人の上に立つ職業に就いたなら、人倫に悖るような行為は慎まなければ失職する。
そのルールを護れなければ、抹殺される。
むすめが、あるいて図書館まで行って、「素数ぜみ」の本を借りてきた。
数学の本かと思ったら、昆虫生態学の本であった。
13年ぜみと17年ぜみは、子孫をの残せるが、14年ぜみは残りにくいというのである。
素数は、最小公倍数が、数少ないから、異種との交雑の可能性が少なくなり、子孫を多数残せるが、
そうでないものは、繰り返し、交雑による「不実」が起こるので、子孫を残せず、個体数が減っていくというのだ。
なので、せみは、幼虫の成熟よりも、とにかく時間の周期で、地上に出ないと「実りある交尾」が
できないというのだ。
こうして多数派が残り、少数派か消滅するという。
まあ昆虫なぞは、交尾の快楽と子孫を残すことだけを考えればそれでいいのである。
未開人も、セックスの快楽と子孫繁栄=所属集団の存続を考えればよいのだ。
そこへ中途半端な文明が入ると、王様だとか産業だとか軍隊だとか、ややこしくなる。
それでも、大多数が貧しい間は、何とか纏め上げられるけれど、
もう十分に豊かになると
快楽だけ。自己の存立だけしか目に入らなくなるよね。
ずっと、しこっていられればいいんだろうなあ。現代人は。
僕はそう理解する。
それで僕は少数派だから、どうにもならない。
同僚のおばさんが、結婚に当たり望んだ条件を話してくださる。
2、3の条件。
僕ならどうだろうか。
共稼ぎで、家事分担あり。休日の外出。
この3つだけど。
前2つは当たり前だと思うけれど、それが難しい。
家事分担というやつが。
休日の外出も、「流行の軽薄文化」は否定されているので、難しい。
始発電車に乗れるだけの早起きさん。登山のできる丈夫さん。
このあたりで、沈没である。
人間の場合は、交雑による「不実」が無いので、
交尾の機会の多いほうが多いほうがよいのである。
なので、多数派は、僕のような純粋な「素数」人間ではなくて
雑多な「倍数」人間のほうが子孫を残す機会が多いのは当然である。
職場で、くだらぬ労組が、ディズニー格安ツアー? を出してくる。毎年恒例。
「いかないよね? こういうとこ。神社とかお寺好きだから」
「まあね」
「夢とかないの」
ネズミーランドの夢って何ですか?
あそこに、ごみがないのは、「道徳観」が優れるとか。「倫理観」が交渉だとかではなく、
単なる「労働の成果」だからね。
なので、ネズミーランドの掃除人も、一歩敷地外に出れば、ポイ捨てくらいしてるんじゃあないかしら?
来園者だって、円満な家族かどうか。カップルも純愛かどうか。怪しいもんだな・・・。
夢って、現実社会に求めるものだし(理想社会とか、自分の理想とか)
別にお寺が好きっていうより、それくらいしか、歴史を見ると来ないでしょ、って。
お城も好きだし、町割りだって、好きだけどね。 柱状節理も海食地形も好きだよ。
フランスはもっと好きだよ。今日も、2枚CDが増えたもん(笑)
Posted at 2016/02/11 20:41:52 | |
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夢想世界 | 日記