2018年09月13日
帝塚山学院泉ヶ丘高等学校とは折り合いが悪かった。
最近届いた同窓会誌の記事にこうあった。
「おおさかのぼんぼんといとはん、こいはんの集まり。どこか人生を鷹揚に捉えていた」
(少し加筆)
病院長とか官僚とか新聞記者とか社会に名の通る職業。
そのほかの生地での繰り返し書かれることば。「社会に役に立つ人間」
どうやら、社会組織の中に取り込まれて、その社会を盛り上げることが、人間の望ましい行いだといっているようだ。
とんでもない。僕はそのころから、鴨長明な人生が理想であった。
高い教養を持ちながら、質素に東屋に暮らす。
世の行いはすべて流れるもの。頼りにならない。
自分と自然の対話。介するのは教養。高い知性と言い換えてよい。
自然を理解し、必要最低限を利用する。
現代では自給自足は難しいので、自然とともに社会を理解し、やっぱり高い知性で、かつ必要最低限を利用する。
少なく稼いで、少なく使うのも、
たくさん稼いでたくさん使うのも、
満足度は同じだと思っている。
前者のほうが、自然に与えるダメージが少ないので、より永続を望める生活様式だと思う。
ああ、つまらぬブタどもが、同窓会運営費の寄付をくれと、これを届けてくる。
こういうのがいやだから、私は同窓会には入らないといったのに、
高校の友人は大切だと、意に反して親は勝手に同窓会を支払う。
そうだ。同窓会に加入するもしないも、所詮は経済問題に過ぎない。
こういう高邁な精神を、わが親すら理解私なかった。
そりゃあ吃音もひどくなるってもんだ。
この世に私と理解しあえる「人間」が存在するのだろうか?
フランス社会の大学生は、バカロレアで哲学をパスする必要がある。
あ、それでフレンチポップスには人生哲学、社会現象を歌うものが
当たり前のように歌われるのだなあ。
同窓会誌が送られてくるたび、私の心は揺さぶられる。
実家に送らせて親に読めというのに(お前らが勝手に購読料を払ったのだから)
一向に。
ただ浪人しただけで、あとはいわゆる「立派な社会人」なるだろうと考えていた、
愚かな我が親ども。
おっとどっこい、机にかじりついたのは高校1年1学期まで。
あとはこの世界の馬鹿馬鹿しさに飽き飽きしたものだ。
だれが環境破壊をしてまで、電気を作ったりガスを送ったり、ましてや野山を削ったり埋め立てたり、車を走らせてみたり、さらには人の稼ぎを掠め取ってみたり。
そんなことに関心などない、といっているのに。
(生まれながらの哲学者に、念仏を唱えさせるからよくない。似非仏教徒にはなりえないから)
高能力人間の私が欲を捨てて生きてきくことを認めない奴らと社会。
まあ、せめて、正社員になって、結婚をして、子どもを残すのも悪くはないだろう。
本当は、環境負荷になるからいけないことだけどね。
(生きるに於いて無駄が多すぎるからね)
ま、ざっとこんなもんだ。
幾らか追いついただろう。
でも、面白くないね。人生は。
車だって、人殺しの機械。環境破壊のための有能なデバイスだもの。誰が乗るものか!
しかし25歳と10ヶ月でライセンス取得。そこから駆け足だ。
(わざと先に行かせてから、後から追いかけるって、もう僕の人生の常套手段)
サーキットも走り、オープンカーにも、輸入車にも乗ったし、カーセックスさえも。
もう十分。
しかし、人生は。
何が足らない?
「友」である。哲学できる友である。
つまらん。
この同窓会誌にはほとんど登場しない人物像だ。
こんな雑誌を定期購読しているつもりはない。
迷惑。
原因は親。(直接の原因)
そうだな、この「阿保母校」から自由になろう。
送付先を実家にしようか、それとも・・・
Posted at 2018/09/13 23:04:08 | |
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愚かな群像たち = 大衆 という 厄介者 | 日記
2018年09月13日
「ポピュリズム」を手持ちの辞書で引いてみた(字典を字引と言っていた時代が懐かしい)。
populismo ①人民主義 ②軽蔑:ポピュリズム 大衆(迎合)主義 ←国民一般民衆の意見と利益を第一義に置く政治綱領 1929年大恐慌後の南米で隆盛した。
③ロシアの人民主義、ナロードニキの思想
populista ①人民主義者の ②軽蔑:大衆(迎合)主義者の
popular ①大衆の ②人民の ③人気のある ④廉価な ⑤スペイン国民党
popularidad ①人気 評判
popularismo ①大衆性 庶民性 通俗性
popularista ①通俗趣味の
popularizacion ①大衆化 通俗化 普及
popularizar ①大衆化する 普及する 広める
以下蔑称
populacho 庶民 一般大衆
populachero -ra 通俗的な 庶民的な 大衆に受ける
populacheria 安っぽい人気 俗受け
ポピュリズム と ポピュラリズム を比較するのに
まずスペイン語の辞書を引いてみた。
スペイン語圏もまたアメリカやロシアと同じくポピュリズムすなわち人民主義の開花した土地であった。
キャピタリズム勃興による労働力の奴隷化から脱却するための運動。
資本家ばかりに富が集中するのではなく、広く人民がそれを享受できる「豊かな社会」を目指した運動。
それがポピュリズム。
いいじゃあないですか。立派な志だ。
一方、ポピュラリズムは、正にお馬鹿になった大衆(すなわちポピュリズム運動で「庶民」が富を手にした途端、
放蕩児童になってしまって「大衆」と呼び名を変えた。恐ろしき中流意識である。
その大衆に寄り添って、掠め取っていく政治のことだ。
ところが、彼のスペイン語圏でも、ポピュリズムをもって、軽蔑表現としてもポピュリズムを代弁させようという。
ああ、悲しき。
Posted at 2018/09/13 20:47:45 | |
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