2020年04月12日
貧乏人ほどお金のかかる、ちんまい遊びに勤しむのはどうしてだ?
パチンコが代表例。
ゲームも然り!
ほんとの金持ちは、ずっとお金をかけて遊ぶ。
中間層は、勉強しましょう。
お金も大してかからず、知恵がつきます。
一石二鳥。
人間、何事も習慣です。
馴れれば、しないことが落ち着かないのですから、不思議なものです。
人間改造のいいチャンス。
人の不幸で金儲けするアホ馬鹿にだけは、ならないようにしましょうね。
Posted at 2020/04/12 23:26:39 | |
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わたしがおしえてあげるわよ | 日記
2020年04月12日
世田谷区桜丘中学校長西郷孝彦氏(令和2年3月末で退職)は10年かけて公立中学から校則や制服をなくした。児童に干渉することを否定し、校庭で遊ぶ子どもたちに「雨が降ってきたから教室に入るよう」に放送を流す教師を制止する。児童と対等の立場で話をする態度で「なぜ勉強をするのか」と問われれば「悪いやつに騙されないように勉強するんだよ。世の中には頭がいい人がたくさんいます。そして頭がいい人が善人である保障はありません。(中略)騙されないようにするには、論理的な思考力や批判的な精神はもちろん、常識を下支えするための基本となる知識が必要になります。勉強するもうひとつの意味は、差別をなくすことです。(中略)正しい知識から差別は生まれません」といいます。
そうなんです、
タクシー会社の言い分を、いい考えじゃんという同僚。
アホです。
ここだから、あほです、と明言できるのですけれど。
もう、アホの集まりですわ。大衆日本、万歳!
Posted at 2020/04/12 21:20:46 | |
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愚かな群像たち = 大衆 という 厄介者 | 日記
2020年04月12日
去る3月23日小学校卒業式ののちの物品販売において、2月8日の学校説明会における娘の私服通学を宣言した後、学校および学校教育課と繰り返しあったが、私服通学をすると、校則違反で生徒がざわつき、学校の秩序が維持できないという理由で、教室入室は認められず別室学習(大方はプリント授業と考えられる)の処置を取るといわれ、児童と保護者としては甘んじざるを得ない状況にある。 これは児童の教育権を奪う行為であることはもとより、子ども人権規約や日本国憲法、教育基本法、学校教育法、中学校教育指導要領、そして市教育進行基本計画の理念に反している。個人の価値観、自己決定権、表現の自由、自主自立その他、重要な人権規定を侵害していることは明らかである。学校長は「失業することなく働き納税の義務を果たす人間」を育成することを主眼として「将来会社で働くときに会社の規則を守る練習として校則がある」というのだが、しかし、社会にはさまざまの理由で「非課税世帯」の状態に至ることもあれば、被雇用者にはならず自営業を営むものも存在するだろう。社会に存在するものがその社会を秩序付ける規則すなわち法律や条例などを遵守するのが当然というのならば、広く国民は自国の法律を理解して、その実現に不断の努力を惜しむことはしない。だから、学校長にはこの国で広く認められている人権規定の遵守を求めたいし、将来労働者という立場になったときに労働者としての権利を自ら守ることが出来るように児童は、与えられた規則を守る態度だけではなく、正しく労働関係法を理解し、それに則った企業活動を求めることが出来なければ、経済生活を維持できない可能性もある。将来、会社が定めた規則を守るにしても、国家の法律を知らなければ片手落ちだし、ただ従うだけでは「人間の尊厳」が守られているとは言いがたい。 私立中学をはじめとして、校則がなかったり私服通学が認められていたりする中学校はいくつも存在する。なぜそうした「指導なき指導」を採用するのだろう。 麻布学園理事長吉原毅氏は「動機には大きく2つあって、自分で『こうしたい』という衝動に駆られる内発的動機づけ(モチベーション)と、他人から指示されて行う外発的動機づけ(インセンティブ)があります。 規則やルールで縛られてきた人の大半は“誰かに指示されたからやる”という外発的動機づけで行動する人間になります。つまり、評価や報酬、義務、賞罰といったものがないと、自分からは動こうとしません。いわゆる“指示待ち族”と呼ばれる社員になってしまうのです。こうした社員は、自分の頭で考えようとしないばかりか、人の目があるときだけ行動しがちだ。逆に、誰も見ていなければ、手を抜く。おまけにルールを守ることより、自分の損得を優先して動くようになります。いまは、財界だけでなく、政界も官僚も、そういう人材があまりに増えてしまいました。自由な教育を受けてきた経験をもつ社員の方が、明らかに伸びます。企業は自分の頭で考えて行動できる人を欲しがっています」という。民間出身の校長が言うのだから、外れてはいまい。これが正しいとすると、中学校長の指示に従っていると、却って就職がうまくいかない可能性がある。 世田谷区桜丘中学校長西郷孝彦氏(令和2年3月末で退職)は10年かけて公立中学から校則や制服をなくした。児童に干渉することを否定し、校庭で遊ぶ子どもたちに「雨が降ってきたから教室に入るよう」に放送を流す教師を制止する。児童と対等の立場で話をする態度で「なぜ勉強をするのか」と問われれば「悪いやつに騙されないように勉強するんだよ。世の中には頭がいい人がたくさんいます。そして頭がいい人が善人である保障はありません。(中略)騙されないようにするには、論理的な思考力や批判的な精神はもちろん、常識を下支えするための基本となる知識が必要になります。勉強するもうひとつの意味は、差別をなくすことです。(中略)正しい知識から差別は生まれません」といいます。 もう一校、公立中学で校則や制服の定めのない千代田区立麹町中学のPTAはHPでこう書きます。「すべて生徒ファーストを心がけ案件に取り組んでいます」 何も都会の中学ばかりではない。NHKのMIIRAIMAGEというHPでは、高知県奈半利中学の取り組みを取り上げる。校則作りに児童の意見が反映する仕組みを取り入れているのである。ただ校則を守るのではなく、校則を作るところから参加して、当事者意識を育むという学習である。 こうした取り組みが本市ではできないのかというとそうでもないようだ。上述した、市教育振興基本計画では「ともに学び、ともに支えあい、未来につながる教育」を基本理念として、以下のように理想とする人間像が示されている。 ①自ら考え、判断し、表現する力を持ち、規律ある行動をする人間、
②人権を尊重し、情操豊かにたくましく生きる人間、
③郷土を愛しよりよい社会の形成者となる人間 いかがでしょう。これからの社会を生き抜くには、与えられた規則、ルールを無批判に受け入れる態度だけでは足らないでしょう。自ら目標設定をし、その実現のためには何を行うべきかを考える。それなくしては「 市教育振興基本計画」がいう理想の人間にはなりえないだろう。 私は職業は看護師であるが、専門はフランス思想である。そういう観点からすると、モンテーニュやパスカルといったモラリストがいうように、人間は思考することで人間足りうるのであって、そうでなければデカルトの言うところの「自動機械」に落ち込んでしまう。人間は「意思すること」によって人間たりうる。思惟、思考から逃避して、無思考、無批判に陥ることは、自由(および責任)や生きることからの逃避である。ソクラテスは言う。「何が一番大事な事なのか、何が真理なのか、ということについては、私も、彼らも、ともに分かっていない。分かっていない、というのは同じである。ところが彼らは、分かったつもりでいる。しかし私は、分かっていない、という事を自覚している。とすると、私は、自分の“無知”を知っている、という点では彼らよりも知恵者であるらしい。」無知であることを自覚するものは、進んで学習する。しかし、無知であることを自覚しない、無知であることに慣れているものというものは、羞恥も嫉妬もしないだろう。 教育というものは単に経験則に従っていればうまくいくものではない。学校を「統治する」という視点で捉える中学校長の下では、児童はもとより教師もまた「矯正の対象」であった。繰り返し行われた話し合いの中での校長の言動を見れば、彼の目的は「学校の統治」「逸脱者の否認」であることは明らかで、構造主義哲学者のフーコーの『監獄の誕生』に描かれた「規律と統制」を主眼とした近代社会そのもので、娘は「金八先生」の「腐ったみかん」そのものである。 しかし、腐ったみかんはどちらであるか、これからの世界を正しく予見できるものがいれば、明らかである。近代教育の祖は、啓蒙思想家の一人、ジャン=ジャック ルソーと広く認められている。教育を志すものは、教育理論や教育思想を修めるものであろう。また教育を考える人間もまた同じだ。教育は人間を「作る」のだから、これは人生に関わる根幹の問題だ。疎かにできるものなどいないはずだ。ところが、不思議なことに、ルソー(寿および仏)をはじめ、ペスタロッチ(瑞)、ジョン=ロック(英)、ジョン デューイ(米)、ディンター(独)(彼はマイナー)など、「児童ファースト」を唱える教育思想家、実践家の思想に直接触れたものに出会ったことはほとんどない(たとえばルソー著『エミール』の読者は、一つ目の大学のフランス思想ゼミ教授をはじめとする法学教授、同じく教育学の教授、二つ目の大学で知りあった一つ目の大学の後輩、先月駒場キャンパスで知りあった東大生のみ。10人に満たない)。 人間を人間に育て上げるという行為は、かなり難渋するもので、なかなか全うした人はいないだろう。みんなが従う社会通念や常識を身につけることは人間関係を円滑にするだろう、受験勉強は進学や就職に役立つだろうが、それらだけでは人間形成には不十分だ。与えられた義務を果たすだけの能力も必要だが、余暇を楽しむ趣味も必要だ。人生100年時代といわれるが、長くなるほど「人生設計」の見直しを幾度も迫られることになる。 そうなると初等教育で求められるのは「統治(児童を統治すること)」ではなくして、「陶冶(児童の性質や能力を円満に育て上げること)」であろう。児童の自由意志による不断の努力が求められるでのある。それは大人も同じである。況や学校教育関係者をや。 そうしたわけで学校長に『エミール』の読書経験を尋ねたが否というので読書を薦めた。一月ほどして様子を尋ねたが「忙しいから読んでいない」という。どうにもいけないと思った。ルソーや『エミール』に影響を受けたペスタロッチも知らないらしい。どうにもいけないと繰り返し思った。そういうわけだから、私服通学をその根拠とともに繰り返し訴えても検討もされない。「生徒がざわつく」「校則違反は学校の秩序を乱す」の一点張りだ。しかし制服を自由化した学校、校則をなくした学校で、どれほどの不都合が生じているというのだろうか。むしろ成果を挙げているという。この事実を校長は調べもしないし、知ろうともしないのだろう。どうして「児童ファースト」の教育など実践できようか。この校長の下で、教員はただ学習指導要領に定められた授業回数をこなすだけなのではないだろうか。児童の人生の諸々の問題や人格形成にどれほど関わることができるというのだろう。 3月23日のビラにも記したが、校長がいう「他の生徒への悪影響」「校則違反の増大」「授業の破壊」など秩序を乱すからという理由での私服通学者の教室入室禁止処分を撤回し、たとえ1週間でも試用期間を設け、様子を見ることができないだろうか。色柄物の靴下が校則違反である理由を合理的に示すことのできない校長の定める校則を、ただあるものとして受け入れるのではなくて、児童自らが討議して校則を定めるということを採用できないのか。 校長は言う。制服はPTAの要望があって々導入したものだ。標準服検討委員会で決められている。制服は校長の一存でどうこうすることはできないと。 しかし、私は言う。一度決められたことを変更できないわけはない。再検討、再討議すればよい。PTAやその連合会で議題にする必要がある。校長会で制服や校則のあり方について議論を、制服検討委員会で制服のあり方や私服通学の検討を実施して頂く。少なくとも、登校において1週間の私服通学試用期間を設け、社会実験を行うことを要望する。
そこで私が児童保護者に求めるのは以下の点である。
① 時代の変化に応じた児童の健全な育成のために私服通学の意義を理解頂くこと。
② 私服通学をする娘のその目的と強い意志を理解し、他の児童の安易な校則違反を防ぐこと。
③ 私服通学を明和中学PTAとして検討すること。少なくとも1週間の私服通学試用期間を実施す ること。
④ 校長から具体で期菜説明のない、たとえば靴下の色柄物など、現行の校則の合理性、合目的性の観点からの見直し作業を行うこと。
⑤ 校則制定、改正における児童の参加を行うこと。
現在4月24日(金)に予定される(おそらくコロナウイルスの関係で5月に変更されるであろうと予見する)中学のPTA会議において、議題に取り上げて検討頂きたい。 娘にとって3年は短い。問題の具体的解決を得ないまま卒業という最悪の事態を回避したい。早期に通常授業を受けることのできる体制を望んでいる。学校長の意思は固い。関係機関(学校教育課、法務局、児童相談所、市長)の協力は得られないことが判明している。残るは、本校児童とその保護者の皆様である。頼るべき道は残されていない。どうか、ご協力を願いたい。 次ページに4月7日に娘が話し合いに提出した書面を複写し添付する。娘の言葉による(私の校正は一切ない)決意をごらん頂きたい。省略
Posted at 2020/04/12 21:19:10 | |
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私服登校 | 日記
2020年04月12日
国境で検温して入国を許さないとか。
どの面下げて、私権を制限するんだ?
そんな権限、知事にはない。
検温だけが基準??
PCRしたほうがいいんじゃあね?
1時間で検査出るらしい。最新の島津精機の。
国境で、差し止め。
すべての道で??
いつの時代の話??
駅?
行列作って、リスク増大。
検温するひとから感染者が出ないといいけれど。
感染したら公務災害扱いよろしく。
あくまで自粛養成が正しいようで。
さようなら、山形。
で、37.5度以上だったら、どうするの?
つばさ、で送り返すの??
そんな権限、知事にはない!
お願いするだけ??
もう、行かない。山形。
違法行為を率先する知事には用がない。
強権行使。
Posted at 2020/04/12 15:57:47 | |
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政府はいつも愚か | 日記
2020年04月12日
大衆の弱腰にはもう馴れてしまったが、
あべに忖度する官僚制度ももうおしまい。
コロナに打ち勝っても、日本が滅びる日は相当近い。
Posted at 2020/04/12 01:53:57 | |
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政府はいつも愚か | 日記