上質な時間・・・って何だろう。
自動車で喩えると、高級車(高額車)に乗っている時間が、上質? ボロ車なら、低質?
いやいや、車の価格とか、新しいとかの物差しではなくて、
愛着のある車に乗っているときが上質な時間?
・・・
「高級」というものも、よくよく考えると、その物差しはなんだろうと、ふと立ち止まるが、
「上質」となると更に不可解になる。
綿の毛布は低質だが、毛織物は上質だ。
麻や綿は低質だが、絹は上質だ。
バーバリーは上質で、はるやまは低質だ・・・
上質とは、必要とされる性能をどれだけ満たしているか、点数をつけられたものなのだろうか。
その分、価格にも反映される。
では、「時間」ならどうだ。
儒家や拝金主義者なら、効率よく目的にあった時間の使い方を「上質」というのだろうか。
「充実した時間」と言い換えてもいいのだろう。
一方、老荘思想なら、「無駄な時間」「無目的な時間」「非効率的な存在」も「有意義なもの」と
みなされる。この思想なら、病に臥せっている時間、浪人時代、だって「意味がある」っていうんだろう。
しかしそれは、世間では「低質な」状態だとみなされている。老荘思想は、それにも意義や価値を認めるが、
やはり「低質」「上質」の区別をつけるのだろうか (その奥義では、仏教のニヒリズム=空のように
「区別」すらないところ・・・っていうんだろうなあ)
で、まあ、僕は、「世間」にすまわっているので、老荘思想の奥義や、仏教の奥義のように
「無という概念すらない無」だとか「空という概念すらない空」だとかにかかわると、爪弾きにあうので、
そうは考えずに (死ぬときは、その境地で笑顔で逝く予定にしている)、
「上質な時間」を考えて、ネット検索してみた。
上質な時間=贅沢な時間=希少な時間、であるようだ。
簡単にいえば、「上等な人間」の「上等な時間の使い方」のようである。
「上等な時間の使い方」とは、日常の必要から解き放たれた状態のことのようで
「リゾート」が代表的だ。
そして「上等な人間」とは・・・
面白いサイトが出てきたので、下記のURLを探ってみては?
一体誰と出会えるのだろう。
「上等な人間同士」の出会いが、必ずしも「上質な時間」をもたらすようには思えない。
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夢想世界 | 日記
Posted at
2016/02/28 04:29:50