2020年08月27日
②ぜひ感想を頂きたい
二律背反 アンチノミ― 相反する命題が同時に成立する
プロイセンの高名なる哲学者イマニエル カントは彼の哲学書『純粋理性批判』のなかで二律背反を説く。たとえば「宇宙に始まりや終わりはあるか」。宇宙の始まりはビッグバンだとカント以後の科学は説く。学者はそういうけれど、ではビッグバン以前には何が存在したのか。結局、人間の能力では捉えきれないのではないか。宇宙には限りがない、限りがある。説明されれば、どちらも正しく思える。相いれないことなのに。
宇宙に始まりや終わりがあるか、宇宙に果てがあるかないか、は私たちの日常生活には影響を与えないので、関心を持たないでやる過ごすことができる。そもそも、そういうことを考えない人の方が多い気がする。
しかし、生活に密着するする事柄なら、放ってはおけない。どこかへ移動することにしよう。仮に目的地を東京として、公共交通機関か自家用車かという選択肢を挙げて、どちらが「合理的」かつ「合目的的」かを考えよう。その条件として、東京で行われるイベントに家族5人で1泊で出かけるということにする。
家族5人ともなれば、新幹線に行くにしても、飛行機でも、夜行バスでも、交通費は5人分だ。自家用車なら一人でも5人でも同じ費用だろう。経済的理由から自家用車を選択するだろうか。否。自家用車では時間がかかりすぎて、イベントに参加できないとわかる。自家用車の選択肢は選べない。そうやって「目的」に適うように選ぶ。こうして目的を達成するために「合目的的」な選択がなされる。
残りの選択はどうか。5人のうちに環境問題に関心のあるものがいた。飛行機は新幹線の3倍の二酸化炭素を放出すると聞いたことがあるようだ。夜行バスも排ガスを出すという。環境問題を考えれば、新幹線が「合理的」だという。しかし親にしてみれば、経済の問題があり、新幹線の利用は経済的に「合理的」ではないという。
柔軟で寛容な精神をもつ集団が行う意思決定は、友人関係のように多数決と少数者の意見の反映とが両立しやすいと思われる。国家の政策であれば、競争原理に基づく能力主義と弱者救済の制度は両輪であるが、どちらに傾くかは、常に議論となるところである。いかなる人間関係、社会集団においても、ただ一つの原理のみが正しいということはほとんどない。それ故に、「白黒つけることは危険である」というのである。
20世紀に先進的な民主主義憲法を採用したワイマール共和国で、ナチスドイツの独裁が生まれた。民主主義的運営の結果、独裁を生むことになった。繰り返される国政選挙で、次第に得票率を増やしたヒトラー率いる国家社会主義ドイツ労働者党が得票率30%余で、独裁政権を確立した。第一党であるが国民の支持は30%余である。多数派になったからといって、自分たちの意見を押し通すのは危険であることを歴史が証明した。
人間は、そして集団においても社会においても、自分とは相いれない意見や価値、少数派の意見や価値をないがしろにすることは、間違いだ。一つの事象に、複数の価値が見て取れる。ただ一つの価値に基づいてのみ判断を下すのは危険を伴う、ということ。これは明らかとなった。多面的に解釈をして、この部分は良いが、あの部分ではうまくない。個人も集団も、柔らかな対応ができるようになると居心地がよくなるように思えてならない。すなわち、価値の多様性を認める、ということだ。
ブログ一覧 |
パンフレット | 日記
Posted at
2020/08/27 04:09:57
今、あなたにおすすめ