世の中、少しでも黒い
まあ、そうまでは言わないまでも、
自分と性向を一にしない、すなわち、毛嫌いしたくなる、悪の方向性をもった
自然人や法人と、何らかの形で、かかわりを持つのは嫌いな性質だ。
特に、公共性を持った立場で、
嘘ついたり、欺瞞だったりして、
個人はもとより、社会全体に、
悪をもたらすような存在は、
これっぽちも許さない。
なので、資本主義社会に会って、
多少の悪に目を瞑って、お金ほしいよう~、って
子どもみたいな衝動に駆られて、つまらぬ行動に出るような会社は、
ぶった切るのである。
なので、車なんて、ほんとうは、買えるような、所有するような、乗れるような、
白物ではない。
そうすると、自然と就職先もない。
いかなるメーカーも、廃棄段階において、
自然から得た資源を、無害化して、自然に帰すようなことまで、していない。
それどころか、そういうことをしようとする意思すら全く見ることができない。
社会の向上とはなにか?
経済指標における、金額の増加を言うのか?
そんな近代文明に依拠した資本主義を否定する私がここまで生きて、
これから先も生きようとするのは、自己欺瞞だ。
そういうことは重々理解している。
本当は死ねばいいということも理解している、
この世は、悪に身を染めた有象無象のためにこそ存在するのであって、
この世のすべてを清く掃き清めようとする私などは、
もとから生まれてくるべき存在でも、
生まれてくるべき世界でもなかったのである。
ただ、この世から去ることを押し留めるのは、
真実を知っているものが、欲望のために盲目となっている貧者に
押し負けて、先にあの世へいくというなどは、
あまりに理不尽と思うからである。
この腐った世の中に生まれたということは、
この世は、監獄であって、それこそ、前世にいかがわしいことをした
わが身のなせること。
そのこの世を現世利益の極楽と、酒池肉林に溺れるものほど悪人はないのだが、
彼らにその自覚はない。
だからこそ、彼らは宇宙世界の清浄さを維持するために
再犯を防ぐために、未来永劫、地球という監獄の環境に押し留められるわけである。
そして、彼らは何の自覚もないままに、その状態に留め置かれるのであるから、
創造主というものは、地球という監獄や、地球に閉じ込められる人間というものを
うまく作ったものだなあと感心する。
しかし、そうしたことに目覚めたものは、
自己の欲望を抑え、制御し、他者や環境を 歴史と地理的広がりの中に、つぶさに観察したものは、
なるほど、この世をおかしみや悲しみ、憐れみを以って、この世を眺め
与えられた生を全うするばかりである。
そういうものは、自覚を以って、悪に手を染めるのである。
悪と分かっているからこそ、自戒のため、
ときに、というか暇さえあれば心の中で、祈らずにはいられないのである。
そうして、この世の本当の姿をこうして描き出すと、
囚人たちは、描き手を、異常者だというのだが、それは仕方のないことだ。
人類の長い歴史の今しかその一部した見ることのできないものが、
数千年の人類の英知を、たとえその概略でも、遡って鳥瞰したものと、
同列には扱えない。
ところで、このボッシュのバッテリーを買ってしまったことは、
しかたない、と割り切り、僕も、悪の手の中に落ちてしまったことを、
(車を所有している段階で、悪ではないか)
私は、どうすることもできない。
ボッシュの馬鹿。
僕の後悔。
お金のために
生きるために
許されること
それは何だ?
僕の、僕による、僕のための、倫理学講座は、僕の息が止まるまで、続く。
Posted at 2016/08/23 23:19:52 | |
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