2024年04月19日
西洋政治思想史 が人気のゼミ?
京都大学法学部
ま、いろいろ書きたいが時間もないので、
資料だけ。
京大(法)だと、そのゼミが人気を集めるのか。
だとすると、彼がいうように「同級生で経済的に困窮するものがいる」というのは言いえていると思おう。
また、自分は京大(法)だったら、生涯の友を得た可能性はあるなとも思う。
でも、可能性だけだな。
僕だって、ゼミで、監獄の誕生 も 人間不平等起源論 も ゼミでやったが親交は結べていないな。
中堅でプライドがないから実益を得ている、と言えるのだろうな。
京大、というプライドが実社会との距離を作るんだと思う。
もちろん、うまくやる奴はうまくやるのだけれど。
平野啓一郎
私の京都大学での恩師は、もう退任された西洋政治思想史の小野紀明先生で、京大に行って、色々と良いことはあったが、私にとっては、とにかく先生との出会いに尽きると思う。
恩師とはいっても私は学士に過ぎないので、大学院で日常的に先生の謦咳(けいがい)に接していた本当のお弟子さんたちとは違って、せいぜい、講義を聴き、ゼミでお世話になっただけである。しかし、卒業後、個人的におつきあいさせていただいていることも含めて、私にとっては文字通り、人生を変えた大きな存在だった。
みずからの軽率さを意識した恩師のひとこと
思い出話をし出すときりがないが、先生の講義に衝撃を受けて、これはなんとしてもと既にかなりの人気だったゼミに滑り込み、多分、二回目か三回目かのことだったと思う。その年の課題図書は、プラトンの『ソクラテスの弁明』とルソーの『孤独な散歩者の夢想』で、話題が「自然」観に及び、先生に意見を求められた時だった。
私は何も準備をしていなかったが、「自然というのは、いわば〈暴力〉だと思うんです。……」と、手短に思うところを語った。先生は最初、どういうことかなという表情をされていたが、最後まで聴き終えると、やっぱりそういうことかというふうに、何とも言えない〈苦微笑〉を湛えられて、「バタイユだな。」と一言だけ言われた。――そう、私はその当時、ジョルジュ・バタイユに凝っていて、『エロティシズム』の中に出てくるその自然についての一節を、特にバタイユの名も挙げずに、ほとんどそのままパラフレーズしていたのだった。私は決して、心にもなくそう言ったのではなく、事実、バタイユの思想に共感していたから口にしたのだったが、先生のその一言で、何とも言えず恥ずかしくなり、本当に、穴があったら入りたい気分だった。
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Posted at
2024/04/19 03:28:51
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