ビリー ホリデイ と ルイ マッケイ の話を知っている方はいらっしゃいませんか?
昔、浜村純 が 二人を題材にした映画を紹介していました。
例の彼の調子ですから、映画を見なくても、あらかたストーリーが分かってしまうというのも。
麻薬におぼれて、それでも歌手を続ける。昔の恋人 ルイ マッケイ との再開。献身的な彼の支え。
それでも彼女は足抜けできない (それは彼女のせいー意志が弱いーというよりも麻薬の中毒性について
その時代が不十分であったということ。 よい更生法がみつかっていない(今だってそうだけど)
牢屋に放り込むよりも、更生プログラムの開発と適応こそ求めること)
その献身的な「愛」にもかかわらず、(当然なのだが) 彼女は麻薬中毒によって生涯を閉じる。
こうした「昔かたぎの愛」は 昔のアメリカには、いささかの宗教国家としても面目躍如、
このように存在したようだ。
さて、先日、高知 東生 氏が麻薬所持使用にて逮捕され、配偶者の高島礼子 女史の
進退をマスコミが、「追及」している記事がありました。
(こういうゴシップもよむのだよ。「時代」を知るために)
で、ヤフコメだが、
「離婚しろ」が大勢であるが、
一部には、高島 女史の 性格性向を見抜いて、
「尽くすだろう」と書くものがいる。
清原 氏 の場合もそうだが、
あるいは、多くの「不倫」のケースもそうだが、
「婚姻関係を破綻させるような裏切り」があったとしても、
なお婚姻関係を継続すること、を選択することも、
人生の選択肢の一つだと考える。
いやむしろ、そちらの道を進むほうが、より「人間的な性質の持ち主だ」と考えるのだ。
つまり、「自分にとって都合の悪いこと」にでくわして、それをただ排除するだけの人格は
「子ども」に由来するもの。
「大人の精神」は不都合なものを、なにがしか受け入れて、うまくいなしていくもの。
そう考える。
ところが、今の時代、都合の悪いことがあると、即「さようなら」。
このような「薄情な時代」でいいのだろうか?
「本物の愛」「アガペー」などとカキコしたら、
青ポチ連打だったよ。
なるほど、幼稚なわけだ。
噛めば噛むほど味が出る昆布
よりも
インスタントだしの素
が好かれるはずだ。
都合、次から次へとタクシーのように乗りうつる若者たちの恋の理由がここにあるように思う。
もちろん高確率の離婚とね。
Posted at 2016/07/02 03:51:19 | |
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家族模様 | 日記