
今回の旅はGWに予定されていた、宮城、山形、福島、の旅が、
むすめの塾のおやすみがあったので、宮城だけ分離独立したものである。
残りはGWに旅をする。
宮城が2日に増えたので、仙台市内と松島を観光することになった。
電車のダイヤの都合、松島へは東北本線「松島」駅から歩き始めることになった。
一通り松島を見学した。松島は、花崗岩質の沈降海岸で、島の上に松が生えているから
松島というらしい、ことは前回訪れたときに得た知識であった。
しかし陸側の崖には、礫岩層もみられたし(洪水のあと?それとも・・・)、泥岩と思しき地層もあった。
(むすめには興味はないと言われた。嗚呼ブラタモリ・・・)
有料の赤い橋を渡り、島の散策。足元から海の見える橋を渡りお堂へ。国宝のお寺から階段の上の神社、仙石線松島海岸駅までぐるりと一回り。
帰りは塩釜に出る予定だったので、遊覧船乗り場で塩釜行きに乗せようとするおじさんに客引きされても迷惑ではなかったが、最終便15時にあわせて戻ってきたのだが、「本日は16時発も出ます」と案内嬢。
そこで、見残した「西行戻しの松」に向かうことにした。客引きのおじさんは、遊覧船乗り場にタクシーを呼べるといっていたが、それが面倒で、さきほど駅前で数台タクシーがいるのを確認しているので問題なしと駅前まで歩くことにした(西行・・・までは歩いて30分と聞いていたので、徒歩での往復は諦めた)。
西行・・・からは細道で九十九折があることは観光地図などから知れたのだが、このあたり時間にシビアな状態なので確実な情報が知りたかった。タクシーの運ちゃんに確認。タクシーで行く道しかない、30分かかるというので、帰りはその道を歩くこととして、西行・・・の散策を始めた。
西行・・・の由来はあらかじめネットで調べてあったが、この緑の掲示板までは詳しくなかった。
ネットでは「西行がこの地で禅問答をして負けたので松島観光を諦めて去った」という程度のものであった。
ところが、とどのつまりは、西行の「お色気所業」を見透かした「精霊」が西行のおしり(いやおつむをか)をペンペンしたってことだよなあ。
イケメン高級武士の西行さん(なんたって、和歌山県紀ノ川市出身の田舎モノが京の都で、北面の武士になっちゃって)、3人の子供と妻を捨てて出家して全国行脚をするも、あちこちで色恋沙汰を・・・。
そんな自分の身を、精霊に仮託されたエドだか、スーパーエゴだかが、西行さんの自意識に働きかけて、
白昼夢のごとく精霊と問答してしまったんだろうなあ。
まあここまで上れば、当時としてはまずまずの景色を楽しんだのではないだろうか。
僕には十分なような気がしたが。
当然、もっとお偉い人になると海にお船を浮かばせて遊覧しているのだけれど(平民の僕たちがそれをできる時代とは、大衆文化も捨てたものではないか)。
さて、僕がこう書くのも、2首をこう読み解くからである。
西行の歌
イケメンとは当然西行のこと。ススキとは行きずりの女。
西行が全国行脚中に、宿を借りた家の娘と一夜の交わりで子を宿した話はよく目にするものだろう。
そこで、この歌は、「イケメンの僕に抱かれたおんなが子を宿したという。誰の子だろうか」と読み解く。
そこへ精霊が「雨、霞、霧が降る」とは幾人もの男に抱かれたであろうということ。
つまり「そういう情女だから子を宿したといっても誰の子だろうか。西行は自分の子どもではないと言ったよね」
と読み解く。
実際に西行は、旅の帰途に、往きに交わった借宿のむすめから、子を産んだ、この子だといわれ、
「さても一夜限りの交わりで子ができるものか」といぶかしがり・・・
関連情報URLに載せてあるが、
僕は、
むすめが飲んだのは、西行の飲み残しのお茶ではなく、性虫であり、
子どもが泡になったのは、当然西行の子だからであって、西行が子どもを溺死させたことを
いっているのだと解釈する。
きっと松島でも、かわいい娘を見つけて、宿を借りて、イケメンパワーでうまいことできると考えたのだろう。
しかし、過去の所業を思い出し、自戒した、というのが西行の本音だろうと思う。
歌(自分のしたいこと)のために、妻や3人の子どもを置いて出家するなど、「よほど強欲」でなければできないことだ。
現代社会で言えば、あの作家の尼さんなどは、もしかすると西行の生まれ変わりかもしれない。
僕は、嵯峨野の茶店の庭から彼女の家(の裏)を見るとき、そして彼女の家の前を通って嵯峨野の駅に向かうとき、そう思えるのだ。
その近くにある売り家の庭の枝垂桜は見事だ。
今頃立派に咲いて、辺鄙なところに足を運ぶ変わり者の旅人を楽しませていることだろう。