2016年04月07日
僕の打ちたてた最後の政策が、歪んだ形で実現する
僕は、「人間の病」を治す仕事をしている。
しかし、僕には元々の仕事がある。
「社会の病」を治すことだ。
二つの病を治すこと。
昔から、重要な職域と考えられている。
さて、当地に引っ越して、暮らし始めて、
驚きの連続だった。
到底、「近代民主主義国家」とは思えない社会現象を見て取った。
田舎とは、地方とは、たくさんの「社会的病」を抱えていることを知った。
知事にメールをして、市役所で直談判、そのほか・・・
この地に僕がいるうちは、改革を断行する・・・という誓いを立てた。
最後の政策が、歪んだ形で実現した。
農業立県なのに、どんどん宅地化される。
農業生産力を高めなければならないのに、農地が減る。
人口が減るのに、市街地が拡散する。
富山市のようなコンパクトシティこそ、地方都市の目指すべき道。
下水増事業が大赤字で、特別会計を認めない連結決算方式の採用で
財政再建団体突入間近になった時期もあった。
実質第三セクター化された田舎の鉄道を守るべく、下水道設置地区外の
開発も優先された。
間違いだらけの農地政策。
当然、市役所にも訴えた。知事にメールをした。
農地を守れ。生産りょくちを守れ。
都市経営のコストを下げよ。
コンパクトシティを目指せ。
旧市街地の再開発を進めよ。
農地の世襲制よりも、新規参入者への道を進めよ。
本気で農業をしたい都会の人間の流入を促進せよ。
この点に関して、私は、恐ろしい事実を耳にすることになった。
農地転用において、実のところ、他県よりもはるかに緩く、
私などからすると、農地法を完全に無視したやり方で、
大幅に農地の転用が認められていたという事実を。
私が移住後2年目に、初任給の貯蓄をすっからかんにして買った
ZC11Sで走った県内各地。
そういうわけで、ああいう風景が生まれたわけだ。
知事も就任以来、県内の農地転用には疑問を抱いていて、
「厳しく運用する」と発表したら、
関係者から、「総スカン」を食らった。
もう、あほです。救いようがない。
この県民は、生まれて一度も、他県に出て行かない、駄目県民で満たされている。
中途にできる県民は都会に学んで、そのまま就職する。
極ごく一部、優秀なのが東大を出て、地元に戻って知事になる。
都会で中途半端に賢いのが、行き先を失って少しばかり田舎に来る。
その多くは、結局、田舎に馴染んで、何もしない。あるいは、無関心で何もしない。
あるいは、愛着も湧かずに、何もしない。
で、極ごく一部は、改革を試みる。
考え直した知事は、「法に則って運用する」と修正した。
修正はしたが、法に則った運用をしていなかったのだから、
ある程度は、厳しくなる。
表現は変えたけれど、他県並みの農地転用制限が期待できる。
僕は、二度と田舎に住まない。
田舎住まいなど下らない。
人生を一緒に歩む、同行二人の連れが見つからない。
知事とか公職の一部にだけ。
病院の中なんて、到底・・・。
「えらい」という文字でも、
その中身は、大きく違う。
人間の病気を治す医者と
社会の病を治す法曹家とは。
僕は、看護師の前に、社会を改革する法学士である。
「変える」と決めたことは「必ず変える」し、「変えて」きた。
「実現する」と決めたことは「実現して」きた。
それは、自分にできそうなこととできそうにないことを見極める、ということでもある。
移住して11年。当県における僕の取り組むべき課題は、すべて終わった。
すべて実現した(実現することが決まった)。
もう、こんな出来損ないの田舎に思い残すことはない。
あとこの地に、15年、20年住まわなければならない。
それは、生活費を稼がなければならないからだ。
むすめの中学受験で、満足する進学先がないならば、(宗教学校になど通わせたくない)
私の母校にでも入れよう。大阪に戻ろう。
職は辞するか、単身か、遠距離通勤か(アルトワークスの登場だな)
田舎には出会いがない。
人がいない。
気の会う人間がいない。
しかし、同じ田舎でも、もうちょっとましなところもあるのだが・・・
在来人こそ、頑張れ。これが最後のエールだ。
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Posted at
2016/04/08 00:19:53
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