僕が被災地、なかんずく、放射能汚染地のことを書いたとしても、
それは特定地域やそこに住む人たちを、どうこうするという意味で書いているのではありません。
孔子の言葉に『君子あやうきには近寄らず』という言葉があります。広く知られた言葉だと思っています。
『思慮深いものは、自ら進んで危険を冒さない』という意味ですね。
実生活においては、利益を得るために、幾らかの危険を冒さなければならないことがある、というのが事実です。
ほとんどのことが、そうだと思うのです。
人間に与えられた時間や能力、経済的条件・・・すべてに
「(自己の内部からの)制限」 知性の限界、筋力の限界、視力の限界・・・
「(社会的)規制」 法律、道徳、風習、規則・・・
「(自然によって規定される)限界」 一定の酸素濃度が必要、一定の衛生状態が必要・・・
(ああ、いい加減なことかいてるなあ。カントの批判哲学の足元にも及ばない)
(たとえば、黄熱病の研究をした野口英世が黄熱病で落命するとか)
そういうことも含まれているけど、ここでは放射能に限ってお話します。
昔、有機水銀が、どうやら付近住民の健康に、大きな影響を与えているだろうと
考えられたときに、学者や医者のなかに、因果関係を認める人たちがいました。
しかし、企業家はもとより、行政や国は、それを否定しました。
その因果関係が「正しいもの」だと証明されるのに、「反対派」の主張を許さないくらいに
因果関係があるのだと証明するのに、どれだけの時間がかかったか。
その間に、どれほどの新しい患者が生まれて、救済されたであろう命と健康がどれだけ奪われむしばまれたか。
それを思えば、「あやうきには近寄らず」の原則は当然だと思う。
以下省略。
いや、言葉足らずだと、「被爆地には立ち入るな」との主張と理解されかねない。
「立ち入るな」には結論そうなるのだが、
その前段として、「放射能汚染地域をどう取り扱うのか、議論をしろ」
「国、国民、住民はどのように考えるのか、を態度で示せ」
「国は国民の健康と命を最大限に擁護する態度を示せ」
「国民・住民は、自分たちの命と健康を最大限に守るように行動しろ、思考せよ」
といいたいのである。
補助金欲しさに、原発を再稼動したり、
電力会社や電気ジャブジャブ消費する企業家の、経営の健全化などという名目の元に
国民の生命と健康、ひいては財産の犠牲の元に、国益や企業の利益を優先するな。
(そもそも国益って、企業のためではなく、国民のためにあるべきなのだが、
日本国においては、自然人よりも、法人のほうが擁護されるという、おかしな国家、
法人格のほうに、基本的人権を擁護するような、政治行政であることに、
国民は怒りを覚えないのか?)
Posted at 2015/08/28 23:14:25 | |
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政府はいつも愚か | 日記