2023年07月11日
生徒指導担当 先生へ
回答を拝読いたしました。多数を対象とするため、志のある少数を切り捨てる。全然日本は変わりません。これが教育の限界ですか。
では、手当たり次第にもう手あたり次第に申し込むよりほかはないですか。僕が当事者なら、この宿題は放棄します。実際、高校1年の2学期以降は(夏季課題は1学期の授業中に済ませため)一切の提出物を拒否しました。家庭に学校の課題を持ち帰らせるのは、越権行為だと。フランスを学ぶ前から、人権意識は高く、下校後の時間は個人の自由であるので、それを拘束する宿題一切は人権侵害であると断じていました。やる気を削ぐとはこのことです。
未だに日本社会は、主体性のない仮面をかぶった個人を作り出したいだけですね。主体性がないので人生に確固たる目標を立ち上げられない。幸せすぎるのでしょう(当方は吃音という障害がありましたし、学校の成績が高いため首位の期待も高かったですから、人生をもがいて進む必要がありました)。
似たり寄ったりの家庭と教員で、お好きにどうぞ、としか言えないのが悔しです。日本の教育制度、実際の教育現場に苦情を言うのは、10年経っても(子の公教育に携わってという意味です)同じ内容です。進歩がみられません。
さて、本題です。
では、もし、オープンキャンパスに行けなかった場合、行かなかった場合には、どのように対応すればよろしいですか。
そこまでの回答を頂けるものと考えていましたので、何か問題があれば連絡してくださいと書かれれば、当然、このように質問をするしかありません。
そして確認です。オープンキャンパスに行き、見聞したことを何を主題にしてまとめればよいのですか?
この場合の「よい」とは加点される要素は何かということです。
考えるに
①受験生として、志望校の様子を見聞し、データをまとめ考察する。
②志望校如何にか関わらず参加し、オープンキャンパスとは何か、の利点欠点、改善点などを考察する。
何を目的としているのかが不明なので、児童にアドバイスのしようがありません。
現状、オープンキャンパスなどは気にせず。志望校を見学して書けばよい。学校がオープンキャンパスにこだわるなら、参加したのもと想定して加筆したらよいだろうとアドバイスしているところです。
何が正解か、全くわかりかねます。
申し訳ありませんが、わたくしは、すべての生徒にふさわしい教育を与えない、紋切型の押しつけ教育には対応できません。多様性を認めない教育には、まったく馴染めません。それでは人生が困難だというのは、私の人生を見れば反証となるので、これも理解できません。
そもそもオープンキャンパスという流行は、少子化で学校経営のために青田買いをしたい大學側の要求でありましょう。受験生有利であります。
第二次ベビーブームの受験戦争を経験した世代としては売り手市場ですから、大学は何もしなくても経営に困らなかったというのが実情でしょう。
子の高校受験の折にもオープンキャンパスに行きましたが特段の情報(成績を考えずにこの教育方針が優れているという情報)はありませんでした。大学も同じで、大学生のふりをして大教室の授業に潜り込むとか、校内を回って課題の取り組みとか、学生課のアルバイトや下宿のあっせんはどうだとか、生協の自動車免許合宿や振袖の宣伝とか、サークルは何してるとか、3月末の新入生歓迎の頃に行くと1~2回生が勧誘するので、たくさん話もできます(これは2020年3月、東大駒場でやりました)。いろいろ方法があることを生徒も家庭も知らないのでしょうか。
私はただ、年に1度2度学校へ出向くだけで、同級生の家庭との交流もありませんし、どうせ価値観が違うので話も合わないだろうと思っています。
実際、八方塞がりです。
教育に関心があるからこそ、教育者にならなくてよかったと思います。現場に幻滅し、自殺していることでしょうから。
人間を育成しようとしているようには、自分のときも、今のこの時も、感じないからです。社会の連帯というものについても同じことが言えます。
受検の小手先の技法だけを学ばせているようです。
Posted at 2023/07/11 01:49:04 | |
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わたしがおしえてあげるわよ | 日記