2019年03月18日
県職などを中心に集団見合いが行われた。
男性のみ年齢制限がある。
たって、女性の方だって、それにあわせて自然と年齢制限が加わる。
高齢者チーム。どんな女性が来るだろうかと、
29、30、31、32、そこからは30,40と 30人中、ほとんどが、男性と同じ年齢構成だ。
もう、選びようが無かった。
現実を知った。
僕は、第二夫人まで存在したが、一度も婚姻暦のない人たちが。
なぜその歳まで結婚できなかった? しなかった?
間違いでもいい、離婚してもいいじゃあないか、
なんとか結婚して子どもを育てて・・・年齢に制限のある経験は、逃さずしておくべきだと考える。
なので、35歳、なんとか就職と結婚、38歳にして子を得るという経験を
滑り込みで行った。
これは、間違いではなかった。
危く、本当に人生を棒に振るところだった。
娘の項でも書いたが、女性はもっと早く、始末に終えない年齢が来る(差別ではない。事実だ)。
25歳をめどに、最悪30。(男なので分かる。30の壁は北壁のようだ)
(それでも第一夫人も第二夫人もは30少しだったが)
娘は、日本で10人、フランスで10人子供を産むといっているし、僕に黙って祖父母に恋愛コミックを求めているし(小学5年の受験生に買い与えるな!)、中途半端な成績だから、
恋愛はうまくやるだろう。
おいおい、俺のときは、友人から回ってきたエロ本を「お前の足を引っ張るための工作だ」と言い放った、くそ親父が、(パンパンの性欲をどこではっさんするのだ!)
孫に、それを買うのか!
どこまで時代は堕落すれば気が済むのか!
ああ、地方にはまったく、知性とか強要とかいうものが存在しないのだ!
大阪から、英語の話せる、イタリア語を学んだことのある、日本舞踊を舞える女を得て連れてきたのに、
(城下町で、海と温泉と、ゆったり過ごすはずが)
成金男の下に去られてしまっては・・・
(第二阪奈道路に買収されたのだってさ)
(情熱は賢く話が面白いが、お金がない)
(情熱と同じ時期にもう一人話しがあって)
(知性が無いので話は面白くないけれど)
(お金があるから)
おお、来たか。そうだったのだ。本籍地のある市役所の市民課で、緑の用紙を提出するその瞬間、
そういう話をされたって
あっけにとられて「ちょっと待った」!
この「かわせみ女!」
いっぱい食わされた!
協議離婚の前提が違う!
一種の浮気だろうが!
どこまでも誠実に女性に接してきたのに、こうやって裏切られるとは
まさに「千夜一夜」
第二夫人も同じこと。
こうなれば、二十歳(はたち)の女を食くほか、あるまいよ。
初めての二十歳。なんとすばらしいことばかり。
これが「女」というものだったのか。
知らずに「男」を終えていたとしたなら、愚かな。
二度も離婚してくれて感謝するよ、三十路のかわせみ女。
人生、どこに宝があるのかわらかないものだ。
そして、これまで、たくさんの青年女子との交わりを遠慮してきたことを、
悔しく思う。
ここ最近こうしたブログばかり書くのは、
中国語を学ぶ中で、どうしても看護大学の思い出に引きづられる。
1回生で独語を取り、2回生で中国語も追加した。中国語2から取ることにしたので、
中国語1は、同級生に頼んで春休みに2週間でみっちり教えてもらった。
その同級生、彼氏がいるというのに、数週間、同棲を求めてきたのだ。
そのときに教えてもらったのだが。僕も、恋愛疑似体験として有難く同棲させていただくことにした。
いろいろなことがあったなあ、と思い出される。
なぜプラトニックに終わらせたのか、残念。
その念が、浅い眠りの中で、さまざまの夢を見せる。
夢の中で、そのとき果たせなかった交わりが行われる・・・
ああ、目が覚めると、まったく隣に彼女たちがいるようだ・・・
僕は、どれほどに、自分の恋心を偽っていたのか。
それが、今もまたどれだけ僕の胸を締め付けるのか。
あのときの彼女たちに似たものたちでないと、僕の胸は満たされないことに気づく。
この集団見合いは、無駄ではなかった。
僕に一票を投じてくれた女性。申し訳ない。
僕はもっと若い女性と、世界を駆け巡りたいのだ。
(ほんとうに、かけっこしたいんだ。大阪駅から梅田駅の乗換えで、負けやしないぞ!)
(お前はあの時、いきなり走り出すから、追いつけなかっただけだから)
Posted at 2019/03/19 00:30:43 | |
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出口 | 日記
2019年03月18日
「失敗だらけの女選び」
これをメールにして男友達に打った。
男の世界の会話じゃあないか。
それを勝手にケータイを盗み見て、
「悪かったわね」と第一夫人が言ったことがある。
また、遅咲きの自分を小林一茶になぞらえて、
「めでたさも 中くらいなり おがら春」といったら
その背景も知らず、言葉だけ捉えられて、怒られた。
まったく、困ったものだ。
次の第二夫人もまた・・・・
こんなわけで、本当に僕は「失敗ばかりの女選び:をしているのだ。
それ以前も質は異なれ同じことだ。
据え膳喰らうは男の恥、と一切女に手を出さないできた。
なぜそんなことをしたのか。
いろいろと男女不平等の正しさを論じてきた。
「自然」に支配された「遺伝的要素」を鑑みれば、男女不平等の取り扱いは正しい。
つまりは男は自分の遺伝子を未来に引き継ぐために、女と子供を守る。
女は自分と子供を真無ってもらうために、男を選び依存する。
これは、歴史的に正しい。
これを人為的に「男女平等だ」というのは容易いが、実際の行動となると、やはり男らしさは
力強さ、女子供を従えるのだし、女はやさしく子育てをし男に依存するものだ。
それをいくつものブログで証明してきた。
しかし、僕は時代を割き行く男子であった。
そうだ。小学生のころは、医者にでもなって、もっとえらくなって、美しく、賢い妻を娶って、
賢い子供を得て・・・情熱一家は、優等だと、そういう道を目指していた。
しかし、中学高校と進むと、次第に「男女平等思想」が社会で謳われてくる。
まして法学部に進学するとである。
こうして社会に出るのである。
高学力の高慢ちきは男も女も、性欲を自覚しながら、それを
「羞恥心」とか「美徳」とかで、「慎重」になって、
ひとりふたりは、処女のまま社会人になっていったことでしょう。
その後、ぜひ、よき男性と出会って幸せになっていることを願います。
でも、そのような僕にふさわしい女性は、一握り。
あったその日、たいした会話も無いままに、、求められるまま車に乗せると、「ラブホテルにいこう」
って、これから4年、学友として過ごすはずなのに、もうその選択なの?
そういうのがごろごろ。
彼氏がいるのに、「あのこも女なんだから」と「性欲を肯定する時代」
「今日こそは、あの子を乗せて帰ってあげて」と放課後に自宅とは反対方向にドライブ。
ま、それくらいで済ませてくれたのでよかったけれど。
これは、こちらだってかわいく思うし、彼氏がいるのは重々承知だから、「過ち」は妄想の中で。
「私の家はあそこ。ピルを飲んでいるので心配ないよ」
挙げれば、きりが無く。
女性社会の中で、うまくやるには、薄く広く仲良くすることか。
それでほとんどの女性同士のバトルは回避できたであろう。
それは正しいことだったろう。
就職して後は、「軽度の女性不信」のなか、とうとう解禁すると、
バトルはひどいものとなった。
最終のミサイルは、わが身に降りかかる。
女の思い込みが、最悪の事態を招く。
「女に性欲を与えるな」
僕の格言である。
「婦人画報」を購読するような、慎ましやかで清楚で、知性豊かな女性を望むばかりである。
そして結局、僕ほどに、料理や裁縫まで、かつて女の仕事と言われたものができる女性とは
ついぞ出くわしたことがない、とも付け加えよう。
今度は、ひどいものだ。
この地であと11年。
もう諦めた。
3度目の結婚などありえない。
Posted at 2019/03/18 23:56:41 | |
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出口 | 日記
2019年03月18日
女は、空間認知力に劣るから、道を覚えられない。
女は、感情記憶に優れるというから、理論的な議論は弱い。
暴言のようだが、一般論としては正しい。
そして、またひとつ。
女と旅をすると、何を見学したかよりも、食事を覚えている。
これは女の本能だ。
「飢え」は「悪」だからだ。わが身の維持と子育てのために、「経済力」は欠かせない。
だから、男にそれを求めるのは当然だ。
恐ろしい日本の風習に、バレンタインデーとかホワイトデーとかがある。
お返しをしないと非難轟々なのだ。
関心のない女になぜ貢がなければならないのだ?
本命の女が、やきもちを妬くというのに。
ああ、面倒な社会だ。
9人から贈られたチョコの返礼が3枚のチョコとあって、非難轟々にあっている男子がいる。
僕はお返しをしてない。
かの男子は昨年はお返しが無かったので、成長は認められたのだが・・・
僕はすっかり去年のことを忘れていたが、
ある女は覚えていた。
「手作りのキャラメルでしたよ」
そうだった。出費を抑えるためにね・・・。
ああ、面倒なことだ!
そして、或る女は年賀状で、過去のことをこうなじったりもした。
「情熱は、女を信じていない」
それは、僕がその女を愛さなかったことへの怒りの表現だと僕は考えるが、
第二夫人は、「僕がその女を捨てたので怒っているのだ」と解釈したのだ。
ああ、面倒なことだ!
僕は、真実、一途な男であるのに、だ。
そして、今日、お返しがないと、僕の誘いを断る、その同僚の女性から
「お返し」をせびられた。
それで、このブログを認めた。
ああ、面倒なことだ!
小学生や中学生ではない。
本命でないものから、10倍返し目的で、チョコをもらっても、一向嬉しくないものを。
Posted at 2019/03/18 23:36:05 | |
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出口 | 日記
2019年03月18日
処女膜がどのようなものか、僕は見たことがないし、触れたこともない。
残念である。
処女に挿入したら、どういう現象が生じるのか、これについては、全く知識を得ないまま
あの世に行ってしまうことになった。
何事にも興味を示す、わが身としては残念の一言だ。そのチャンスが複数回あったのだから。
さて、生存に必要のない器官が退化もせずに残存していることが、生体に存在することがある。
処女膜もそのひとつだ。
残存するからには、有用だったのである。
処女膜のない女性は遺伝子を残さず、処女膜のある女性だけが遺伝子を残すことができた。
だから現在の女性にも処女膜が存在するのである。
では、処女膜のない女性はなぜ遺伝子を残せなかったか。
それは「淘汰」されるからである。「社会的淘汰」である。
参考になるのはイスラム社会の慣わしで、新婚初夜に夫婦で寝室に入り、翌朝血に染まった敷布を
みんなの前に曝さなければならないのである。
そう、花嫁は「処女」であることを証明しなければならない。でなければ、離縁されるか、最悪死刑だ。
イスラム社会では「女性の浮気」は忌み嫌われる。
「千夜一夜」アラビアンナイトの物語を思い出すといい。
王様が、自分の妻と奴隷の浮気場面を観、両者を殺す。失意のあまり、弟も王なのだが、そこへいくと同情されるものの、また弟の妻も奴隷と交わっていた。
王様はすっかり「女性不信」。跡取りがないとお家断絶で困るので家臣が国内から選りすぐりの美人を
連れてくるが、一夜交わっては、「お前も裏切るだろう」と斬首。これを繰り返すものだから、とうとう
王国から美人がいなくなった。そこで、王様を慰めるべく、家臣の娘が登場して・・・
すなわち、イスラム社会では、「女にもコントロールできない性欲があり浮気をする」
そうなると、血縁に基づく「正統カリフ」の系譜が途絶えてしまう。
これは大問題だ。王家だけの問題ではない。社会全体がひっくり返ってしまう可能性がある。
国境線だって変わるかもしれない。
「女が誰の子を身ごもるか」
これは社会問題。
だからこそ、「処女性」が尊ばれる。
しかし処女膜がないと、偽らなければならない。夫が、心広く、何かの傷から血を染めることを許せば、うわべだけは取り繕えるが。
そういうわけで、処女膜のない女性は、排除されるのである。
現代社会でも、男性の浮気よりも女性の浮気の「道徳的罪」は重いのは当然なのだ。
しかし、「家制度」が崩壊し、「個人主義」が頭をもたげると・・・。
女は男や社会を守り立てることもできるし、
男を失望させ、社会を貶めることもできるのだ。
女子教育とは、男子のそれと質を異にするのは、当然なのだ。
本当に、娘が僕の子供か、僕は正直知らない。
そう信じるから、手塩にかけて育てているのだ。
何かの生きがいを求めるために。
先人たちや、女性が信じられないのなら、せめて子供だけでも。
僕にも、千夜一夜を語ってくれる、女が必要なのだが。
Posted at 2019/03/18 19:08:00 | |
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出口 | 日記