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情熱開放のブログ一覧

2019年12月27日 イイね!

ニーチェの言葉

Verbrennen mußt du dich wollen in deiner eignen flamme :

wie wolltest du neu werden, wenn du nicht erst Asche geworden bist!

先の東大総長の話のニーチェの言葉の原文。


私訳

君は君自身の炎で君を燃やさなければならない。

どのようにして君が新しいものになるのだろう。

君がまず灰にならないのだとしたら。


自分自身の炎で燃えつくせ。
新しい自分になるためには、まず灰にならないといけないのだから。
若い人は人生をやり直すことができる。
だから今を精一杯燃えて生きるのだ。

来年の志に相応しいだろう。

いうているまに、ウィーンに旅立つ。ベートーベン交響曲第9番の合唱を口ずさんだり、ようやくドイツ語学習に気乗りしてきたところだが、もう時間がない。30は出勤、31は待機である。その夜に飛び立つ。
焦る? 今夜は眠ろう。明日頑張ろう。

Posted at 2019/12/27 22:27:31 | コメント(0) | トラックバック(0) | deutch | 日記
2019年12月27日 イイね!

Verbrennen mußt du dich wollen in deiner eignen flamme : wie wolltest du neu werden, wenn du nicht e

Verbrennen mußt du dich wollen in deiner eignen flamme : wie wolltest du neu werden, wenn du nicht erst Asche geworden bist!
Posted at 2019/12/27 05:59:27 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2019年12月27日 イイね!

量的快楽は、すぐに消滅し、再び手に入れなければならなくなる。一方、質的快楽は自分の血となり肉となり、記憶として蓄積され、反復できる。前者は動物的であり、後者は知的である。人間はどちらを選ぶべきであろう

他のHPをそのまま複写

著作権も何もあったもんじゃあない。

URLをコピペすればいいじゃあない。

それはそうだが。

かくたるHPもさて、発言者の了解を得たのだろうか。




では、本文へ。

2015年3月、東京大学で行われた卒業式典で印象的なスピーチがありました。

東京大学教養学部長・石井洋二郎氏による力強いメッセージをぜひご覧ください。

皆さん、本日はご卒業おめでとうございます。

また、ご列席のご家族の皆様方にも、心よりお祝い申し上げます。今年度の教養学部卒業生は175名で、そのうち女性は50名、留学生が1名です。

全学の式典はすでに午前中、改装されたばかりの安田講堂で挙行されましたので、ここでは教養学部として、あらためて皆さんとともにこの日を慶びたいと思います。

東京大学の卒業式といえば、もう半世紀も前の話になりますが、東京オリンピックが開催された年である1964年の3月、当時の総長であった経済学者の大河内一男先生が語ったとされる有名な言葉が思い出されます。曰く、

「肥った豚よりも痩せたソクラテスになれ」。

当時、私はちょうど中学校にあがる年頃でしたが、この言葉は新聞やテレビでかなり大きく報道されましたので、鮮明に記憶に残っております。また、子供心に、さすが東大の総長ともなると気の利いた名言を残すものだと、感心したこともなんとなく覚えております。皆さんの中にも、どこかでこの言葉を耳にしたことのある人は少なくないでしょう。

ところが、これはある機会に一度お話ししたことがあるのですけれども、じつはこの発言をめぐっては、いろいろな間違いや誤解が積み重なっているんですね。



まず第一の間違いは、「大河内総長は」という主語にあります。というのも、これは大河内先生自身が考えついた言葉ではなく、19世紀イギリスの哲学者、ジョン・スチュアート・ミルの『功利主義論』という論文からの借用だからです。

東大の総長ともあろうものが、他人の文章を無断で剽窃したのか、と思われるかもしれませんが、もちろんそういうわけではありません。式辞の原稿を見てみますと、そこにはちゃんと、「昔J・S・ミルは『肥った豚になるよりは痩せたソクラテスになりたい』と言ったことがあります」と書かれています。「なれ」という命令ではなく「なりたい」という願望になっている点が少し違っていますが、それはともかく、ここでははっきりJ・S・ミルの名前が挙げられていますから、これは作法にのっとった正当な「引用」です。

ところが、マスコミはまるでこれが大河内総長自身の言葉であるかのように報道してしまった。そして、世間もそれを信じ込んでそのまま語り継いできたというのが、実情です。



次に第二の間違いですが、これはもっと内容に関わることです。じつは、ジョン・スチュアート・ミル自身は「肥った豚よりも痩せたソクラテスになれ」とも「なりたい」とも、全然言っていないのですね。さきほど題名を挙げた『功利主義論』の日本語訳を見てみますと、こう書いてあります。

「満足した豚であるより、不満足な人間であるほうがよい。満足した馬鹿であるより、不満足なソクラテスであるほうがよい。」

大河内総長の言葉とはだいぶ違いますね。ちなみに、英語の原文はこうなっています。

”It is better to be a human being dissatisfied than a pig satisfied; better to be Socrates dissatisfied than a fool satisfied.”

この原文を見ると、どうやらさきほど引用した日本語訳は正確なようですから、大河内総長のほうがこれをまったく別の文章に改変してしまったとしか考えられません。たぶん漠然と記憶に残っていた言葉を、自分の言いたいことに合わせて適当にアレンジしたのでしょう。

その結果、「満足した豚」は食べたいものを食べたいだけ食べるということで「肥った豚」になり、「不満足なソクラテス」は食べたいものにも安易に手を出さないということで「痩せたソクラテス」になったものと推測されます。しかしこれでは原文とまったく違ったニュアンスになりますから、ミルが語った言葉として紹介するのはさすがに問題なのではないか。下手をすると、これは「資料の恣意的な改竄」と言われても仕方がないケースです。



ところが、間違いはこれだけではないんですね。じつは、大河内総長は卒業式ではこの部分を読み飛ばしてしまって、実際には言っていないのだそうです。原稿には確かに書き込まれていたのだけれども、あとで自分の記憶違いに気づいて意図的に落としたのか、あるいは単にうっかりしただけなのか、とにかく本番では省略してしまった。ところがもとの草稿のほうがマスコミに出回って報道されたため、本当は言っていないのに言ったことになってしまった、というのが真相のようです。これが第三の間違いです。

つまり、「大河内総長は『肥った豚よりも痩せたソクラテスになれ』と言った」という有名な語り伝えには、三つの間違いが含まれているわけです。まず「大河内総長は」という主語が違うし、目的語になっている「肥った豚よりも痩せたソクラテスになれ」というフレーズはミルの言葉のまったく不正確な引用だし、おまけに「言った」という動詞まで事実ではなかった。というわけで、早い話がこの命題は初めから終りまで全部間違いであって、ただの一箇所も真実を含んでいないのですね。

にもかかわらず、この幻のエピソードはまことしやかに語り継がれ、今日では一種の伝説にさえなっているという次第です。 さて、そこで何が言いたいかと申しますと、まず、皆さんが毎日触れている情報、特にネットに流れている雑多な情報は、大半がこの種のものであると思った方がいいということです。

そうした情報の発信者たちも、別に悪意をもって虚偽を流しているわけではなく、ただ無意識のうちに伝言ゲームを反復しているだけなのだと思いますが、善意のコピペや無自覚なリツイートは時として、悪意の虚偽よりも人を迷わせます。そしてあやふやな情報がいったん真実の衣を着せられて世間に流布してしまうと、もはや誰も直接資料にあたって真偽のほどを確かめようとはしなくなります。

情報が何重にも媒介されていくにつれて、最初の事実からは加速度的に遠ざかっていき、誰もがそれを鵜呑みにしてしまう。そしてその結果、本来作動しなければならないはずの批判精神が、知らず知らずのうちに機能不全に陥ってしまう。ネットの普及につれて、こうした事態が昨今ますます顕著になっているというのが、私の偽らざる実感です。

しかし、こうした悪弊は断ち切らなければなりません。あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること、この健全な批判精神こそが、文系・理系を問わず、「教養学部」という同じ一つの名前の学部を卒業する皆さんに共通して求められる「教養」というものの本質なのだと、私は思います。YasudaAuditorium(出典:ja.wikipedia.org)

今朝の本郷での卒業式では、学生代表の文学部の学生さんが、答辞の中でたいへんいいことを言っておられました。私も今朝初めて聞いたばかりですから正確には再現できませんが、おおざっぱに要約すれば、「どんな言葉にも名前が記されている。たとえ匿名の言葉であっても、それを発した人間の名前は刻印されている。

しかしそれで自己規制したり沈黙したりしてはならない。私たちは自分の名前において言葉を語らなければならない」といった趣旨であったと思います。

まことにその通りで、これから皆さんが語る言葉には、常に名前が刻まれています。それは皆さんが普段名乗っているいわゆる「名前」だけでなく、東京大学という名前であり、教養学部という名前でもあります。

ですから皆さんは、今後どのような道に進むにせよ、研究においても仕事においても、決して他者の言葉をただ受動的に反復するのではなく、健全な批判精神を働かせながらあらゆる情報を疑い、検証し、吟味した上で、東京大学教養学部の卒業生としてみずからの名前を堂々と名乗り、自分だけの言葉を語っていただきたいと思います。

ところで、もう一度「豚とソクラテス」に戻りますが、私ははじめてこの言葉を聞いたとき、子ども心に、どうして「肥った豚」か「痩せたソクラテス」のどちらかでなければいけないのだろうか、と不思議でなりませんでした。どうせなら「肥ったソクラテス」になればいいじゃないか、と思ったわけです。

そこで大河内総長の式辞原稿をもう一度見てみますと、そこには例の有名なフレーズに続けて「我々は、なろうことなら肥ったソクラテスになりたいのですが」とも書かれていました。じっさい、ソクラテスであるためには必ず痩せていなければならないという道理はありませんから、この点では私もまったく同意見です。

ただ、ぶくぶくと肥ったソクラテスというのもなんとなくイメージしにくいですね。本日の本郷での卒業式では、この3月末で6年間の任期を終えられる濱田総長が式辞の最後でとどめの「タフ&グローバル」を口になさいましたが、ここではその濱田総長と、半世紀前の大河内総長に最大限の敬意を表して、2人の総長の合わせ技で「タフでグローバルなソクラテスになれ」、と皆さんに申し上げておきたいと思います。bd4178cc-sl(出典:http://withnews.jp/article/)

さて、かく言う私も、この3月で教養学部長の任期は終了いたします。また、それと同時に、駒場の教員としても退職いたします。いささか恥ずかしげもなく月並みな言い方をすれば、今日は皆さんの卒業式であると同時に、私自身の卒業式でもあるわけです。

人生のひとつの区切りを皆さんと一緒に迎えることができたというのは、何かのご縁かもしれませんが、ともあれこの壇上から式辞を述べるのも、これが最後の機会となりますので、私は大河内総長の「痩せたソクラテス」でもなく、濱田総長の「タフでグローバル」でもなく、自分自身が本当に好きな言葉を皆さんに贈って、この式辞を終えたいと思います。 それはドイツの思想家、ニーチェの『ツァラトゥストゥラ』に出てくる言葉です。

きみは、きみ自身の炎のなかで、自分を焼きつくそうと欲しなくてはならない。きみがまず灰になっていなかったら、どうしてきみは新しくなることができよう!

皆さんも、自分自身の燃えさかる炎のなかで、まずは後先考えずに、灰になるまで自分を焼きつくしてください。そしてその後で、灰の中から新しい自分を発見してください。自分を焼きつくすことができない人間は、新しく生まれ変わることもできません。私くらいの年齢になると、炎に身を投じればそのまま灰になって終わりですが、皆さんはまだまだ何度も生まれ変われるはずです。これからどのような道に進むにしても、どうぞ常に自分を燃やし続け、新しい自分と出会い続けてください。

もちろん、いま私が紹介した言葉が本当にニーチェの『ツァラトゥストゥラ』に出てくるのかどうか、必ず自分の目で確かめることもけっして忘れないように。もしかすると、これは私が仕掛けた最後の冗談なのかもしれません。

皆さんの前に、輝かしい未来が開けますように。そして皆さんが教養学部で、この駒場の地で培った教養の力、健全な批判精神に裏打ちされた教養の力が、ますます混迷の度を深めつつあるこの世界に、やがて新しい叡智の光をもたらしますように。 万感の思いを込めて、もう一度申し上げます。

皆さん、卒業おめでとう。

平成27年3月25日 東京大学教養学部長 石井洋二郎
2019年12月26日 イイね!

25 dec 2019 昼休み

24日の朝に中学でに電話をし、教育委員会と対応を考えるとのこと、

同日15時には返答の着信。

25日朝に確認。

校則に定められている制服の着用を求めるも、私服通学を強行され場合には、

娘に不利益のないように対応するとの返事を頂く。

ただし、他の生徒に対する指導上の問題からあくまでも制服の着用を求めるとのこと。

しかし、こちらもあくまでも法律的に校則の存在や校則で制服を強制する根拠がないために従うことのできないこと、国内の公立中学に制服、校則のない学校が存在するのに同じ利益を得られない(行政は広く国民に平等の利益を与えなければならない)のは不平等だと主張。話は平行線。



話し合いはここで終わりとし(両者の正義は相容れない)、他の生徒への影響、他の生徒や保護者からの何がしかの行動があったときに、再度話し合いをしましょうと電話を切った。



問題を大きくしないことで、裁判沙汰にもならず、学校側は校則という生徒支配の強力な武器を失うことはなく、こちらも私服通学という利益を得る、
ウィンウィンということなのだろう。


ここまで復習。





これを受けて、保護者からどのような反発を食らうか(評価されるなどと考えていない。当方の県民意識を考えてみれば)予習しておく必要があるだろう。
そう考えて昼休憩、同年代の子供を持つ母親たちに尋ねてみた(一部再雇用者)。

私服通学や校則の是非について

まず法律論として「校則を正当化する根拠法がないこと」「表現の自由、自己決定権、児童の自律性養成の憲法、教育基本法に反するということ」を説き、同じような民主憲法を持つG7の国々で制服のないことを解きかつ制服や校則のない公立中学の存在を示した上で

(だからといってそうした法律論を彼女たちが理解したとは到底考えなくていい。たとえば、基本的人権に関する憲法の規定を諳んじることができないのであるから。その国の憲法も知らずに、堂々と国民としてききられるのが不思議でたまらない)

返答
1)校則は守らないといけない
→法律に根拠なく、自由を奪うことはできない
⇒法律論は理解できない。

2)制服にもいろいろあるし、スカートが嫌ならジャージを履ける。
→娘はそんな不恰好はできないという。それならズボンだね。暖かい。女子は身体を冷やさないほうがいい。
⇒とにかく制服を着せたい。

3)一人私服では浮く。
→個性の尊重、個人の価値観の尊重という人権主義はどこへいった?
⇒個人の法益よりも公共の福祉が優先される。
→戦前のままだ。

4)制服で学校を選んで勉強を頑張る(高校の場合)。
→すべての学校で自由服なら、制服で学校を選ばなくていい。立地、学力、学校の特色(もっと合理的、合目的的なもの)で選択できる。どの学校でも好きな私服であろうが制服であろうが着たらいい。

5)情熱さん自身は私服で通ったか?
→高校で自由服の学校があったが学力が逢わず選択できなかった。4)にも関わるが、希望の服装の学校があっても、実力より下だったら、選択肢から外れるのではないか? 服装を理由にする選択は難しい。


6)校則は守るべきもの。
→校則ありきではなく、なぜその校則があるかを考えることからはじめなければ意味がないと解く。
⇒理解できない。

7)これからのトレンドであると説いても、受け入れられず。



結論。もっと調べると、公立中学だけでも、50くらいの学校は私服通学を認めている。
この地方の県民性はあまりにも蒙昧。啓蒙が必要。県人権局に訴えて、毎年の人権研修が「時間的に増大した」とはいえ、受け手の人権意識は到底、民主主義国家、人権国家の国民たるに全然足らない。

校則ありきの考えを、法治国家の基本的な法律上の、憲法や法律に規定のあることそれに反しないことの検証ができない。




蛇足だが、こうも加えたが理解されなかった。

制服のために人物評価が限局されて、女なら顔、男なら成績で
もてるもてないが決まる。まがりなりにも一夫一婦制の制度において
迷惑だったと述べたが、「理解できない」と。
制服との関連が。

私服なら自分をよりよく見せようとするひとが評価されるのだから
評価軸が増える。服装に無頓着な僕は、もっともてなくて安穏としていられた
というわけだ。

美人だからといってもてたとしても、それが必ずしも恋愛とは結びつかないことにもある。やりたい放題の今ならいざ知らず、かしこまった昔の時代なら、
いらぬ誤解や嫉妬戦争に巻き込まれ、恋愛に関心のない僕に勉強の環境を与えない。




さてはて、
地方でもトップ校は私服だという県も見受けられるのだが。
地域で、こんなにも対応が違うとは。

ここを住処にして、大損こいた。
こいたが、後悔ばかりでは始まらない。
この地では初の試みらしいが、日本では、もう当たり前のこと。



詳細は省略するが、当県と三重県の比較など、とても面白いのだが。
ホンダやパナソニックの工場がいくつもある。悪名高き石原産業もある。
工場労働者確保のためポルトガル語母国語の児童もたくさんいる。
そういう環境だから三重はこれほど開明的なのか。




日本(当県)は欧州よりも2周遅れている(1周は100年。今年は明治151年だが、あの頃よりも内向きで)。

当然といえば当然。2000年前に既にかなりいかれた文明があったのだから。
到底追いつけない。追いつけないが、追いつこうとする精神が見られないのは、もっと悲惨。

大陸は競争が激しく、優秀なDNAが生き抜いた。
島国は同等圧力の下、競争がなく同質社会となった。
なんと不幸なことか。
生まれだけで、こんなに不平等とは。
Posted at 2019/12/27 00:59:23 | コメント(0) | トラックバック(0) | 私服登校 | 日記
2019年12月26日 イイね!

なぜ反米の立場を取るか

とある記事から

占領軍は、むしろ日本を非常に買いかぶっておりましたから、いかにこれをアメリカナイズするかということにたいへん研究を積んでおります。このアメリカのGHQの対日政策というものは実に巧妙なものでありました。
この政策に巧妙な解説がありますが、たとえば3R、5D、3S政策というものです。
これについて、私に初めて説明した人の名前を今、記憶しないんですが、当時GHQにおりました参事官でガーディナーという、ちょっと東洋流の豪傑のようなところもある人物からも直接聞いたことがあります。
それによると、3Rはアメリカの対日占領政策の基本原則、5Dは重点的施策、3Sは補助政策です。
3Rの第一は復讐(Revenge)です。アメリカ軍は生々しい戦場から日本に乗り込んだばかりで復讐心に燃えていたので無理もありませんが、復讐が第一でした。第二は改組(Reform)。日本の従来のあらゆる組織を抜本的に組み替える。第三は復活(Revive)で、改革したうえで復活、つまり独立させてやる、抹殺してしまうのは非人道的だからというわけですが、この点、日本はアメリカが占領軍で有難かったわけです。共産国だとどうなったかしれません。
5Dの第一は武装解除(Disarmament)、第二は軍国主義の排除(Demilitalization)、第三は工業生産力の破壊(Disindustrialization)で、軍国主義を支えた産業力を打ち壊すというもの。第四は中心勢力の解体(Decentralization)で、行政的に内務省を潰してしまう。警察も国家警察も地方警察とに分解する。そして財界では、三井総元方あるいは住友、三菱の総本社を分解する、つまり財閥解体です。第五は民主化(Democratization)で、日本の歴史的・民族的な思想や教育を排除してアメリカ的に民主化する。そのためにはまず日本帝国憲法を廃棄して天皇を元首から引き降ろし、新憲法を制定してこれを象徴にする。皇室、国家と緊密な関係にあった神道を国家から切り離す、国旗の掲揚は禁止する。教育勅語も廃止する。これにはかなり抵抗がありましたけれども、GHQのひとにらみで駄目になってしまった。
新憲法も、あれを受け入れるならば、「日本が独立の暁には、この憲法は効力を自然に失う」という付則をつけておくべきであったが、そういうことも何もしていない。ドイツなどは、それをちゃんとやったのです。これをやらなかった日本は、本当に間抜けというか、意気地なしというか・・・、そしてアメリカ流のデモクラシーに則って諸制度を急につくり上げてこれを施行したわけです。これが5D政策です。
それを円滑あるいは活発に行わしめる補助政策として3S政策があった。第一のSは、セックスの解放、第二のSがスクリーン、つまり映画・テレビというものを活用する。それだけでは民族のバイタリティ、活力、活気を発揮することがないから、かえって危ない。そこで精力をスポーツに転ずる。これはうんとやらせる。スポーツの奨励ーこれが第三のS。これらを、3Rの基本原則と、具体的な5D政策の潤滑油政策として奨励した。なるほど、これはうまい政策でありまして、非常に要を得ておる。これを3R、5D、3S政策というわけです。
こうした占領政策を施行された時に、日本人は堂々と振る舞うと思ったのですが、案に相違して、我も我もとGHQ参りを始めました。特に公職追放が行われてから後は、表向きの人々はGHQ様々で唯々諾々として「命これを奉ずる」という有様でした。そこへゆくと、同じ敗戦国でもドイツ人は違っていました。彼らは、なにしろ昔から勝ったり負けたり繰り返してきているから、たまたま負けても動ずるところがない。ですから、占領軍が命令しても悪いことは堂々と拒否する。日本人は唯々諾々、直立して「イエス・サー」と言うからイエスマンといわれたが、ドイツ人はこういうふうですからNein Mensch No Manです。占領軍は、だから、初めは日本人を可愛がり、ドイツ人を憎みましたが、しばらくすると、「日本人はつまらぬ、骨がない」と軽蔑し、逆にドイツ人は「しっかりしとる」と褒めるようになったのです。
日本を全く骨抜きにするこの3R、5D、3S政策を、日本人はむしろ喜んで、これに応じ、これに迎合した、あるいはこれに乗じて野心家が輩出してきた。

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「気力はある。それもない?
とにかく疲れる。したいことはたくさんある。しかしすぐに疲れる。
3月14日からおかしい。いくら寝てすっきりしても、バッテリーが持たない。
これでは旅行どころではない。」
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