お籠りGWを利用して、前回のエレ・ニースに引き続いてネタを仕込みましたので連チャンでアップ致します。
Part 9のテーマは、1982年の不幸な事故が無ければ、アラン・プロストよりも前にフランス人初のF1チャンプに輝いていたであろう悲運のレーシングドライバー、ディディエ・ピローニです。
ディディエ・ジョゼフ-ルイ・ピローニ(Didier Joseph-Louis Pironi 1952~1987年)は、レーサーだった異母兄の影響で20歳からレース活動を開始しました。
エルフのバックアップを受けてフォーミュラ ルノーに参戦したピローニは、1976年にフォーミュラ ルノー欧州選手権のチャンピオンになりました。
また同年のルマン24時間レースにもクレーマーレーシングから初参戦し、Porsche 934で総合19位、GTクラス4位の成績を収めました。
翌1977年はヨーロッパF2選手権に参戦し(シリーズ3位)、またモナコGPの前座として開催されたF3レースで優勝し、F1関係者の注目を集めます。
この活躍とエルフの後押しにより、翌1978年にTyrrellからF1デビューが決定しました。
モナコGPのF3レースで優勝したピローニのMartini Mk.21/Toyota。
同年のルマンにもRenault A422で参戦しました(結果はDNF)。
1978年のF1デビューシーズンは、Tyrrell 008で第2戦のブラジルGPで早くも6位入賞を果たし、これを含めて5位2回、6位3回入賞して年間ランキング15位でシーズンを終えます。
この年もルマンにRenault A442Bで参戦しますが、Didier Pironi/Jean-Pierre Jaussaud組の2号車がルノー悲願のルマン初優勝を果たします。
翌1979年も引き続きTyrrellからF1に参戦します。
Tyrrell 009の戦闘力不足に苦しみながらも、第6戦ベルギーGPでの初表彰台(3位)を含め、3位2回、4~6位各1回で前年度を上回るランキング7位でシーズンを終えました。
翌1980年は、リジェからのオファーを受けて移籍しますが、競争力のあるLigier JS11/15を得て第5戦ベルギーGPで初優勝を果たすなど活躍し、8度の入賞(うち初優勝をはじめ表彰台5回)・2PP・2FL、ランキング5位でシーズンを終えるという飛躍の年になりました。
チームメイトのジャック・ラフィーとの2ショット。
この年のルマンはBMWフランスチームからBMW M1で参戦し、総合14位、IMSAクラス3位に入賞しました、
翌1981年は、前年の活躍が評価されフェラーリに迎えられジル・ヴィルヌーブとコンビを組むことになりますが、フェラーリ初のターボカー126CKの熟成不足に苦しみ、4位1回、5位3回、ランキング13位の不本意な成績に沈みました。
エンツォ・フェラーリと写真に納まる、ヴィルヌーブとピローニ。
運命の1982年もフェラーリ―でF1シーズンを迎えます。
大幅に戦闘力が向上したニューマシン126C2を駆って、第4戦サンマリノGPでフェラーリ移籍後初優勝を遂げますが、後続を大きく引き離してヴィルヌーブとピローニが1・2体制になった時にピットから出た“SLOW”のサインを見て、チームオーダーが出たと思ったヴィルヌーブをピローニが最終ラップでパスして優勝したことでヴィルヌーブが大激怒。チーム内に険悪なムードが漂います。
続く第5戦ベルギーGPで、予選2日目終了直前にピローニが自分のタイムを上回ったことを知ったヴィルヌーブは急遽タイムアタックに再出撃しますが、スロー走行中のヨッヘン・マス車に追突し、シートごと地面にたたきつけられて死亡してしまいます。
タラレバの話になりますが。前戦でのピローニとの確執がなかったらこの悲劇は起きなかったかもしれません。
ヴィルヌーブ亡き後、ピローニは好調を維持し続け、第11戦フランスGP終了時点では9ポイント差でランキングトップに位置していましたが、第12戦ドイツGPで今度はピローニ自身に不幸が襲い掛かります。
豪雨で視界不良のホッケンハイムリンクの土曜日午前中のフリー走行中、直線で280km/h位のハイスピードで走行中のピローニ車が、アラン・プロストのルノーの後輪に乗り上げて宙を舞い、地面にたたきつけられて大破した車に押しつぶされて両足を複雑骨折する大怪我を負ってしまいます。
結果的に1982年シーズンは、Williams FW08に乗るケケ・ロズベルクにチャンピオンの座を奪われ2位で終わりました。
ヴィルヌーブとピローニのツーショット。
事故後F1への復帰を模索しつつパワーボートレースの世界に進出したピローニですが、1987年のパワーボート世界選手権の最中に高速で転覆し、クルー2名とともにあの世に旅立ってしまいました。合掌
ピローニの1/18スケールフィギュアは、Le Mans Miniatures社から素晴らしい出来のものが発売されています。
最近の同社のフィギュアは、本人の特徴を非常にうまくとらえているものが多いのですが、これもピローニそっくりです。
1978年のルマンでルノーに悲願の初優勝をもたらした、Renault A442B #2(Norev製)と並べてみました。
1980年のルマンにBMWフランスから参戦したBMW M1 #83(Minichamps製)と並べてみました。
ピローニというとやはりFerrari 126C2というイメージなので、GP Replicas製の126C2と並べてみました。
1982年というとエンツォももう84歳の高齢なので、こんな光景は現実にはなかったかもしれませんが、Scale Figures社製のエンツォのフィギュアと一緒に並べてみました。
このシリーズは過去にこんな記事をアップしていますので、ご興味のある方はお暇なときにご覧ください(表題をクリックすると記事にリンクします)
ドライバーフィギュアの世界Part 1 (1/18スケール その1)
ドライバーフィギュアの世界Part 2 (1/18スケール その2)
ドライバーフィギュアの世界Part 3 (1/18スケール その3)
ドライバーフィギュアの世界Part 4 (1/12スケール)
ドライバーフィギュアの世界Part 5 (伝説のアルファドライバー タツィオ・ヌヴォラーリ)
ドライバーフィギュアの世界Part 6 (史上最高のドライバー ファン・マヌエル・ファンジオ)
ドライバーフィギュアの世界Part 7 (フライング・スコット ジム・クラーク)
4年ぶりにアップするドライバーフィギュアの世界は、1930年代の数々のレースで男性に混じって活躍したフランスの女性レーシングドライバー エレ・ニースをご紹介します。
エレ・ニース(Hellé Nice 1900~1984年)、本名マリエット・エレーヌ・ドラングル(Mariette Hélène Delangle)は、1900年にパリの南西70kmにあるオネ・ス・オノーという小さな村の郵便局長の娘として生まれました。
16歳の時にパリに出たエレーヌ・ドラングルは、当初は画家のヌードモデルなどで生計を立てていましたが、次第にダンサーとして頭角を現し、有名クラブや劇場で売れっ子ダンサーとして活躍するようになります。エレ・ニースという芸名もこの頃から名乗るようになったようです。
この写真を見ると、かなりセクシー系のダンスのようですね(^-^;
売れっ子ダンサーとして華やかな生活を送っていたエレ・ニースですが、1929年の初めにスキー中の事故で、ダンサーの命というべき膝の軟骨を痛める大けがを負ってしまいます。
このケガでダンサー生命を絶たれてしまいますが、スリルと華やかな世界を求める彼女が次に向かった先は、当時フランスで盛んになってきた自動車レースの世界です。
彼女のドライバーとしての才能と宣伝価値に目を付けたブガッティからのオファーで、ブガッティの本拠地モルスハイムで特訓を受けたエレ・ニースは、1929年12月にモンレリーの高速周回路で速度記録に挑戦し、10マイル平均194.266km/h(ベストラップ197.7.8km/h)の女子世界新記録を達成し一躍時の人となります。
エレ・ニースの初レース、第3回レディース自動車デーGP(1929年6月)で見事優勝を遂げた後、オメガ シックスの運転席でお化粧直しをするエレ・ニース。
1929年12月、速度記録挑戦に臨む直前のエレ・ニースと2L過給機付きBugatti T35。
この後、愛車Bugatti T35Cを駆って数々のGPレースやヒルクライム、ラリーなどで活躍します。
1930年6月にル・マンのサルト サーキットで開催されたブガッティGPに出場したエレ・ニース。
同レースで3位に入賞し、エットーレ・ブガッティの息子ジャンから祝福を受けるエレ・ニース。
1931年8月、雨のグルノーブルGP(7位)でずぶ濡れのエレ・ニース。
1931年8月、コマンジュGP(サン・ゴタン サーキット)において9位でゴール後、得意満面でカメラに向かってポーズをとるエレ・ニース。
後述する彼女の伝記“The Bugatti Queen”の表紙にも使われている有名な写真です。
Bugatti T35Cの戦闘力に陰りが見られた1933年シーズン途中からはアルファロメオにスイッチし、ブルーとライトブルーのツートーンに塗られたAlfa Romeo 8C 2300 Monzaを駆って活躍します。
1934年6月、VIII ADAC Eifelrennen (ニュルブルックリンク)に出場したエレ・ニースと8C 2300 Monza。
1935年8月、コマンジュGP(7位)のレース前にポーズをとるエレ・ニースと8C 2300 Monza。
この時期のエレ・ニースは、スターティングマネーだけで1レース当たり現在の価値で10万ドルを稼ぐスタードライバーであり、EssoやLucky Strikeなどからの広告収入もあって、豪奢なアパートメントに住み、超高級車のイスパノ・スイザを乗り回わし、華麗な男性遍歴を繰り広げるといった人生の絶頂期にありましたが、1936年に大きな不幸が彼女に降りかかります。
7月にブラジルで開催されたサンパウロGPに出場したエレ・ニースは、ブラジルの英雄デ・テッフェを追って3位で最終ラップの最終コーナーを立ち上がった所で突然コース上に転がり出てきた藁のバリアにぶつかりコースアウトしてしまいます。
コントロールを失った車はコースにはみ出さんばかりに詰めかけた観衆をなぎ倒し、40人が死亡し34人が病院で手当てを受ける(内6人はその後死亡)という南米レース史上最悪の事故を引き起こしてしまいます。
車から放り出されたエレ・ニースは昏睡状態で病院に運び込まれましたが、地面にぶつかる前に警備中の警官にぶつかったことが幸いして(その警官は死亡)一命をとりとめます。
サンパウロGPでの事故の瞬間の写真。
ぐちゃぐちゃになったエレ・ニースの8C 2300 Monza。
この事故は彼女のミスによって引き起こされたものではないため、却って彼女には同情が集まり、ブラジル政府からも多額の賠償金を受け取ったようです。
事故の傷が癒えた後も、ミッレ・ミリアやトリポリGPなどへの出場を目指して活動した様ですが、彼女をスポンサーしてくれる所はなく、戦争が始まるまでの目立った活動としては1937年5月にモンレリーの高速周回コースで実施された耐久速度記録トライアル程度しかありません。
このトライアルは、Yaccoオイルが自社オイルの宣伝の一環として企画したもので、女性だけの4名のチームで10日間に渡って昼夜兼行で走り続けるという過酷なトライアルです。
エレ・ニースはチームの一員として参加し、10日間の平均速度139.99km/hをはじめとする10個の世界記録と15個の国際記録の樹立に貢献しました。
Mat-Ford V8の運転席に座るエレ・ニースとヤッコ・トライアルチームの面々。
長い戦争もやっと終わり、またレース界に復帰しようとしたエレ・ニースに人生最大の不幸が降りかかります。
1949年1月に開催されたモンテカルロ・ラリーの歓迎晩餐会の席上、エレ・ニースのかつてのチームメイトでもあった名ドライバー ルイ・シロンから、「ゲシュタポの手先だった女が何故ここに居るのだ?」と公然と罵倒されます。
これは事実ではなく濡れ衣だったようですが、一度付いてしまった「ナチスの犬の売国奴」という汚名が簡単に消えることはなく、レース界からも追放され、一緒に暮らしていた年下の愛人が投資に失敗して財産も失い、愛人も去っていき、人生がどんどん暗転していきます。
晩年のエレ・ニースは、ニースの旧市街の港の裏にある安アパートに一人ぼっちで暮らし、慈善団体の援助に頼る困窮した生活の中で、1984年に地元の病院で誰にも看取られることなく寂しく世を去りました。
以前から母親や姉との折り合いが悪かった彼女の名前は、ドラングル家の墓石にも刻まれていません。
こうしてエレ・ニースの名前もその功績も人々の記憶から消え、歴史の中に埋没してしまっていましたが、2004年にミランダ・シーモア(Miranda Seymour)によって彼女の伝記“The Bugatti Queen”が刊行されて、戦前に第一線の男性ドライバー達と同じ土俵でハンディキャップなしに戦っていた勇敢な女性ドライバーが居たということが再発見され、その功績が見直されています。
二玄社から和訳版も刊行されていますので、もっとエレ・ニースのことを知りたい方はご一読ください。
エレ・ニースの1/18スケールフィギュアは、Scale Figuresというロシアのメーカーから素晴らしい仕上がりのものが発売されています。
このメーカーは最高品質の1/18スケールフィギュアを多数販売しており、以前からその存在は知っていたのですが、一般のミニカーショップでは扱っておらず、ロシアのメーカーということもあって入手ルートが分からず今日まで至っていましたが、やっと入手ルートを開拓したので数体購入してみました。今回の記事を書く気になったのもこの素晴らしいフィギュアを手に入れることができたからです。
前述の伝記の表紙にも使われている、1931年8月に開催されたコマンジュGPレース後の写真に写っているエレ・ニースを再現したものですが、得意の絶頂にある彼女の姿を完璧に再現しています。
CMCから発売されている、これまた完璧な仕上がりのBugatti T35に乗せて、コマンジュGPの写真を再現してみました。
彼女が乗っていたAlfa Romeo 8C 2300 Monzaの1/18スケールミニカーはどこからも発売されていませんが、CMCあたりに是非エレ・ニース仕様もモデル化してもらいたいものです。
私は私有していませんが、1/43スケールではMG Modelから発売されています。
このシリーズは過去にこんな記事をアップしていますので、ご興味のある方はお暇なときにご覧ください(表題をクリックすると記事にリンクします)
なお、赤字のヌボラーリの記事については、その後もっと出来の良いフィギュア―を入手したので写真を撮り直して加筆した改訂版です。一度ご覧になった方も再度ご一読ください。
ドライバーフィギュアの世界Part 1 (1/18スケール その1)
ドライバーフィギュアの世界Part 2 (1/18スケール その2)
ドライバーフィギュアの世界Part 3 (1/18スケール その3)
ドライバーフィギュアの世界Part 4 (1/12スケール)
ドライバーフィギュアの世界Part 5 (伝説のアルファドライバー タツィオ・ヌヴォラーリ)
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