24日の朝に中学でに電話をし、教育委員会と対応を考えるとのこと、
同日15時には返答の着信。
25日朝に確認。
校則に定められている制服の着用を求めるも、私服通学を強行され場合には、
娘に不利益のないように対応するとの返事を頂く。
ただし、他の生徒に対する指導上の問題からあくまでも制服の着用を求めるとのこと。
しかし、こちらもあくまでも法律的に校則の存在や校則で制服を強制する根拠がないために従うことのできないこと、国内の公立中学に制服、校則のない学校が存在するのに同じ利益を得られない(行政は広く国民に平等の利益を与えなければならない)のは不平等だと主張。話は平行線。
話し合いはここで終わりとし(両者の正義は相容れない)、他の生徒への影響、他の生徒や保護者からの何がしかの行動があったときに、再度話し合いをしましょうと電話を切った。
問題を大きくしないことで、裁判沙汰にもならず、学校側は校則という生徒支配の強力な武器を失うことはなく、こちらも私服通学という利益を得る、
ウィンウィンということなのだろう。
ここまで復習。
これを受けて、保護者からどのような反発を食らうか(評価されるなどと考えていない。当方の県民意識を考えてみれば)予習しておく必要があるだろう。
そう考えて昼休憩、同年代の子供を持つ母親たちに尋ねてみた(一部再雇用者)。
私服通学や校則の是非について
まず法律論として「校則を正当化する根拠法がないこと」「表現の自由、自己決定権、児童の自律性養成の憲法、教育基本法に反するということ」を説き、同じような民主憲法を持つG7の国々で制服のないことを解きかつ制服や校則のない公立中学の存在を示した上で
(だからといってそうした法律論を彼女たちが理解したとは到底考えなくていい。たとえば、基本的人権に関する憲法の規定を諳んじることができないのであるから。その国の憲法も知らずに、堂々と国民としてききられるのが不思議でたまらない)
返答
1)校則は守らないといけない
→法律に根拠なく、自由を奪うことはできない
⇒法律論は理解できない。
2)制服にもいろいろあるし、スカートが嫌ならジャージを履ける。
→娘はそんな不恰好はできないという。それならズボンだね。暖かい。女子は身体を冷やさないほうがいい。
⇒とにかく制服を着せたい。
3)一人私服では浮く。
→個性の尊重、個人の価値観の尊重という人権主義はどこへいった?
⇒個人の法益よりも公共の福祉が優先される。
→戦前のままだ。
4)制服で学校を選んで勉強を頑張る(高校の場合)。
→すべての学校で自由服なら、制服で学校を選ばなくていい。立地、学力、学校の特色(もっと合理的、合目的的なもの)で選択できる。どの学校でも好きな私服であろうが制服であろうが着たらいい。
5)情熱さん自身は私服で通ったか?
→高校で自由服の学校があったが学力が逢わず選択できなかった。4)にも関わるが、希望の服装の学校があっても、実力より下だったら、選択肢から外れるのではないか? 服装を理由にする選択は難しい。
6)校則は守るべきもの。
→校則ありきではなく、なぜその校則があるかを考えることからはじめなければ意味がないと解く。
⇒理解できない。
7)これからのトレンドであると説いても、受け入れられず。
結論。もっと調べると、公立中学だけでも、50くらいの学校は私服通学を認めている。
この地方の県民性はあまりにも蒙昧。啓蒙が必要。県人権局に訴えて、毎年の人権研修が「時間的に増大した」とはいえ、受け手の人権意識は到底、民主主義国家、人権国家の国民たるに全然足らない。
校則ありきの考えを、法治国家の基本的な法律上の、憲法や法律に規定のあることそれに反しないことの検証ができない。
蛇足だが、こうも加えたが理解されなかった。
制服のために人物評価が限局されて、女なら顔、男なら成績で
もてるもてないが決まる。まがりなりにも一夫一婦制の制度において
迷惑だったと述べたが、「理解できない」と。
制服との関連が。
私服なら自分をよりよく見せようとするひとが評価されるのだから
評価軸が増える。服装に無頓着な僕は、もっともてなくて安穏としていられた
というわけだ。
美人だからといってもてたとしても、それが必ずしも恋愛とは結びつかないことにもある。やりたい放題の今ならいざ知らず、かしこまった昔の時代なら、
いらぬ誤解や嫉妬戦争に巻き込まれ、恋愛に関心のない僕に勉強の環境を与えない。
さてはて、
地方でもトップ校は私服だという県も見受けられるのだが。
地域で、こんなにも対応が違うとは。
ここを住処にして、大損こいた。
こいたが、後悔ばかりでは始まらない。
この地では初の試みらしいが、日本では、もう当たり前のこと。
詳細は省略するが、当県と三重県の比較など、とても面白いのだが。
ホンダやパナソニックの工場がいくつもある。悪名高き石原産業もある。
工場労働者確保のためポルトガル語母国語の児童もたくさんいる。
そういう環境だから三重はこれほど開明的なのか。
日本(当県)は欧州よりも2周遅れている(1周は100年。今年は明治151年だが、あの頃よりも内向きで)。
当然といえば当然。2000年前に既にかなりいかれた文明があったのだから。
到底追いつけない。追いつけないが、追いつこうとする精神が見られないのは、もっと悲惨。
大陸は競争が激しく、優秀なDNAが生き抜いた。
島国は同等圧力の下、競争がなく同質社会となった。
なんと不幸なことか。
生まれだけで、こんなに不平等とは。
Posted at 2019/12/27 00:59:23 | |
トラックバック(0) |
私服登校 | 日記