2016年06月04日
東海道の或る宿場町に
どうにも流行らない旅籠があった。
金勘定が悪くなると、女は煩くなるのはいつの時代も変わらない。
それはどうしてかという心理学上の学説は、ここでは取り扱わないものとして、
だんなさんは、毎日街道に出ては、旅人を客引きするのだけれど、
どうもこの古びた旅籠を見ては気味悪がって、去っていってしまう。
おかみさんは、怒鳴るんだよなあ。
今日食べられない、明日こそもう食べられない。もう人生おしまいだ。お陀仏だ~って、
ヒステリックだから、もうだんなさんもやってられない。
今日こそは、お客を連れて帰らないと、おかみさんから何をされるかわからない。
だんなさんは、必死の形相なんもんだから、どんどん人は寄り付かない。
そこへ、小汚い身なりの一人の旅人が、もう夜も遅いというのに宿が決まらずにいるらしい。
これを旅籠へ引っ張ってきて泊まらせたっていうんだ。
おかみさん
「あんた。大丈夫なのかい? お客を連れてきたのはうれしいけどさ。あんな風体のやから。
お代はちゃんといただけるのかい?」
だんなさん
「まあ、よくみろうい。あの恰好だが、日焼けしてほちけているにしても、元は上物の正絹の羽織と見た。
ありゃあ、お江戸の何処か大棚の御曹司みてえな野郎が、勘当でもされていく当てがないから旅にでたって
くらいのことだろうよ。いざとなりゃあ、その親に勘定を回せばいいことさ」
おかみさん
「あんたって、ほんと、いつもお気楽だねえ。それ、信じてもいいのかい? どうせ、明日にでも
首を括ろうってくらいなんだから、いまさらどうあがいたって。どうにもならないけどさ」
そして、その旅人を泊めたがいいが、いつになっても経とうとはしない。どれくらい長逗留するのか
だんなさんも、おかみさんも、見当がつかない。
思い切って、客に訊けばいいもんだが、追い出すようで気が引ける。
それでも、お代のことが心配になってくる。
おかみさん
「あんた。もう何日目だい? 大丈夫なのかい? どうみてもこれだけ払えるようなもんじゃあないだろう。
いつ経つつもりなのか、お代は頂けるのか、あんた、訊いておくれよ」
だんなさん
「ああ、それもそうだなあ・・・」
女ってもんは、いつでも、嫌な仕事は男に押し付けるってもんだ。
ああ、これが愚痴ね。
だんなさん
「あの~。申し訳ないですが、いつまでここに・・・」
客
「ん? いてはいかんのか? 私以外に客もないようだから、出て行かねばならぬということもあるまいに」
だんなさん
「いやその~・・・。うちのかみさんが、お代のことを心配しておりまして・・・」
客
「ああ、そういうことか。そういうのならば、明日、経つことにしよう。それでなんだが、
筆と絵の具を用意してくれ。それと、あの古びた衝立、あれをわしにくれんか。よいだろう?」
だんなさん
「あの、薄汚れた衝立ですか。くれといわれても、どこへ運ぶおつもりで?」
客
「いやいや、なにも持って逃げようというのではない。あそこへ絵を描いてみようとおもうのじゃ。
もう、あれは使ってはおらぬだろう。よいだろう?」
だんなさん
「いや、まあ、その・・・」
で、気のいいだんなさんは、筆と絵の具を用意して・・・
次の朝・・・
おかみさん
「あんた! 来てよ! もぬけの殻だよ。 あ~あ、やられちまったよ。 もう首括るしかないよ。
あんたが連れてきた客、なんだよ、あれ。あんたが昨日、客は今日経つから、お代が入るって
喜んでさあ。それなら筆や絵の具なんて安いもんだと、ない銭集めて買ったのにさあ。
世の中ひどいもんだねえ。あんたは、ほんとにお人よしさ」
だんなさん
「ああ、まったく。俺は馬鹿だよ・・・」
だんなさん
「え~っと何か残していっていないのかな。・・・。何にもねえや。衝立は残していってやがる。
なんだ、これは。すずめの絵か。どうだかねえ。すずめねえ。
鶴とか鷹とか、こうお目出度いものを描こうって気にはならなかったのかねえ。
まったく、絵までもひでえもんだ」
あきらめて下へ降りていくと、上ですずめの鳴く声がする。
いってみると、衝立のすずめがいなくなって、部屋にすずめが・・・
「衝立から、すずめが抜け出た!」
これが評判になって、この旅籠のすずめを一目見ようと客が大勢よし寄せて、大繁盛になった。
おかみさんは、お金が入って、大喜び。
だんなさんは、おかみさんに顔が立って、大喜び。
実は、泊めたお客が、腕のいい絵師で、都合、そういう風体で気ままな度をしていたって話。
あるわけないよね~。
Posted at 2016/06/04 22:46:47 | |
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千夜一夜 | 日記