
川を辿りながら、東山通りへ下りてくる。
いかにも川ですという「はっと」がある。マンホールもあって流れが聞こえる。
この先、建仁寺の境内になる。その手前の月極め駐車場の奥、お寺との堺に
川らしき暗渠とフェンスを発見。
正確には駐車場には不法侵入なのだが(別件逮捕などの場合には注意(笑))、
実際に川の音と来し方と行く方を確認。
建仁寺境内に入るだろうと容易に推察できるが、回り道を余儀なくされる。
安井金毘羅神社の前には、最近有名になった巨大綿菓子屋があった。閉店間際に滑り込んで
頂きながらの散歩。
その境内の脇に、雰囲気に溶け込んだラブホテルを発見。
ま、このあたりは花街でもあったのだから・・・
鴨川まで下っていくことにするが・・・
その先、クランクに雰囲気のある町並みが現れる。
まっすぐはどんつきのようだが川の流れを確認したい。
すると背後から「その先は進めない。袋小路だ。先へ行くな」と失礼な言葉が聞こえる。
ふりかえるとカメラを提げた老人がいる。
「分かっているが、川の流れを探している」といって、カメラを構える彼の前を割って、こちらが先に写真を撮った。
すると
「お前はこの価値を分かって写真を撮っているのか? ここが何か分かっているのか?」
「人はそれぞれに旅をしている。私たちは今日は川の流れを探っている。ここがどういうところなのかは、帰ってから調べる。指図されるいわれはない」
「何も知らないで写真など撮るな。ここに立ち入るな」
「ここは公道だろう? 何の制限がある? 人それぞれに楽しみを持って旅をするまでだ。人に口を聞くときは、もっと謹んで言葉を選ぶべきだ」「で、そういうからにはあなたはここはは何か知っているのですね?」
「もちろん、ここは昭和、1900年だな、文人が花街の舞妓などと、安井神社の周りはラブホテルが多くあったろう」
「わかっていますが、子どもがいるのでそんなことはいわないでほしい。連れ込み宿なんでしょう。で、1900年は明治33年とか34年とか。年代が全然違う。」
「日本の年号はややこしいんだよ。そんなこといわれたら。昭和、戦前だよ。1910年」
「1910年?大正になるかならないかだよ。昭和じゃあない」
「そんなことはどうでもいいんだ。この先もちょっとそうした雰囲気があるけど。とにかく何も知らないやつらが来て荒らされるのが困る」
「そんなこと僕に言われても困る。旅行者が増えて困るというのは理解できたが。とにかく口の聴き方がなっていない・・・」
どこかへ足早に消えていってしまった。
ま、彼にここの地の由来をしゃべらせたので、僕としてはOK。
むすめは、所詮女。こういうのはあまり好まないらしい。
そして、この一見を元カノにLINEで・・・応えて曰く「ほっとけばいいのに」
女って、面白くないね。血を見ない戦いは、進んで為すべし、だよ。
第一に、ストレス発散になる。勝てばなお。
そして、相手から某なの情報を得ることができる。
一挙両得なのに。
人類史は不幸にも二つの「愚行」によって発達してきたのである。
一、戦争。それは文明を飛躍的に発展させる。ひとつに科学技術、二つに戦争回避を目的とした平和運動(=文化活動)。
二、性欲の遊戯化。 性欲を弄ぶために、昔は文芸を、現代はサブカルチャーを駆使する。遊ぶ時間を作るために労働における生産性を向上させてきたし、コミュニケーションツールを発達させてきた。人間が、言語を発明したのは、僕の学説では、生殖行為を達成するためではなく(=子孫を残し家庭を築くパートナーを見つけ、共同体を維持するため)、ではなく性を弄ぶために、無用に他者と交わるためだと、仮定されるのだ。
みなさんも、旅先で傲慢な地元民に出会ったら、どうぞ逃げるのではなくして、彼から持てる知識を引き出して、自分のものにしてくださいね。
Posted at 2017/07/10 00:17:05 | |
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