
2時にはロープウェイ駅に到着した。フェリーの時間まで観光となる。
隣の隣の谷筋。別子銅山を目的とした。
愛媛県。意外と遅いのね。車の流れ。そうだった気がする。
だから松山市内のR11号でオービスを焚いた記憶がある。
ケーサツは全国ネットのサービス網だからね。これケーサツ見解ね。
実際彼らは無職(当時)の僕のなけなしの懐から、冗談をかましながら、大枚を抜き取った
窃盗団だということになるがね(笑)
ま、お国のために尽くしたわけだが(国庫も立派な国家ヨン差の一部である!
だから寄付扱いにしろ! もしくは損金扱いにしろ! ってね
さて、本線に戻して、銅山の手前に旧住金(最近、日本製鉄に名前を変えたっけ)の博物館がある。
それは銅山の神社の境内にある。
写真からは鉱山労働の厳しさはあまり伝わらない。
しかし現地に行けば、隔絶された世界にひとつの空間の中に閉じ込められた社会の痕跡を見る。
海によって隔絶された、軍艦島、とはまた違った世界の広がりではあるが、質は同じである。
銅精錬の四阪島のこともある。公害問題史で必ず語られる、愚策であった・・・。瀬戸内海に移す、
街から遠く離す、高い煙突を建てる・・・自然現象を理解していない(もしくは目を瞑っていた)人々。
こんな姿を見て、神様はいつも諦め顔で笑っておられるだろう。
(いや、その主体は俺のことだろう)
東洋のマチュピチュとはおこがましい。マチュピチュ好きの彼女を連れてきたら、その場でフラれてしまう。
連れてこられたペルー大使夫妻も、苦笑い、愛想笑いで、疲れただろう。
しかし、当時の生活を知るにはよい訪問地である。
日本に存在した大規模鉱山の遺跡。そう考えれば何も悪くはない。
大きく出るから、残念観光地になる。
あくまで、学習の場として考えれば、よい土地である。
銅山跡地は24時間解放されているので、肝試しもできようか。
朝一番に行けば降りてくる車と、夕方遅くに行けば、下ってくるときに車と、
すれ違いがなくてスムーズである。それくらいアプローチは狭いので注意されだし。
C70でも苦にならなかったのは、そういう事情があってのこと。
なので道の駅に戻ったときには、多くの食事場は閉鎖されていて、ただ温泉場だけが開いていた。
フェリー乗船開始は20時。時間は十分にあった。
20時改札なので、はじめの部分は切れたが「西郷どん」を見逃すことはなかった。
(むすめは先に徒歩乗船させた。私は車だが、先に大型を乗せるので待ち時間が長かった)
Posted at 2018/07/01 00:06:00 | |
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ドメスティック遍路 | 日記