2015年12月15日
新年も近いし、年賀状も買ったし。
人生の目標。
そりゃあ、生きとし生けるもの、すべてが幸せになればそれに越したことはない。
でもなかなか難しい。それに対する僕の責任は、本当にちっぽけなものだし。
まあ死に際にむすめから「お父さんのむすめでよかったよ。ちょっとさみしかったけど、
ずっと楽しかったよ。ありがとう」といわれること。ただそれだけでよい。
あとは知らない。テロがどうとか、近隣国がどうとか、放射能がとか二酸化炭素(メタンでもフロンでもいいけど)
地震に津波、竜巻とか、なんでもいいや。
それでもさ、今年は、驚くほどに二人も死んだ。憎むべき相手が。
自殺と退職直後からの癌。そんなことあるのか。
呪殺成立・・・(違うよ。そんなふうに因果を絡めてはいけないよ)
神仏の前で「世界中が幸せになるように」と強く願ってきた僕が、
近年は、呪い節で、「たまには自分の個人のわがままな願いもよかろう」と
(そんなこと願うから=他人を蹴落として自分がよくなることばかり願うから、世の中よくならないのだと、神も嘆いているだろうけれど)
「憎きやつらの命を奪え」と願っていたら、とうとう。
ほんとうに息が詰まりそうに驚いた。
ほんと、そんなことしちゃあいけないよ。
でも、僕にその力があるのなら、あと数人殺してしまおうか。
でも、よくいうではないか。
悪い願いをして叶ったら、その分自分にも降りかかると。
それでもいいのか お百度か。
「あとすこし、あいつとあいつと・・・亡き者にしてください。神さま」
来年は誰が死ぬのか。
ことによると僕かもしれない。
むすめかもしれない。
なにしろ、神さまほど、いけずなやつはいないから。
(すべての不幸を作り出しているのも、神だといえるからね)
Posted at 2015/12/15 21:57:26 | |
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雑記 | 日記
2015年12月15日
秋にサンライズに乗って東京に行きました。
文京区、白金あたりはとても閑静な住宅して、同じ東京でもあの辺りなら住みたいなと
感じました。
早稲田近くの神田川沿いに桜並木があって、その外れに芭蕉庵があって、
なんたら文庫では「春画展」をしておりました。(とてもむすめ連れでは入れませんが)
そのあと、湯島から御茶ノ水辺りを散歩しました。歴史の残る地区ですね。
ニコライ堂。 ギリシャ正教の教会。
先の文京区の関口教会(日本カトリック総本山)よりもずっと感じがよかったです。
こんなクリスマスなら大歓迎です。
主よ。僕と遊んで。
僕が聖職者(オルガニスト)なら、こんな題名の曲を作りたいです。
追記
笑い話
お日柄もよく、休日の関口教会の聖マリア教会は(地下聖堂はミサの時間外で閉鎖中)
結婚式が目白押し。
あれこれと指示だししている女性が「見学者はお席に」というので
「こちらはお参り(心の中にいる神との対話)に来ているのに」とカチンときて、立席でいました。
(教会は祈るところ。結婚式場でない。ましてや金儲けの!)
何枚か写真を撮ったところで
「no picture !」って
日本語に指示に従わなかったからですか?
僕は何人ですか?
結婚式を型に嵌めて商売しているカトリックの洗礼は受けまいと確信して参りました。
でもね、もう少し長居をしたら、結婚式がはじまって、日本だ最大級のオルガンを
きっと効けただろうなあと思うと、残念です。
Posted at 2015/12/15 21:17:43 | |
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雑記 | 日記
2015年12月15日
今夜はシトロエンC3見たし、気分よかった。
やっぱり女子が運転していた。
赤がよく似合うと思った。
パリの町並み、昔の方がやはり美しい。
ジェミニはもう買えないからC3・・・
Posted at 2015/12/15 19:56:54 | |
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車一般 | 日記
2015年12月15日
上記のキーワード検索だけでも、さまざまのことを知ることができる。
他県の取り組みだって・・・。
いのなかのかわずの本県職員によませたいな。
Posted at 2015/12/15 14:41:10 | |
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雑記 | 日記
2015年12月15日
「はじめから、差別はありませんでした」
なんて、うそっぱち、やめたほうがいい。
歴史から差別を消し去ることはできない。
差別するほうは忘れても、差別された側はいつまでも記憶する。
社会制度ともなれば、公的記録も存在する。それを規律する法律も存在する(した)。
それらに対する学問的記憶は消滅しない。
もし、差別がないなら、救済すべき対象もないはずだが。
同和がないなら、同和問題もない。
そもそも存在しないのか?
いや、過去の、間違いも多かったろうが、それなりの努力(ときには人生も命もかけた戦いだった)
その過酷な努力の末に、「そんなのもとからなかったんだよ」とのうのうといえるだなんて。
差別の中で流された血と汗がそんなに簡単に消え去るものだろうか。
差別の解消は、
「人間は過去において差別をしてきた。社会構造に差別を取り入れて、社会の存続を図ってきた」
「しかし、不断の努力により、「自由と平等」のみことばのもとに、その解消が図られてきた」
「社会全体の生活向上にあわせて、被差別地区も、被差別民も、その生活水準の向上が図られた」
「一般人には、大方の差別は解消されたように見える=日常生活で差別を意識することはなくなった」
しかし、また世界は「格差社会」の形成に勤しみだした。
もてるものは、「これは僕が、僕の努力で稼いだものだ。誰のものでもない。誰にも与えない。
彼らが、貧しいのは、彼らの努力が足らないからだ。あるいは、成功に対する意志の弱さだ」
といい、
貧しいものは、「彼らのおこないは、横暴で、不道徳、神の教えに反する」などという。
不当な暴力に訴える。でなければ、腐る。
歴史に学ぼう。
差別の解消に向けて。
知らない。そんなのない。
それでは、また繰り返す。
差別に対する不断の関心。
人間理性を信じて。
自由と平等を求め。差別を嫌う、人間理性を信じて。
完
Posted at 2015/12/15 14:39:26 | |
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雑記 | 日記