
福島県人にとって長州、山口は嫌悪するものであるらしい。
みのもんたの、県民ショウで、福島出身の前田吟に対してパーフェクトヒューマンのなんたらさんが
「福島県民と山口県民は結婚しないでしょう」と尋ねたら、言葉を濁していたが、
どうやらこれは本当らしい。
新政府軍は越後と東北に対して、むごたらしい戦闘を強いた、ということ。
ジュネーブ条約など関係ない1868年。
武士道精神が息づく会津では、「自決」=自刃や切腹等々。
白虎隊や家老西郷家における女性たちの自決の場面が、飯盛山や武家屋敷で展示される。
これが会津の精神のようで、長くお話をしたあるひとに「TVで見ましたが、結婚はしないですよね」と
尋ねると、当たり前のように返され、さらには「三春」のことに話が及んだ。
会津に攻め入るのに、街道は5つある。二本松から来る街道も重要。
中通りの諸々の町を懐柔すると都合がいい新政府軍は、まんまと三春を陥れ、二本松を総攻撃・・・。
これを福島県人は恨みに思っていて、平成の大合併において、三春は周囲の市町村と見向きもされず、孤立した(今も孤立しているということだろう)という。
会津の恨み、150年経っても、未だ已まず。
私たちは、大政奉還150周年スタンプラリーも兼ねていきましたが、
会津にとっては、来年、戊辰戦争150周年で「行事」をするそうです。
この話題、次に続く。
(安倍さん、いつお辞めになるのですか??)
写真の説明(ピンボケですみません)
西郷家、妻は娘5人といます。乳飲み子一人、幼少の二人は自らの手で殺害(言い方が悪いか)
次女はどうされたか忘れました。長女は16歳で自刃するも致命傷には至らず、
新政府軍の武将が屋敷に上がってきます。
「あなたは敵か味方か」
事情を察した武将は「味方である」といって介錯をします。
会津の武家の女子はよく躾けられています。
そのことを道徳観や倫理学的考察で、どうこう論ずるつもりはありません。
彼彼女らの行き方、価値観が、現代の会津人にも引き継がれている。
それは事実で、そのことに感慨を覚えました。
なにしろ、当県は、有形無形に何もないと、僕には感じますから、その点はとても羨ましく思うのです。
Posted at 2017/07/31 22:33:21 | |
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