12勝を挙げたアルファが、ドライバーズタイトルも10勝を挙げたラリーニが獲得し、アルファはデビュー年にして完全勝利を遂げました。
1993年シーズンの最終的な成績の詳細はこちらの通りです。

155 V6 TI DTM (1993)
1/43量産ミニカーの世界では、実際にDTMをやっていた時代に発売されたMinichampsの傑作が長年君臨していましたが、5年位前に日本のhpi racingが決定版を発売してくれました。
hpi racingの#8ラリーニ車です。




#7ナニーニ車(ドライバーズタイトル8位)とのツーショットです。


hpi racingは、ラリーニのスペアカー(#T8)なんていうマニアックなものまで出してくれました。


Eligorから、この年のアルファ・コルセのトランスポーターも発売されています。




1/18スケールの155 DTMマシンは、これもDTMが行われていた時代に発売されていたUT Modelsの製品が長年唯一のものでしたが、昨年hpi racingとAUTOartから93年仕様のラリーニ車とナニーニ車の決定版が発売されました。
特にAUTOartの製品はドアやボンネットがフル開閉するので、かなり精密に作られた内部構造を見ることが出来ますが、私は所有していないので、こちらのryoreiさんの記事をご覧下さい。

1994年シーズン
前年度油断した為にアルファごときにまさかの不覚をとってしまった王者メルセデスは、悔しくて夜も眠れず(たぶん(笑))、万難を排して開発したフルスペック・クラス1マシンのMercedes C-Classを投入してきました。

迎え撃つアルファも、ドラッグの減少と低重心化のため全高を20mm下げ、エンジンの位置も1993年仕様よりも低くマシン中央寄りにマウントし、エンジン自体も小型・軽量化した新設計エンジンを開発、ABSの装着やウイング状のリアディフューザー採用による空力面のモディファイ等も行った94年仕様の155 V6 TIを投入し、連覇を狙います。
第3勢力のオペルもOpel Calibra V6 4x4でフル参戦してきたので、94年シーズンは三つ巴の激戦となりました。

最終的にアルファはメルセデスの9勝を上回る11勝を挙げましたが、ポイントでメルセデスの323ポイントに対し310ポイントとわずかに及ばず連覇を逃しました。
ドライバーズタイトルも、優勝回数ではラリーニとナニーニがそれぞれ4勝と最多でしたが、3勝ながら着実にポイントを重ねたメルセデスのクラウス・ルドウィック(Klaus Ludwig)が獲得し、ラリーニとナニーニは3位と4位に沈みました。
1994年シーズンの最終的な成績の詳細はこちらの通りです。

こちらに、アルファがメルセデスを蹴散らしている1994年シーズンの動画も有ります。


155 V6 TI DTM (1994)
hpi racingからは94年仕様は発売されていないので、これはハンドメイドミニカーの雄BBRが作った#1ラリーニ車です。




#1ラリーニ車と#2ナニーニ車とのツーショットです。ナニーニ車の方は古いMinichamps製のミニカーです。


hpi racingからは、シューベルから参戦した#27ミハエル・バーテルス(Michael Barteis)車が発売されています。なお、イエガーマイスターがスポンサーのこの車は、93年仕様のマシンです。


94年以降の仕様の1/18スケールは、依然として古いUT Models製のものしか有りませんが、UTからは同じくシューベルから参戦した#18 クリス・ニッセン(Kris Nissen)車も発売されています。
細部のつくりは最新のミニカーに負けますが、プロポーションが良いので今でも充分観賞に耐えます。


1995年シーズン
1995年シーズンは、DTMに加えてこれまでDTMがドイツ国外で開催していたノンタイトル戦のイベント数を増やし、新たに国際ツーリングカー選手権(ITC=International Touringcar Championship)として並行して開催することになり、DTM 14レース(内1レースは事故で中止)、ITC 10レースが開催されました。

アルファは、レギュレーションの緩和を受けてセミオートマチックトランスミッションの採用とリアサスペンションのダブルウィッシュボーン化を行い、リアデファレンシャルギアを電子制御化したマシンを投入しましたが、この改良が裏目に出たのかこの年のアルファは不振で、DTMではメルセデスの8勝対してアルファは3勝、ITCでもメルセデスの8勝に対してアルファはわずか2勝に終わり、どちらもメイクスタイトル2位にはなりましたが連覇したメルセデスに完敗したシーズンとなりました。
ドライバーズタイトルの方も、ワークスのアルファ・コルセの二人はDTMでは未勝利、ITCでもラリーニの1勝のみに終わり下位に沈んでしまいました。
1995年シーズンのDTM、ITCの最終的な成績の詳細はこちらこちらの通りです。

155 V6 TI DTM (1995)
95年仕様もhpi racing は発売していないので、古いMinichamps製の#7ナニーニ車です。
この年からマルティニがスポンサーになり、白地にマルティニストライプのカラーリングになりました。




同じくMinichamps製の#8ラリーニ車と#7ナニーニ車のツーショットです。
これは本戦仕様ではなく、プレゼンテーション仕様を再現したものです。


Eligorから、1995~96年シーズンに使われたアルファ・コルセのトランスポーターも発売されています。




1/18ではUTから95年仕様も発売されています。
#7ナニーニ車とナニーニのフィギュア(Endurance製)です。


1995年の覇者ベルント・シュナイダー(Bernd Schneider)がドライブしたアルファの天敵Mercedes C-Classの1/18ミニカー(UT製)とシュナイダーのフィギュアです。



1996年シーズン
この年からDTMが廃止されてITCに1本化され、全26戦が開催されました。この内最終第25戦と26戦は鈴鹿で開催されました。

96年仕様の155 V6 TIは、レギュレーションの緩和を受けて、サスペンションがフロント、リアともダブルウィッシュボーン化され、エンジンもシーズン途中から60度V6エンジンからマシンの重心を下げる目的で90度V6エンジンに変更。また、マスの集中を図るためオイルタンクの位置をトランクルームからリアシート部分に移設させ、マシン自体の全高も1995年仕様の1,355mmから1,280mmに下げられました。
その為、前年度までのマシンより低く平べったい印象の外観をしています。

空力面ではアンダーフロアのアップスイープがフロントシート付近から始まるデザインとなり完全なグラウンド・エフェクト・カーになりました。またラジエーターの排気部に可動式のシャッターを設け、これをレース中に開閉することでダウンフォースの量を調節できるようになっています。

この年は各車の実力が拮抗した大混戦で、最終的にアルファが10勝、オペルが9勝、メルセデスが7勝となり、アルファは93年、94年に引き続き三度最多優勝回数を記録しましたが、僅か9ポイント差で惜しくもメイクスタイトルはオペルにさらわれてしまいました。
ドライバーズタイトルも、ナニーニが最多の7勝を挙げるもチャンプの座はオペルのマニュエル・ロイター(Manuel Reuter)にさらわれ3位に留まりました。
1996年シーズンの最終的な成績の詳細はこちらの通りです。

155 V6 TI DTM (1996)
hpi racingから、最終戦鈴鹿仕様の4台が発売されています。
Alfa Corse/Martini Racingの#5ラリーニ車です。




#5ラリーニ車と#6ナニーニ車のツーショットです。


Alfa Corse/JASから参戦した、#9ステファノ・モデナ(Stefano Modena)車の通称赤マルティニ


Alfa Corse/TV Spielfilmから参戦した、#14 ジャンカルロ・フィジケラ(Giancarlo Fisichella)車


また同じくhpi racingから、Alfa Corse/JASの#10 ミハエル・バルテルス(Michael Bartels)がドライブしたイエガーマイスターカラーのマシンも発売されています。


1/18ミニカーでは1996年仕様のアルファは発売されていませんが、代わりにマニュエル・ロイターのチャンプマシンOpel Calibra V6 4x4(UT製)をご披露します。


おまけとして、1982年のF1チャンプ ケケ・ロスベルク(Keke Rosberg)のレーシングチームOpel Team Rosbergのトランスポーターの1/43モデルもあります。


各社間の競争激化とあまりに先鋭化したマシンによりDTM/ITCマシンの開発費は膨大なものとなり、それに耐えられなくなったアルファとオペルが1997年から撤退を表明したため、4年間に渡る狂気のシリーズは幕を閉じることとなりました。


デビューの印象があまりにも鮮烈だったため、DTMというと常にアルファが席巻していたような印象を持ちますが、4年間の結果を俯瞰して見ると、タイトルを取ったのは初年度だけで残りの3年間は2位に甘んじています。
しかし、不振だった95年シーズンを除いては1位との差はわずかであり、ハンディウェイトに代表されるような突出した車を作らないようにする為のレギュレーション上の配慮やライバル同士の熾烈な開発競争のおかげで、実力が拮抗した激しい戦いだったといえます。

優勝回数からいえば、最多優勝回数は95年シーズンを除いてすべてアルファであり、通算の勝ち星や勝率も89戦38勝(勝率42.7%)とトップです。
速さでは一歩リードするアルファに対して、着実にポイントを積み重ねる安定性のドイツ勢といった感じですが、両者の性格をよく反映してますね(笑)

DTMでのアルファの活躍は、地に落ちかけていたアルファのブランドイメージ向上に大いに貢献しました。
特にフィアット買収後のFFアルファしか知らない世代では、アルファのイメージというと、サーキットでメルセデスを蹴散らす赤い稲妻155 V6 TI DTMのスポーティーなイメージなのではないでしょうか?
市販車としての155はアルファが期待したほどの成功は収めることが出来ませんでしたが、もし155 DTMの活躍がなかったら、その後の156や147のヒットは無かったかもしれません。
アルファにとってアルフィスタにとって永遠に忘れられない車です。
2013年10月20日 イイね!

迷走から復活の予感へ(アルファ155大活躍前夜の物語)

迷走から復活の予感へ(アルファ155大活躍前夜の物語)ミニカーで辿るレーシングアルファの歴史 第2弾は、155レーシングマシンの大活躍によるアルファ復活劇を書こうと思っていたのですが、そこに至るまでにも色々面白い車があるので、今回はフィアットに買収されてから155がDTMやツーリングカーレースで大活躍する直前までの物語について書いてみます。

経営不振にあえぐアルファは、1986年フォードに競り勝ったフィアットに買収され、1987年1月よりフィアットの傘下として再出発することになりました。
資金難からも開放され、買収直前に開発されていた完全新設計のFF中型セダン164も同じ年にデビューし、さらに164の下のクラスの155の開発も始まるなど市販車部門には明るい兆しが見えてきましたが、Autodelta改めAlfa Corseとなったレーシング部門は、朝令暮改のフィアットの指示に振り回され、さらにしばらく迷走を続けることになります。

先ずは、1985年から開発を進めていたF1用自然吸気3.5L V10エンジンを、1987年からリジェに供給する予定であったのに契約立消えのためあえなくお蔵入り~。


せっかく開発したこのV10エンジンを活用するため、1988年にはFISAが提唱した「自然吸気3.5Lエンジンを搭載し、25,000台以上を生産する量産車のスタイルを保っていればボディの材質やメカニカルな部分の制限は一切なし」というプロカー構想に賛同して164 Pro-Car 4を開発しましたが、直前になって参加を表明していたプジョー、アウディ、ポルシェが皆降りてしまい、プロカーそのものが消滅という間抜けぶり・・・・。

164 Pro-Car 4(1988)
一見車高の低いただの164に見えますが、3.5L V10エンジンをミッドシップに縦置きし、モノコックシャシーはカーボン/ハニカムサンドイッチ構造、カウルはセンターモノコックより前後3分割といった、164の皮を被ったF1といえるようなマシンです。
実際の開発はMRD(Motor Racing Developments Ltd)とフィアットのレーシング部門となったアバルトが担当したので、アバルトの開発コードSE046が付いています。
こんな超マイナー車までSparkがミニカーにしてくれました。
ミッドシップに搭載されたV10エンジンやF1さながらのダブルウィッシュボーンリアサスペンションもきちんと再現されているので、ウインドウ越しに見ることができます。






実車の写真です。
164とは全く別物の車だということが良く分かると思います。








また同時期には、インディーカーに2648cc V8 turboエンジンを供給するプロジェクトもスタートし、1989年から1991年まで参戦しましたが、1991年にDanny Sullivanが4位になったのが最高で、鳴かず飛ばずのまま3年であえなく撤退~。

March-Alfa Romeo 90CA (1990)
私の知る限り、アルファエンジンを搭載したインディーカーのミニカーは無いと思うので、実車写真のみで御勘弁を・・・・。






1991年からグループCの排気量をF1と同じ自然吸気3.5リッターのみに制限するというFISAの発表を受けて、インディープロジェクトと並行してグループCカーの開発も始まりました。
この車でスポーツカー世界選手権(SWC)に打って出ようとした矢先、このレギュレーション改訂が裏目に出て撤退するメーカー続出でなんとSWC自体が1992年をもって消滅~。
またまた完成した車は一度も走ることなく行き場を失ってしまいました。

SE048 Gruppo C (1990)
SE084というアバルトのコードネームが付いていることから分かるように、実際の開発はアバルトが担当しました。
こんなほとんど誰も知らない車までミニカーがちゃんとあるというところが1/43の奥深い所ですが、Tronがちゃんとモデル化してくれています。実車は現在アレーゼのアルファロメオ博物館にありますが、このモデルはアルファ100周年の2010年にGoodwood Festival of Speedで展示された時の状態を再現しています。
このモデルはどうも私は買い忘れているようなので、このミニカーの写真はネットで拾ってきた写真です。





実車の写真です。
中々速そうな良い形です。実戦で走るところを見てみたかったな~。
この記事を書くまでは、この車のエンジンは先に述べたV10エンジンとばかり思っていましたが、ネットで見つけた下の写真によるとV12エンジンですね。
しかも、ヘッドカバーにアルファのロゴは入っていますが、Ferrari F1エンジンの流用くさいです。なんでV10を使わなかったんだろう?










いろんなものに手を出してはことごとく裏目に出たアルファですが、今度はドイツ・ツーリングカー選手権(DTM)に目を付けました。
当時DTMはメルセデス、BMW、アウディ、オペルなどの列強がしのぎを削るシリーズとして活況を呈すと共に世界的にも注目されて来ており、しかも1993年からは改造範囲の狭いグループA規定からFAIのクラス1規定(2.5L)に基づいた大幅改造が許される車両規定に変更されることが決まっていたので、それに合わせたマシンを周到に準備し、ドイツ勢に一泡拭かせて注目を浴びようという魂胆です。

早速1991年10月からDTM車両の開発に着手するとともに、それと並行してDTMマシンのテストベッドとして4WDの155 Q4をベースにした155 GTAを開発し、1992年のイタリア・スーパーツーリングカー選手権(Campionato Italiano Superturismo)に4台のマシンを送り込みました。

155 GTA は開幕から連戦連勝を繰り返し20戦17勝という圧倒的な強さでメイクスタイトルを獲得、ドライバーズタイトルもNicola Larini, Giorgio Francia, Alessandro Nannini, Antonio Tamburiniが1位から4位まで独占という完全勝利を遂げ、翌年のDTMデビューに大いに期待を抱かせる結果となりました。

空力パーツで武装し、マルティニストライプを纏った155 GTAは惚れ惚れするカッコよさです。
レーシングアルファ復活の先兵となった155 GTA・・・・、155の皮を被った武骨なDTMモンスターマシンもカッコいいけど、個人的にはレーシング155で最も好きな車は155 GTAです。

155 GTA, #4 Alessandro Nannini, Campionato Italiano Superturismo (1992)
155 GTAのパワートレインは、当時WRCで無敵を誇っていたLancia Delta HF Integraleの2L直4ターボエンジンとフルタイム4WDを移植したもので、通常でも400hp、オーバーブースト時には500hp近いパワーを誇りました。
この車も実際の開発はアバルトが担当しており、SE051という開発コートナンバーを持っています。
Racing43の絶版キットをイタリアの職人さんが組んだこのミニカーは私の大のお気に入りの一つですが、1992年にドライバーズタイトル3位に輝いたAlessandro Nanniniの愛機を再現したものです。




155 GTA, #6 Nicola Larini/Bernacchini, Rally di Monza (1992)
1992年にモンツァサーキットで開催された“Rally di Monza”に出走した、ラリーモディファイを加えられた珍しい155 GTAです。
これも上の156 GTAと同様に、絶版キットをイタリアの職人さんが組んだレアな一品です。


実車の写真です。なんてカッコいいんでしょう!!


現役時代の映像ではないので本気の走りではないかもしれませんが、こちらに2008年にイタリアで行われたヒルクライム”Trento Bondone”で、155 GTAがアフターファイアの音をパンパン響かせながら峠道をかっ飛ぶ動画もあります。


おまけとして、155 GTAとはクラスが全く違いますが、1992年のイタリア・ツーリングカー選手権( CIVT=Campionato Italiano Velocita Turismo)ではこんなアルファも走っていました。

33 Permanent 4 Gr.N, #71 Giancarlo Nadoeo, CIVT(1992)
アルファスッドの後継車アルファ33のフルタイム4WDバージョンです。
SC Modelというあまり聞かないメーカーのキットを組んだこのレアなミニカーは、New Teamというプライベーターから1992年のCIVTに参戦した車を再現しています。




さて、次はいよいよ皆様お待ちかね、DTMに殴り込みをかけた155 V6 TIや2Lエンジンのクラス2車両155 TSがBTCC等のツーリングカーレースで大暴れする時代のお話になりますが、それはまた次の機会に・・・・。
2013年10月17日 イイね!

混迷の時代のレーシングアルファ(不遇なトランスアクスル アルファ達)

混迷の時代のレーシングアルファ(不遇なトランスアクスル アルファ達)大ヒットしたジュリアの後継車として、1972年にアルフェッタが登場しました。
アルフェッタのシャシーは、バネ下重量が軽くキャンバー変化が発生しない「ド・ディオンリアサスペンション」と重量のかさむクラッチとギアボックスを後輪デフ直前に配した「トランスアクスル」を組み合わせたもので、まさにその名をもらった名作GPカー Tipo159アルフェッタゆずりの野心的なシャシー設計の車でした。
こうした理想を追求したシャシーとジュリア譲りのアルファツインカムエンジンのおかげで、優れた動力性能とシャープなハンドリング、良好な乗り心地を両立した模範的なスポーツサルーンに仕上がり、そのシャシーは1985年登場の75や1989年登場のSZ(ES30)まで改良されて使い続けられました(会社が左前になって新規開発する余裕が無かったともいえますが・・・・)。

反面、このトランスアクスルアルファの時代はイタリア国内が分裂対立して激しいストライキと労働争議に明け暮れた時期でもあり、従業員のモチベーションやモラルの低下、それに伴う部品や組立て品質の低下、それに加えて劣悪な品質の鋼板と不十分な防錆処理が重なって、「すぐ壊れる、すぐ腐る」という悪評であの名門アルファが不振にあえいだ時代でもありました。
トランスアクスルアルファは、生まれた時代が悪かった為に優れた基本設計を生かせなかった不遇な車たちであり、元アルフェッタGTV6乗りとしては現在でも不当に低い評価を受けているのが少々悔しい所です。

今回は、この不遇なトランスアクスル時代のレーシングアルファを1/43スケールミニカーで振り返ってみたいと思います。
市販車の不振を反映してか、ツーリングカーレースやラリーでも世界レベルのレースでは充分な成績を残せませんでしたが、国内選手権レベルの大会ではかなり活躍しています。
オーバーフェンダーで武装して戦闘服に身を包んだ車たちはどれもカッコいいです。

Alfetta Gr.2 (1973)
アルフェッタの導入当初からアウトデルタの手によりGr.2仕様のワークスマシンが開発されました。
デロルトツインキャブの装着等によりノーマルの122HPから180HP にパワーアップされ、オーバーフェンダーの装着によりトレッドも広げられています。
Tronが製作したこのモデルは、1973年のヨーロッパツーリングカー選手権Zandvoortに、Rolf Stommelen/Carlo Facettiのドライブで出場し、リタイアに終わった車を再現しています。








Alfetta GT Gr.2 (1975)
1974年にジウジアーロデザインの流麗なクーペAlfetta GTが登場すると、早速アウトデルタの手によりGr.2仕様が製作されました。
1984ccにボアアップされたエンジンにウェーバーツインキャブを装着し、200HPを発生しています。
Tronが製作したこのモデルは、1975年の世界ラリー選手権(WRC)第9戦Tour de Corseに出場し、見事3位に入賞したJean-Claude Andruet/Yves Jouanny組のマシンを再現しています。






Alfetta GTV 3000 V8 Gr.5(1975)
アウトデルタにより、モントリオール用の3000cc V8エンジンをチューンナップして搭載したモンスターマシンが2台製作され、試験的にGr.5(プロトタイプ)として実戦投入されましたが、充分な成果が得られずこの2台のみの試作で終わりました。
Tronが製作したこのモデルは、1975年のローカルラリーEleca Rallyに出場したマシンを再現しています。








75 V6 2.5 Gr.A(1986)
75は、2代目ジュリエッタの後継車として1985年に登場しました。
ラリーの世界では、2.5L V6エンジンを搭載したAlfetta GTV6がGr.Aの認可を取得して主にターマックラリーを中心に活躍していましたが、室内容積不足でGr.Aの認可を取り消されてしまったことから、急遽75 V6をベースにしたGr.Aマシンが開発されました。
しかし、Lancia Delta HFなどの4WDマシンが席巻しているWRCでは勝ち目はなく、ローカルラリーを中心とした活躍に留まりました。
このモデルはMeri Kitのメタルキットをアマチュアモデラーが組んだものですが、1986年のフランスラリー選手権第1戦VAR Rallyに、フランスのプライベーターチームGAMA Racingからエントリーしリタイアに終わったマシンを再現したものです。
青と白のRothmansカラーも中々良く似合いますね。






75 Turbo Evoluzione IMSA (1988)
1987年に、Gr.Aツーリングカーレース用に1761ccターボエンジンを搭載したホモロゲーションモデル75 Turbo Evoluzioneが500台限定生産され、Alfa Corseのワークスマシンが世界ツーリングカー選手権(WTC)に参戦しましたが、フォード シエラやBMW M3には歯が立たず、目立った戦績は残せませんでした。
一方イタリア国内では、1988年にイタリアツーリングカー選手権を制するなどそれなりの活躍は見せています。
M4製のこのダイキャストミニカーは、1988年のジロー・デ・イタリア(Giro d' Italia)で優勝した、Riccardo Patrese/Miki Biasion/Tiziano Siviero組のマシンを再現しています。
すっぴんのロードバージョンでは少々へんてこりんな格好の75も、オーバーフェンダーと空力パーツで武装したGr.Aマシンはかっこいいです。




同じレースに出場した、Alessandro Nannini組の#2とのツーショットです。




Old Carsから、この時代にAlfa Corseで使われたレーシングカートランスポーターも発売されています。
同じロゴデザインの75 Turbo Evoluzioneと並べると中々絵になりますね。




SZ(ES30)Trofeo SZ(1991)
1989年に登場したSZ(ES30)は、75のシャシーにIl Mostro(イル・モストロ=怪物)とあだ名されたアルファ社内デザイン(製造はZagoto)のあくの強いボディーを架装した2座のハンドリングマシンですが、Zagatoが発案したTrofeo SZというワンメークレースも行われました。
Sparkが製作したこのミニカーは、1991年のレースにScuderia Zagatoから出場したマシンを再現しています。




経営不振にあえぐアルファは、1986年に国営企業からフィアットの傘下に入ることになりますが、その後開発された155がDTMはじめツーリングカーレースで大活躍して一躍アルファ復活の原動力となりました。
その復活劇のお話はまた別の機会に・・・・。

プロフィール

「4Cで広域農道攻めてたら、ミッションのオーバーヒート警告が出て(ミッション油温計は130℃😱)セーフモードに入ってしまい、パドル操作を受け付けなくなった😰 クールダウンして再始動したら正常に復帰したけど、暑過ぎです😓」
何シテル?   07/13 16:41
セクシーな赤いイタリア娘をこよなく愛するRosso Alfaです。 ちょっと古めのレーシングカーとそのサポートカー、トランスポーターのミニカー収集も趣味の一つ...
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