
ブルボン王朝初期のアンリ4世がナントの勅諭で、プロテスタントにカトリックと同等の権利を与えたことで、フランス社会にもプロテスタントが増え、社会は豊かになりました。しかしブルボン王朝最盛期(?)ルイ14世が、若いころの放蕩を妻になじられ浮気を疑われどうしようもなくなったとき、彼はプロテスタントを否定しました(プロテスタントは複数回の婚姻を認めるので、妻への忠愛の表現のため、永遠の愛を誓うためにそうしたのですね)。それ以降フランスの宗教はカトリックが中心となりました。おかげでフランスの産業革命はイギリスよりも遅れてしまいましたが、教会はいい状態で残ったのではないでしょうか?
世界遺産の教会を含めて、カテドラルには塔や屋根裏、屋根の上に上がることができます。教会は町のどこからでも見える場所に立てられますから、その屋根に上れば、反対に街中がすべて見渡せるわけです。内陣の上の部分にも土足であがることができるというのは、宗教上問題がないのかと思いますが。許されているので、それはそれでいのでしょう。
写真のマリアは、ブロンズ製で金箔が施されています。この教会が建てられたときに、隣の12世紀に建てられた礼拝堂の屋根に置かれました。設置するや否や嵐になったということで。なにやらいわくがあるのかもしれません。
このマリア像は手を広げて、広く愛を施そうとするように見えます。手を合わせて祈っているものもあります。真田丸第29回で、きりが細川ガラシャにマリアのことを聞く場面がありました。「この方は誰ですか」「マリアです」「何を祈っているのですか」「神に祈っているのです」「神の母君がなぜ神に祈るのですか」
どうして祈るんでしょうね。「無原罪性」で表現されるただ二人の「人間」のうちの一人。彼女は「無原罪性」という「役割」をどう感じていたんでしょうか。
在仏中に北フランス、ルーアンの南の町で聖職者の殺害がありました。ちょうどローマ教皇がポーランドに行くところで、毎夜フランスのTV放送でも流れました。フランスの国旗を持った若者たちがポーランドまで行っていました。帰国して、カトリックのミサにムスリムが参加したとの記事を見ました。「寛容」こそ宗教の最大の意義だと世界に表明したことはすばらしいことで、次回の訪仏の折にはぜひミサに参加したいものです。フランスにおけるカトリックとは何か(日本の宗教にも見学しに行っています。毛嫌いせず。知ることから始めなければ、相互理解は成り立ちません)。
Posted at 2016/08/05 23:13:56 | |
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