2024年01月07日
すったもんだの挙句、ようやく手にした旅行である。
その顛末を記載する。
職場同僚への旅の土産話でもある。
あけましておめでとうございます。
ます、昨年末および新年にかけて今回の海外訪問についていろいろとご迷惑をおかけしたことをお詫び申します。
そして無事に帰国したことを報告いたします。
主目的をベルギーの首都ブリュッセルのEU本部の訪問と説明しておりました通り
EU関連の3施設を訪問できたことを報告し、その証明として公式グッズのタッチペン機能を有したボールペンを土産として準備しております。
大切に長くご使用いただけましたら幸いです。
さて、私の場合、旅の土産のメインは「お話」であります。
私のことを広くしていただくためにも、筆を執ることにします。
読む読まないは、それぞれの自由であります。
主題)EU会議場はニュース番組でも映し出されているが、朝9時の開館に合わせて訪問したが、10分前の到着で3組目であった。時間まで門前に置かれた「ベルリンの壁」を見物するなどした。ブリュッセルの会議場は昨夏に訪問したストラスブールのEU議場に比べると手狭で、27か国705人にまで膨れあがった議員とそれをはるかに上回る24言語の通訳が会議をするには不便で月曜木曜には、ブリュッセルに事務所を置く各国議員がストラスブールへ移動するのだという。その数2000人。
欧州4.5億人の代表の5年毎の直接選挙と一般市民に対して掲げる取り組み「green(環境)」「digital」「economie」を掲げると現職の欧州委員会委員長であるフォン・デア・ライエン(初の女性委員長)のメッセージビデオを視聴し、かつ彼女がドイツに住み、子供たちをフランスやスペインの大学で学ばせたという体験から「欧州はひとつ」という価値を述べていたのが印象に残っている。
また、会議場の傍聴席だが次第に訪問者が増え、10時過ぎに退館する頃には、ベビーカーから老人まで年齢性別を問わず来館者で賑わたことは特筆しておきたい。訪問日は正月5日金曜日で小雨。市内の中心から直接アクセスできる公共交通機関はベルギー国鉄でも中心駅から20分、地下鉄やバスでは乗り換えが必要な、必ずしも便利の良い立地ではないのだが、諸国民のEUに対する関心の高さを実感することができた。
序) 高知の自由民権運動記念館には何度も足を運んだものですが、一般には「板垣退助」が有名でしょうか。大学でフランス政治思想のゼミを選択した当方としては、中江兆民が一番であります。ジャン=ジャック ルソーの『社会契約論』を翻訳した『民約論』でフランスの民主主義思想を日本に持ち帰ったことは中学の教科書にもあることです。ゼミでも彼の著作『三酔人経論問答集』を学びました。
高知の足軽の家に生まれた兆民は海外留学を一心に大久保利通に願い出ます。大久保の馬車の車列に駆け寄っての直談判は一つのエピソードです。その甲斐あって岩倉使節団に同行し、フランスのリヨンで弁護士事務所で学びます。フランス語を学ぶために小学校には入り・・・(以下省略)、帰国後、大久保に学んだことを報告します。大久保は目を閉じたまま話を聞いているのか眠っているのか。兆民がそれを指摘すると大久保は・・・(以下省略)。
レベルに大きな違いはあれ、私がフランスを中心とした欧州へ足を運ぶことは、兆民と同じ志とご理解いただければ幸いであります。
初日)12月31日。29日22時42分にエールフランスから31日出発便の2時間の遅延のメールが入る。遅延のため深夜のパリ到着となる。空港からパリ市内への鉄道は利用可能時間帯であるし、パリのホテルの受付も24時間体制であることが確認できてひとまずは安心である。こうした場合、別便を確認するのであるが、ちょうど30日仕事終わりに最寄り駅を出ると関空、羽田乗り継ぎでパリ市内に10時までに入れそうな便が見つかる。いくらか料金が割り増しになるが悪くはない。娘の部屋を覗くがよく寝ている。高校の冬の宿題が終わらないと焦っていたし、まだ旅行の準備も整っていない。これからいろいろ準備するのに手間取って30日の仕事に影響があってもよろしくない。ここは諦めることにした。
23時ごろにホテルにチェックインをした。6~7年前に大晦日にパリにいたが、スリに遭ってひどい目に遭った。その時と同じモンマルトル地区である。用心をしてホテルから徒歩圏内のモンマルトルは白亜のサクレクール寺院に出かけることにした。北駅からホテルまでのメトロは凱旋門方面行であるが満員であった。メイン会場はエッフェル塔前。そのエッフェル塔を遠方に眺めることができるのがモンマルトルの丘である。サクレクールの前まで来ると次第に人だかりができている。折角だから大晦日カウントダウンを体験することとした。
0時前には広場はひとで埋まった。各国語が飛び交う中、0時にエッフェル塔がチカチカ光るというだけの質素なものであった。一部手打ち花火が上げられたが、それだけのもので次第に人は去っていった。欧州人の連帯の意識と質素な行いを感じ取った。
2日目)1日はパリを巡ることにした。元旦早々空いている施設は少ない。奇跡のメダル教会のミサから始まり、映画「ダビンチコード」で有名なサンシュルピス教会、歴史上の人物がサロンを開いたカフェが色々ある地区のサンジェルマンデプレ教会、リュクサンブール美術館、その隣のフランス上院のリュクサンブール宮殿前を過ぎてリュクサンブール公園へ。ここからパンテオン、パリ大学法学部は2014年当時小1の娘と初回の海外訪問で一番最初に訪れたところであることを確認、ソルボンヌ大学の前を過ぎてシテ島のノートルダム寺院へ。修復は2027年くらいとのことであるが、パリ五輪に合わせて内部見学ができるようになるという(パリ五輪も費用が膨らんでいる。五輪開催中は地下鉄は無料の予定であったが、実際は2倍にするとアナウンスされた。五輪のあとには万博も考慮されたが、当初から赤字が見込まれて誘致を断念している)。
午後になってさらに北上して、パリ市役所を過ぎ、中学の美術の教科書にあったというポンピドゥセンターを過ぎ(入館も考えていたが、長蛇の列のためスキップした。帰国後確認すると、2025年から5年間の改修のための閉館に関連して職員の首切り問題でストが行われていたのであった)、オペラガルニエ(修復中)、パリ一番のパサージュを抜けてモンマルトルへ。モンマルトル博物館で〆て19時過ぎのTGVでベルギーのブリュッセルへ向かった。12時間のパリ市内散歩であった。
3日目)2日は天気が一番悪いと事前からわかっていたで市内散歩を避け施設巡りとした。まずEUの施設から回った。正月早々であるが、それなりの訪問者がいて次第に込み始めた。残念ながらメインのEU議場が2日まで閉館であり、後日出直しとなった。予定を変更して美術館および教会巡りとなった。最終日には1日がかりとなる王宮美術館にEU議場の見学を付け加えなければならなくなったので、この日のうちに大方の教会を巡っておいた。小便小僧やグランプラスと呼ばれる大広場はホテルから近く、今後繰り返し利用するブリュッセル中央駅までの途中にあり、幾度も訪れることになった。早朝、日中、深夜と時間帯によって趣の変わるグランプラスを幾度も見学出来たことはよかった。グランプラスではブリュッセルの成り立ちを知ることができる博物館とブリュッセルの独立を命がけで救った歴史上の人物たくさん詰め込んだので、2日では足らず、3日では多いと感じていたブリュッセル見学を2日間で修めると判断して余った1日をオランダのアムステルダムかルクセンブルク訪問に割り当てることを急遽決めた。行動時間は14時間ほどか。
4日目)3日。ベルギーの地方都市の訪問先としてブルージュ(ブルッヘ)に向かった。いかにもベルギーを代表するけ3階建て(3階は屋根裏部屋)のオレンジのレンガで統一された建築群を見学した。ブリュッセルから鉄道で1時間の立地は日帰り旅行に打ってつけであった。10時過ぎまではよく晴れて、運河で囲まれた旧市街地の一般住宅地を見学できた。
10時過ぎから雨が降ってきて、施設見学へ移行せよとお告げと判断して博物館と教会巡りに徹した。博物館では紀元前からこの地に立地するブルージュの街の変化を学んだ。大昔は北海に面してしたが次第に海が後退した。時代に合わせて運河がいくつも切り開かれフランドル地方随一の商業港湾都市として長く北はバルト海、西は大西洋、南は地中海、内陸は各方面への街道が通じては展を遂げたことが知れた。日本で言えば瀬戸内海の通運で財を築いた尾道の商人が寄進をして寺院群を建築したように、ブルージュも市内各所にさまざまの宗派のキリスト教教会を見ることができた。
行動時間は15時間程度か。
5日目)4日。アムステルダムは見どころが多く1日では見切れないことから再訪が必要となることと直前のTGVは運賃がはるかに高額であることから、1日で何とか見切れることと電車賃が格安のルクセンブルクを訪問することとした。電車で3時間以上要する(大阪~名古屋間程度であるが丘陵山岳で速度が出ない)ので、早朝5時にはベルギー国鉄の駅にいた。5:38発のルクセンブルク直行列車に乗車、ブリュッセル市内の主要駅を過ぎて車内改札が始まる。車掌が「今日はトラブルで途中までの運行となりそこからはバスで移動する」と告げられる。原因を尋ねると「la terre ・・・」と聞こえた。土砂崩れだろう。線路に土砂が流入したか路盤が流れたか。数日の大雨の影響と考えられる。数年前の冬季の北フランス訪問でも雨が続き、帰国後であったが河川の氾濫が報道された。あのときと同じだと感じた。実際、ルクセンブルクにも洪水警報が発令されていました。途中、電車からバス、バスからバス、バスから電車へと幾度も乗り継ぎました。同じくルクセンブルクへ行くという乗客が大丈夫だからといってくれますが、復路も心配で要所要所で係員に尋ねますが答えが出ません。心配するなと、乗客はいいますが「帰りが心配なんだよ」というとようやく理解してくれたようでした。そんなこんなで10時40頃に着いたルクセンブルク駅から無料のトラムに乗って中心部へ。ツーリストインフォメーションで地図とルクセンブルクの欧州評議会の情報を得ました。これがいい加減な情報で迷わされました。結局、周辺の施設で確認をしながら目的地へ。しかし3月までは団体の予約見学に限るとのことで追い返されてしまました。
あとは時間節約で歩きながらサンドウィッチを食べて市内散策をしました。渓谷沿いの街並みが美しくホックの砲台は入館せずに済ませ、2基のエレベータを上下しながら国立博物館へ向かいました。歴史と美術品を見学できてよかったのですが、地質からの街の成り立ちを知るなら市立博物館のほうが適当かもしれません。帰りはどうせ遅れついでです。リエージュ経由で4時間弱で戻りましたが、ゆっくりとクリスマス市を見学してホテルには23時過ぎに到着ということにしました。
当初9時間滞在の予定を昼食の時間を省略したり、帰りを1時間遅らせるなどして時間調整をしました。行動時間は19時間という長いものになりました。
6日目)5日。主題で上述したEU会議場のあと王宮美術館を訪問した。開館時間から30分ほど遅れて入館した。昼休憩も時間も惜しまれ、昼は10分間のサンドウィッチとした。結局は閉館まで30分を余して退館した。6時間の滞在でした。見どころは、ベルギーを代表する画家のルーベンスとブリューゲルの作品群と、ナポレオンの宮廷画家ダビドの「マラーの死」です。「フランダースの犬」の主人公、ネロが見ることの叶わなかった有料のルーベンスの主教がですが、大人の事情として、あれだけ巨大なもの、すなわちキャンバスの余りの大きさから、教会の建築途中に運び込むしかないだろうその作品は、大人の事情として有料でないと教会も費用を工面できなかったことでしょう。ただ「金持しか見られない差別」というステレオタイプの理解ではだめだと現物を見て半世紀ぶりに理解をしました。
18:42のTGVまで時間があったので、見残していたサンミッシェル教会へ。各国の降誕場面の展示がありました。最後はガラリエでワッフルを頂くことです。
今回の旅行でレストランでの食事はブリュッセルとブルージュのお昼だけでです。それ以外はサンドウィッチなどでした。名物料理としてワッフルを頂きました。DONDOYです。有名店らしいです。グランプラス周辺五3か所あるようですが、ガレリアにしました。夕刻のガレリアのオレンジの証明は美しかったですが、待ち時間の都合でテイクアウトにしました。オマールエビも名物だそうですが高価であるのと食事の時間がないので、老後歩くことができなくなった時には
グルメを楽しむことにするとしましょう。この日は時間節約で3回公共交通機関を利用しました。18:42出発のTGVはエッセンからのTGVをつなぎましたがそもそも遅延の上に連結後の電気系統の故障で36分遅れでパリの北駅に着きました。あとから来た30分後のアムステルダム発のTGVがすぐ後から入ってきました。
行動時間13時間。
7日目)6日。10時にはホテルをチェックアウトして10:30にはパリ北駅からシャルルドゴール空港まで移動を始めたい。それで出発の2時間前でCDGに到着予定です。7:30分前にはホテルを出て時間短縮のため地下鉄駅へ向かいます。ポワソニエかアンヴェールに出るか迷いましたが、スーパーやパン屋で朝食を求めたかったので可能性の高い、坂を上るコースのアンヴェールへ向かいました。パン屋は開いていましたが、シュクレばかりでサンドウィッチがなかったので諦めました。目的地はビュット=ショーモン公園です。ブラタモリでも紹介されていました。私は34年ぶりの訪問です。石膏採掘の跡地です。岩場の展望台に上るとエッフェル塔が小さく見えるのです。
しかし、工事中で立ち入り禁止でした。到着時は8時前で暗かったですが、次第な軽くなり、最後は配線を跡を見て9:30分出でました。ホテルには10時前に戻り、往きに見つけてあったパン屋でサンドウィッチとエクレアを買って北駅からRERへ。(駅に近づくにつれて警察が増えてきました。大きな音で女性が歌っています。駅前から下る道に法度があり人だかりが見えます。デモだなと思いました。帰国してから検索すると、午後から北駅前で、黄色いベストデモの関連で、とありました。デモの時間の前からいろいろイベントがあったようです。カクロン大統領をいじった動画でも、偽マクロン氏が「せっかくの休日をデモに費やしていいのかい?」と歌うのですが、新年早々の土曜日からデモです。ま、こうやって社会に対する不満のガス抜きをするというのはいいことだと思います)。最初の券売機ではCDGまでTGVの切符しか買えずまさかの120€。改札近くまで行って別の機械で1€少しの切符を手に入れて10:30の快速に乗ることができました。25分で到着です。CDG2駅では自動改札がなく、人力改札でした。なぜだろうか。パリ五輪では、招致当初は無料でしたから撤去したのでしょうね。自動改札では入出場ができないという問題が発生するのが眼に見えていますから。自分自身、正規値段の切符を通しても改札が開かず乗り越えたという経験を幾度としています。CDGに10:25到着、いつもの2Eの一番手前のチェックイン機会に予約番号を入れて発券です。予定では30時間前にスマホでチェックインしたかったんですが、最後のホテルでWIFIが使いもにいならずできませんでした。直前では座席が選べず真ん中4列シートでした。パリは曇り、少し晴れ間がある。窓からパリの景色・・・。残念です。11時にはunder18の優先ゲートを使って手荷物検査も早々に終わり11時には出国となりました。いつもの土産物店でこれが最後とばかりにかわいらしい箱のお菓子を買ってM24ゲートへ。たくさん娘と話をしながら待って、機内清掃のため30分少し遅延して離陸しました。
8日目)7日。今回は救護活動がないものと理解した矢先、ゴビ砂漠の上で「ドクターはいないか」とアナウンスがありました。フランス語で、私は看護師だと申し出ました。フランス語が不十分なので、日本人パーサーの通訳を希望しました。私の列を担当しないけれど座席の隙間から見える位置で着座する美人の日本人パーサーが来ました。「フランスを話されるんですね。すごいですね」とんでもないことです。お話にならないレベルです。それでもクライアントにつたないフランス語で話しかけると応答してくれました。命に別条のないことを伝えて席に戻り残りの時間を過ごしました。彼女からは名刺を求められました。本人確認をするためだそうです。運転免許証は日本だし、クレジットカードでは無意味でしょう。パスポートしかないと申しましたら、結構ですと。
彼女の左手を確認しませんでしたが、ノートの切れ端にでも連絡先を記入して手渡しておくべきだったでしょう。フランス語のできる、年齢の釣り合いそうな女性は早々いるものではありませんから。この美人にはパートナーがいて当然だという思いがあったのです。積極性がどこかに・・・。次のフライトで出会うことが可能でしょうか・・・。落ち着いて彼女と話ができたことは幸いでした。救護内容は守秘義務により記述しません。
降機時にたくさんのスタッフから謝辞とキーホルダーを頂きました。私の活躍を見て娘も医療職を目指すといいのですが。
遅延は大幅に解消されてKIXに到着をしました。
機内では「銀河鉄道の父」「あん」という日本映画を楽しみました。「あん」はフランス語字幕でしたが、ほとんどのセリフを書き写しておきました。辞書で調べ調べ、例文を作成したりもしました。
フランス、ベルギー、ルクセンブルクとたくさんの文化圏を巡ることができました。それぞれに個性があり、歴史と文化、地質と地理的条件など広く学習しました。また娘との時間もたくさん得ることができました。非常に有意義な訪問だったと思います。
休暇とはいろいろな使い道がありますが、
まず、家族との交流が増えるというのは一番に良いことだと思いました。
次に、自分の夢を叶えるということが、人生に対して大きな意味を持つということも重要なポイントです。
日本人はもっと仕事以外に生きがいを見つけて、それに取り組むための時間を要求することを「社会善」だと認識すべきだと思います。
Posted at 2024/01/08 18:01:02 | |
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