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ヤマノカミのブログ一覧

2011年03月31日 イイね!

年度末ですが・・・

年度末ですが・・・あの、悪夢のような大地震・大津波から20日が経過しました。

今日は平成22年度の最終日。明日からは新年度のはずですが、今の状況ではカレンダーや曜日の感覚など全く無いのが正直なところです。

この災害により、4月の人事異動は凍結。
しかも、前のブログでも触れたように、職場を津波で失った私たちは、「根無し草」状態です。

関係先が市施設の一部を借りて開設した仮事務所に出勤し、間借りの間借り?状態で関係先の被害状況の調査を行っていました。

今週に入ってからは壊滅した自分たちの職場の整理をし始めました。
これは想像以上の状況で、建物自体は鉄筋コンクリートの骨組みがしっかり残っているものの、自分たちが仕事をしていた事務室には、ロッカーや机などの備品は一切ありません。
地震当日に2階部分へ避難させたパソコン関係も全て流され、津波の下流側となった屋外の側溝などで発見されました。一応HDDは回収しましたがデータの復旧は困難でしょう。

奥の実験室は事務室と対照的に瓦礫の山になっていました。破壊された実験台のほか、漁港付近から流されてきたと思われる漁網の塊、木材、自動車のパーツ、そして大量の土砂などで足も踏み場もない状態です。

ここ数日は、この瓦礫を屋外に片づけながら、使用できそうな品物をより分けています。
一部は使えそうなものが回収できましたが、電気製品はもとより、ほとんどの物が使用不能です。
ようやく目処は付いてきましたが、搬出した瓦礫の山を見るとため息が出ます。


この先のことですが・・・
明日の新年度ではなく、来週から組織の別部門が市内にあるので、その一室を間借りしての仕事となるようです。
またしても間借り・・・。本来の業務など行えない状態なので、何が出来るのか、何をしなければならないのか模索中です。


それと、不安材料はやはり原発ですね。
自分や家族の健康はもちろんのこと、関係先の復興に対しての風評被害が心配です。
一刻も早い事態の収束を願うばかりです。

Posted at 2011/03/31 23:27:13 | コメント(4) | トラックバック(0) | 日記
2011年03月27日 イイね!

3.11 地震・津波から、これまでの経過・・・

3.11 地震・津波から、これまでの経過・・・未曾有の地震、津波災害から2週間あまりが経過しました。

一部の方々とは、メール等で無事である連絡をしていましたが、気にかけて頂いていた方もいらっしゃたと思います。お陰様で無事でした。


少し落ち着いたので、これまでの経過を記録に残しておこうと思います。




2011.3.11 14:46  東北地方太平洋沖地震発生  M9.0 相馬市での震度:6弱

発生当時、私は職場におりました。職場は地震計のある相馬市街より震源に近い海岸線にあるため、震度は6強くらいあったのではないかと思っています。
当時、職場には出張などのため私1人しかおりませんでした。作業中でしたが、立っていられない程の揺れのため、屋外に避難しました。外に出ても建物、車、送電線などが、これまでに経験したこともないほど大きく、そして長く揺れ続けました。送電線の切断が怖かったので、敷地内のなるべく空が開けた位置に屈んでいましたが、地割れも発生し、それらを避けながら避難を続けました。

まるでこの世の終わりかのように感じられるほど大きく、長く続いた大地震が収まった後、職場の敷地内にある4棟の建物を確認しましたが、一部ひび割れ等はあるものの、大きな被害がないことを確認。職場周辺も、一部ブロック塀の転倒があったほかは大きな被害はなさそうでした。いわき市にある職場の本所に電話が繋がり、私自身と職場の建造物の無事を伝えましたが、そちらも混乱しており、被害の状況を把握しておらず、また何の指示もありませんでした。

建物内は書類や、棚等から落下した品物でメチャクチャになっていました。この時点で停電はしておらず、落下するも故障しなかったTVを付けたところ、大津波警報が出ていたため、まずは愛車レガシィを高台のホテル駐車場へ避難させ、職場に戻って2階で電話連絡を試みていました。

TVでは八戸や宮古の津波映像が流れていましたが、福島県の大津波の到達予想には40分ほどの余裕がありました。

程なくすると、市内に出かけていた上司と同僚2人が戻りました。この間に大津波警報は予想高さ3mから6m、6mから9mへと予報を変えていました。職場内への浸水に備え、パソコン関係を建物の2階へ移動した後、津波の到達予想時刻20分くらい前に職場に隣接する高台の旅館へと避難しました。


避難した場所から海の様子を観察していると、15:30頃に海の水が見たこともないほど引き潮になり、松川浦全体が干上がるような光景が広がりました。津波を避けるため沖へ避難しようとする漁船も、船底を擦りながら出港するのが見受けられました。

それを見た時、これはタダ事ではなく、大津波の襲来が予想されました。そして津波到達予想時刻の15:40分、それまで干上がっていた松川浦内に大量の海水が流入し、湾口部はさながら大河の濁流のような状態になりました。しかし、この時点では水位は岸壁を越えておらず、出遅れた漁船が濁流の中で必死に航行する姿が見えました。また、港付近や松川浦大橋の上を行き来する車も見られました。

そして、15:46分
最大波と思われる津波が相馬市松川浦に襲来しました。
それまでも数分にわたって海から陸地側へと流れる濁流の、更に数メートル上の高さがある大津波です。
松川浦大橋の橋脚の上部までの波高で、外海に面した港に停めてあった大型の漁船を一気に押し流し、港付近にあった自動車、建物全てを飲み込んで、あっと言う間に濁流と化しました。
私の職場も私たちの目の前で屋上部分まで津波に飲み込まれ、完全に壊滅状態です。
(トップ写真中央やや右、屋上の一部を残して完全に飲み込まれている建物が職場です)


目の前を流れてゆくのは瓦礫と化した建物、漁船、自動車、ホースが切れてガスを吹き出すガスボンベ・・・・・・
生きた心地がしませんでした。
最大波が過ぎて、職場周辺の水位が下がった後も、海から陸へ向かっての激流は休むことなく、16時頃までは流れ込み続けていたと思います。この間脚の震えが止まらなかったです。

その後、陸地に流れ込んだ海水は一気に激しい引き潮に変わり、十数分以上にわたり多くの物を海へと運び去りました。



15:46 大津波 最大波 松川浦大橋に来襲 ①
(デジカメのムービーから切り出しのため画質悪いです)



15:46 大津波 最大波 松川浦大橋に来襲 ②



松川浦の海岸道路を乗り越える大津波 ①



松川浦の海岸道路を乗り越える大津波 ②




この間、時折繋がる携帯電話とメールで家族には無事を伝えることが出来ました。

津波はその後も繰り返し押し寄せては返すのを繰り返していましたが、職場を飲み込んだほどの巨大なものは見られなかったので、暗くなる前に帰宅することにしました。幸いにも?作業中であったため長靴だったので、足場の悪いところもOKでした。
まずは高台伝いに藪をかき分け、レガシィの待避場所までたどり着きました。 そこで驚愕の事実が!!

そこは、自分自身が避難していた場所より高い位置なのですが、何とレガシィのタイヤが数㎝海水で濡れた跡がありました。(ホイルまでは行っていません)
慌てて海水が来たと思われる方向へ行ってみると・・・
外海に面した地域は高台の頂上まで海水が上がった形跡があり、そのすぐ下の位置までは建物のほとんどが流出しており、基礎だけが残っている状況でした。
この時、自分たちは松川浦の内側に面した場所にいて、地形的に津波の高さが低く抑えられたために助かった事を知りました。

道路も瓦礫で埋め尽くされており、未だに浸水したままの箇所もあり、車での帰宅は不可能でした。
そこで、高台伝いに歩いて帰宅することにしました。家まで6km、いつ帰り着けるのか不安でしたが、ここまで来たら歩を進めるしかありません。最初の300m程は繰り返す津波の動向に注意しながら崩壊した民家の間や、流出した基礎の上を歩いて、津波の被害を受けなかった高台の道に出ました。そこからは継続する大きな余震により落ちる瓦やブロック塀の倒壊に注意しながら歩きましたが、国道6号バイパス付近の低いところにたどり着いたところ、道路脇に大型の漁船が打ち上げられていました。辺りには流された自動車も多数散乱しており、倒壊を免れた建物には、2m近く上まで津波が来た痕跡が残っていました。ここから数百mの間は未だに冠水していましたが、長靴なら何とか歩ける水位で、足下が悪く時間が掛かりましたが、無事に国道6号バイパスまでたどり着きました。
辺りをみると、津波の被害を受けたのはバイパスから東の海沿いのようで、ここから内陸は無事のようでした。
しばらく歩くと、奥方と連絡が取れたので、少し手前まで車で迎えに来て貰いました。

自宅に帰ると、幸いにも予想していたほどの被害はなく、建物は問題なく、小物が壊れた程度で、家電、家具にも被害はありませんでした。ライフラインは水道が断水していましたが、停電はありませんでした。ネットも当日は接続できていましたが、翌日からは一週間以上にわたり不通になりました。
余震が続いていたので、TVで情報を入手しつつ、不安な夜を過ごしました。

3/12土曜日
この時点で余震や原発の状況など、どう変わるか不明であったので、朝8時に奥方のAZ-ワゴンに給油しました。この時点では若干の行列にはなっていたものの、満タンにすることが出来ました。その後の情報によれば、午後からはほとんど給油できなかったようです。更に、生活雑貨や当分の食料の買い出しにもいきましたが、この時点ではレジ1時間待ちの異常な状況ではあるものの、必要な物を買うことができました。
午後15:36 F1原発1号機水素爆発


3/13日曜日
自宅待機でTV等より情報収集、次第に被害の大きさが報道され始めたが、現場を見てきた者としては、その程度で済んでいる筈がないと思われた。

水道復旧? 水圧弱いが使用可能になる。

F1原発付近の放射線量増大
3号機でも水位低下、圧力上昇の危機が報じられる。


3/14月曜日
余震が落ち着き、津波警報も解除されたことから、徒歩で職場付近の状況確認に行く。
漁港付近にあった漁協施設の損害状況から、津波は十数メートルに及ぶものと推定された。
岸壁も大きく損傷し、観光地として知られる松川浦も地形が変わるほどの状況であった。

職場の建物は鉄筋コンクリートの構造物を残して、設備は全損。事務室内にはロッカーも机も残っておらず、漁網や瓦礫が散乱していた。2階部分に避難させたパソコン関係も全て流出し、業務関係のデータを全て失った。

自衛隊により道路の瓦礫撤去が進められており、レガシィを回収することが出来た。

11:01 F1原発3号機 水蒸気爆発


3/15 火曜日
自衛隊により職場付近まで道路瓦礫の撤去が進んだため、地震当日に避難した旅館駐車場入り口の瓦礫を自力で撤去し、職場の車2台を回収した。

6:56 F1原発4号機でも爆発。

上司から「自己判断により自主避難も可」とのメールあり


3/16 水曜日
雨のため自宅待機
TV等でF1原発の状況を注視
自主避難のための準備をする。


3/17 木曜日
F1原発の状況が予断を許さないこと、現在までのところ北よりの風のため、相馬市は比較的放射線量が低いと思われたことから、自主避難するなら今のうちとの判断に至り、午前2時に避難決行。
奥方の親戚を頼って、岩手県奥州市へ向かう。
ガソリン満タンにしておいた奥方のAZ-ワゴンでの移動。
折からの降雪で道路状況は悪かったが、相馬から国道113号線経由で宮城県白石市へ抜け、そこから国道4号線をひたすら北上。ガソリン不足もあってか、深夜の国道を走行する車の数は極めて少ない。
道中、断水が続いている地域などは、トイレ等の環境が劣悪な状況だった。
途中でパンク、スリップによる軽い接触などトラブルに見舞われたものの、午前9時頃、無事に到着。


3/18~3/20
親戚宅にて避難生活。
奥州市でもガソリンは入手困難な状況。

3/21 月曜日(春分の日)
午前3時からGSに並び、ガソリン2000円分を給油。

F1原発も状況悪化の傾向に無いことから、相馬に戻ることに。
19:30奥州市を出発
国道4号線、6号線を経由して23:30にう相馬に到着。
道路状況は極めてスムーズであったが、国道6号線は宮城県山元町地内、福島県新地町地内の数ヶ所で津波の爪痕が残る状況であった。

インターネット接続復活。


3/22 月曜日~2/25 金曜日
出勤、
職場の関係先が市内に設置した仮事務所へ集合
業務内容は関係先の被害状況の調査や、職場周辺へ行き、パソコン(データ復旧は困難と思われるが・・・)や使用可能な物品の捜索、回収など。


3/26 土曜日
自宅待機
朝8時からGSに並んで、レガシィに3000円分、19.3Lを給油。
更に、郡山在住の奥方の知人からガゾリン差し入あり。
非常にありがたいです。

3/27 日曜日
自宅待機
久しぶりにブログを書く(笑)


以上、ご心配をおかけしましたが、無事に生きております。




Posted at 2011/03/27 19:00:56 | コメント(13) | トラックバック(0) | 日記

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