2018年08月03日
Posted at 2018/08/03 23:51:24 | |
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出口 | 日記
2018年08月03日
7月の自動車販売統計を見に、自販連のサイトに入りました。
自動車関連税に関するアンケートがありました。
ぜひみなさまも、ユーザーとして声を上げてみましょう。
Posted at 2018/08/03 20:27:23 | |
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車一般 | 日記
2018年08月02日
職場の看護師ではない職種の方にお土産を。
なぜフランスばかりなのかと。
そりゃあ、もともとの専門がフランス思想ですから。
19,20でそれをやっていれば、当然今だってね。
フランス思想といえば、ルソーとかですか。
ぴったしかんかん!
さすが息子を医大に入れるだけの母親ですな。
看護師とは違います。
もちろん、看護師にだって僕のような人もいます。
でも大方は不勉強なのも事実です。
悔しかったら負けん気を出して勉強してください。
無理ですね。
なので、看護師にはこうしたことは原則言いません。
白眼視されますから。
そういう社会です。例外者は立ち去れと。
でも理解者が独りでもいたので、少しはこの病院で続けましょうか。
転職すると、出会いは遭っても、それを支える経済がガタガタになってしまう。
それも日本の制度ですから。
Posted at 2018/08/02 08:24:25 | |
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出口 | 日記
2018年08月02日
)序 地方都市にある閑散とした文化施設で施設の方に職業を尋ねられることがある。単に「看護師です」と答えると相手の顔が曇るので「フランス思想を専攻していましたが、食べていけないので看護師をしています」と付け加えると、そこから1時間会話が弾むのである。日本人のラベリング(いわゆるレッテル貼り)は人物観察の本質を見失わせている。多くの日本人は一斉に義務教育を終え、一斉に高等教育を経て、一斉に職業を得て・・・と一本道に進む生き方しか想像できないのだろう。
1)フランス1793年憲法 1793年6月27日採択
第1条 社会の目的は万民の幸福である。政府は人民に自然(=生まれながらに属する)かつ不易の(=消滅しない)彼らの権利の享有を保障するために設立される。
第2条 これらの権利は、平等(権)、自由(権)、安全(権)、所有(権)である。
第3条 すべての人民は生まれながらに、かつ法の下において平等である。
第4条 法は一般意思の自由かつ厳粛な表現である。等しく皆にとって法は保護し、罰する。即ち、法は社会にとって正義かつ有用なことをのみ命じることができる。かつ、法は害から守るためにのみ禁止することができる。
第5条 全ての市民は平等に (以下省略) (情熱開放 訳)
革命政府である国民公会において採択されるも、時代が早すぎるとして施行されなかった憲法である。フランスをはじめ西欧社会が民主主義において一日の長ありというのは歴史的経緯からも、現在の社会的状況を鑑みても明らかである。第4条に「一般意思」というJJ ルソーの思想用語(『社会契約論』)が登場するのは、ルソー主義者としてとても鼻が高い。
2)ルソーと私
「ルソー主義者としてルソーの足跡を余すところなく巡ることが必要だ」そう嘯くルソー研究者のブログに出くわしたことがある。私はルソーの足取りの全てを追うことは到底できない。直近を極めて簡略に紹介するに留める。 ①2014年 パリ:パンテオン(フランス共和国に貢献した人物の遺体を安置する聖殿)にて墓参。生誕302年目であったが、ロビーに論敵ヴォルテールとともに棺が出され、二人のバイオグラフィが対峙して展示してあった。あなたは文明論者か、それとも自然主義者か? ②2015年 ジュネーブ:生家。バイオグラフィとともに影響を受けた世界の人々の紹介があった。日本の代表は『告白』に影響を受けた自然主義文学の第一人者である「島崎藤村」であった。 アヌシー:ジュネーブを出奔した後にヴァランス夫人と奇妙な三角関係を経験。青年期の人格形成に影響を与えた。 シヨン:亡命のためジュネーブに帰国、不遇の扱いにシヨンを経てヌーシャテルへ(湖畔の島に滞在)。 ③2016年 リヨン:30代に家庭教師として滞在、任に能ず1年で解任された。19世紀末、土佐の足軽の息子、中江兆民が大久保利通に願い出て、渡仏に成功。リヨンの弁護士に師事して2年間学ぶ。帰国してルソーの思想を『民約論』で紹介、自由民権運動の思想的基盤を明治の世に与えた。
3)中江兆民と西部邁
リヨン訪問に際して中江兆民を改めて調べた。彼の著書『一年有半』(喉頭癌で余命一年半と宣告されたときの著作)の一節を掲げる。明治の日本、甚だ不満として、曰く『わが日本、古より今に至るまで哲学なし。そもそも国に哲学なき、あたかも床の間に掛け物なきが如く。その国の品位を劣にするは免るべからず。哲学なき人民は何事を為すにも深遠の意なくして浅薄を免れず。独造の哲学なく、政治において主義なく、党争において継続なき。その因、実にこれにあり。極めて常識に富める民なり。常識以上に抜きん出ることは到底望むべからざるなり。』
さらにyoutubeで検索すると、TokyoMX(とうきょうメトロポリタンテレビ)で故西部邁氏が中江兆民を紹介するものに出くわした。曰く「中江はフランス人を自由自由と叫ぶ瘋癲で、フランス社会は自由と平等の瘋癲病院である」と。西欧に憧れる幕末の青年がフランスで実際に見たものは「精神病院」であったのか。それが晩年は日本批判となる。複雑奇怪な人物中江兆民の紹介は紙面が足りず、西部氏の言説も同様にて、この章を断筆する。
4)エミール
私はとても疑問に思う。専門家のいうことは正しいのか? その正邪を判定できるのは誰か? 専門知識を持たない一般人は専門家の論理をどう受け取るべきか、どう理解すべきか。治療のことは医師に任せるべきか。教育のことは教育者に任せるべきか。私は専門家を疑う部分がある。それには根拠がある。 残念にもほとんどの親は、さまざまの教育理論に触れることなく、自身の経験則にのみ従って教育を行っているようである。専門教育を受けた教員はどうかといえば、これも恐ろしくも、文科省の定める学習指導要領に従属しているのである(都合二人の娘の複数の担任に対話を試みるが、いつの時代も学校は文部行政の末端部門でしかないと断ずるに至った)。
とんでもないことだ。常々私は自分に施されている教育が間違っていると感じていた。この直観は正しかった。(中略) 教育学科の授業に出たことがある。訝しがる教授が私に尋ねる。「どうして法学部の学生が教育方法論の授業に出るのか」「『エミール』を読んで感動しました。現場ではどのように扱われているのか知りたくなったからです」「わかった。では教育学を専攻する学生は『エミール』を読んだことがあるか」皆無であった。「法学部の学生ですら読んでいるのに、教育学を専門とするものが読んでいないとは何事か!」教授は激怒した。
しかし私はこれまでに幼児教育過程でも児童教育課程であっても専従するものに『エミール』はおろか、そのほかの教育理論家の著作を手にしたことがある人物に出会ったことがない。名前すら知らないというのだ。自分よりも劣るものに子どもの教育を任せたいなどと誰が思うだろうか…。生命と同等に教育はもっとも重要なものであるのに、専門家も一般人もその重要性を知らないというのか…。
『エミール』に関して、よく書かれたブログがあったので、手抜きをしてそれを参考文献1)として添付する。筆者は早稲田大学政治経済学部を卒業し都職員を勤め上げた人物で、自身の文学部的素養を多数記録に留めている。また外務省の子供向けのHPにあるフランスの教育の紹介を参考資料2)として添付する。日本の保育は母親を労働者として働かせる目的であるが、フランスは幼児の教育の機会を保障するために行っている。学童期にあっては、日本は画一的で長時間学校に縛りつけ(教員の長時間労働も引き起こしている。フランスの教員は休暇を取りやすい職業に挙がる)、できない子どもの自尊心を守り、できる子どもの自尊心を削いで、かつ一斉就職として企業への人材供給に貢献している。フランス(日本を除くG7諸国でも同様)は個々人の能力獲得を主眼に置き、社会に出る時期は個人の能力や志向において差異が出るのを自然なことと考えているようだ。結果として日本の大学進学率は50%を超え、フランスは30%台である。学校とは公権力行使の場である。敷地から一歩出れば個人の自由(責任)である。こう考えるフランスには宿題がない。日本はゆとり教育でこれを真似たのだろうが、学力が低下してしまった。なぜ日本人は自発的に学習ができないのか。内発的な衝動を持たない日本人に『エミール』は適応しないだろうか。
5)フランスでブラタモリ
「ブラタモリ」では地質が地理的景観を規定することが説かれている。また政治や法律が地理的景観を規定することも良く知られている(地政学)。政治や法律を紐解くのは大変なことであるが、地質が景観に与える影響を論じることはそれほど困難ではない。旅に出ては、例えば、山陽本線の車窓から摂津、播磨、備前、備中にかけては花崗岩、備後は讃岐の火山からもたらされた凝灰岩、安芸は再び花崗岩と観察できる。長門は石灰岩と実況見分してある。城跡の石垣も地方で算出する花崗岩、凝灰岩、安山岩、石灰岩を観察することができる。フランスでも地形と都市景観について説明をしている。
2014年 パリ:シテ島を最深部とした侵食盆地(ケスタ地形)を形成し半径は一般的には数十km、地質学的には最大数百kmである。パリの地下には大空洞があり、切り出した石で都市が建設された。その空間のひとつにはペストで死んだ無数の遺骨が埋葬されている。 マルセイユは石灰岩質のレイヤーが幾重にも重なって、西に向かって沈み込み西端部の入り江が旧マルセイユ港になっている。沖のイフ島(『岩窟王』の舞台)に地層をよく観察できる。市内には石灰岩(大理石)の白い石を利用してモザイク柄の教会が散在する。
2015年 ジュネーブ:ヒマラヤ=アルプス造山帯に東西にいくつも断層が走るがひとつに断層湖を生じた。レマン湖である。その西端にジュネーブがあり唯一湖水が流れ出すローヌ川がありリヨンを経てプロバンスで地中海に注ぐ。アヌシー湖も断層湖である。シャモニー モンブランの石の博物館にてアルプスの地質を学習、日本と同じ新期造山帯にて石油、天然ガス、金銀銅の産出する類似する特徴を学んだ。アルプスを散策中に見つけたきらきらと輝く小石。輝銅鉱ではないのかなあ…
2016年 リヨン:ローヌ川とソーヌ川の合流する三角州の小島と付近の河岸段丘に最初の都市形成を見た。東側に低湿地が広がり、西側と北側に段丘面を持つ。西側には花崗岩質の丘陵が広がり、水はけが良いためブドウ栽培が盛んなヴォジョレー地方がある。東側の平原にはローヌ川が蛇行して、川沿いにある高速増殖炉スーパーフェニックスが解体されつつある。
2017年:ニース アルプス山脈が地中海に沈みこむ場所にあるのがコートダジュール。その西方にあるのがニース。ニースは海から背後の山地になだらかに傾斜を持つ地形である。中心街の北東側にローマ遺跡のあるシミエ丘陵があり更に東側に枯れ川がある。ここに段丘崖があり礫層がむき出しになっている。この礫層はアルプス山脈と同じく、もともと海中にあり洪水によって運ばれた砂礫が堆積し造山運動で隆起したものと考えれる(アルプスでは海中生物の化石が見られる)。触ればボロボロと崩れるので、少雨の気候だからこの丘の建物は崩れずに保っていると考えられる。ニースの海岸は小石の砂利浜であるが、東西の町は砂浜である。山から運ばれてくる土砂に違いがあるはずだが…。同様にニースの西方にあるカーニュシュルメールの丘陵も礫の小山で人気のない急坂の散策路の崖は風化が進むが、なんらの対策もなされていないようだ。このように侵食、風化の激しい礫層がコートダジュールには散在するため、侵食を免れた小山に多数の鷹巣村が建設され、独特の景観を生み出したのだろう。
6)今年の旅程
アヴィニョン:プロバンスの中心都市。今年は7月6日から24日まで演劇祭が行われる。僕はその翌日に入る。演劇祭を鑑賞することはとてもすばらしいことだけど、それを外すのは、10歳の娘には早すぎること、騒がしいと旧ローマ教皇庁の雰囲気が壊れること、短い旅程に町めぐりが十分できなくなるから。ローマ教皇庁は今はバチカンにあるけれど14世紀にはここフランスのアヴィニョンにあったのです。宗教の総本山って大金持ちだから、一気にアヴィニュンが栄えて、それが現代にも影響している。この事件(アヴィニョン捕囚)は15世紀のプロテスタントの登場につながるキリスト教の歴史。それをじっくりと学んできます。
アルル:ヴァン=ゴッホで有名だね。理想を求めて南仏へ移住。絵画仲間を誘ったけれどゴーギャンだけが付いて来てくれた。だけどあるとき、ゴッホが贔屓にしていた娼婦をゴーギャンが愛してしまったことに嫉妬して、ゴーギャンを刺そうとする。ゴーギャンに見つかって、計画は未遂、自ら左耳を切り落として精神病院に入院した。有名な「ひまわり」や「アルルの跳ね橋」はこの地で描かれたもの。アルルのもうひとつの顔は古代ローマ遺跡が豊富に残っていること。2000年前の遺跡が現代にも残り、古代劇場は今でも使用されている。円形闘技場、ローマ浴場、古代墓地・・・数々の遺跡が残る珍しい町。娘にはビゼーの「アルルの女」が印象深いか。
オランジュ:英語だとオレンジ、オランダ語でオラニエと表記するけれども、果物とは関係なく、もともとはアラウシオという名でこれが変化したものだという。12世紀にはオレンジ公(オラニエ公)の支配となり、オラニエ公はナッサウ家と結びつき、現在のオランダ王家の血筋となる。有名なのはルイ14世が「偉大なる壁」と讃えた古代劇場。それは普通半円形で、円を切ったところの中心に舞台を設けて円形の客席と反対側に壁を立てます。幅103m高さ37m それはもう異様な威容でしょう(笑)。演劇やコンサートに利用されています。
最後に地中海に面した浜辺の町と、その手前にあるラムサール条約に登録されているカマルグ湿原について。アルルからレンタカーを借りて地中海に向けて走ります。しばらくすると麦畑に出るはずです。ひまわり畑は少ないはずです。麦は既に刈り取られていることでしょう。大きな湖の脇に出ます。フラミンゴがいます(フラミンゴはアフリカフラミンゴとヨーロッパフラミンゴに分類されます。ここにはヨーロッパフラミンゴが自然繁殖しています)。砂地を利用した牧場がいくつもあって乗馬が楽しめます。そして浜辺の町、サントマリードゥラメールに到着です。古風な教会を中心にした町です。遠浅の海で海水浴を楽しみます。
このあとに、早稲田の政経卒、都職員を経験したかたの、エミールの紹介文と
外務省のキッズ外務省 世界の学校 フランス共和国 の分を付け加えておいた。
Posted at 2018/08/02 08:19:24 | |
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出口 | 日記
2018年08月02日
帰国して出勤すると出入りの業者に出会った。
ぴったんこ、フランス行きを言い当てられたが、彼曰く、なじみの医者はブルゴーニュに留学したという。
その医者は、仕事の一環のお勉強で渡仏である。
一方私は、物見遊山なのか。
主国前、休暇日数の話で、原則7日しかくれない休暇、しかし前後の週末を含めれば9日になるのにと嘆くと、
「趣味のために」と指摘。休暇が増えても暦通りの休みなのだから、誰にも迷惑をかけないが、
長期休暇を当てることが不平等になるという。
(しかし今の上司は、夫との都合で休暇が遭わなくて長期休暇の取れないひともいれば、自由に取れる人もいる。それを一律に扱わなくてもいい、という考え。こちらが本来、合理的というものでしょう)
海外旅行をたくさん経験してきた一人の上司は、日本の休暇日数の少なさを指摘するが、
僕は即座に、「旅行の質」で返答した。
決して、私の旅行は「趣味」でも「物見遊山」でもない。
指摘ではあるが、「学問追究の一環」である。そう思っているだが・・・。
腹が立ったので、職場に次の書置きをして出かける、つもりにしたのだった。
Posted at 2018/08/02 08:16:14 | |
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