交通事故で亡くなるのは、事故の当事者。
影響範囲は、生活や家計を共にするもの。
原発事故は、未来永劫の問題。人類が滅んでも影響か残る大問題。
「事故」にもレベルがあることを、すっぽかす詭弁。
宮城に行ってきたばかりだが、
もう
宮城には行かないことにする。
あまりに、「愚かな知事と県民」だからである。
「事故」
交通事故と、原発事故が、同じレベルで語ることができるというのなら、
人間はどうせ死ぬのだから、
「老衰」も「病死」も「自殺」も「殺人」も、そして「事故死」も
同じ価値になるのではないだろうか?
誰もそうは考えない。
ぜんぜん価値が違うからだ。
「自然の成り行き」
「自分の選択」
「他人の押し付け」
「偶然、突発」
これら、根拠、原因、理由が違うのだから、
人々に与える影響は、
ぜんぜん違って当たり前だ。
これを、
事故は事故だから、交通事故も原発事故も同じだ、なんて、
首長の意識の低さには驚かされる。
リコールものだな。
さようなら。
宮城。
おばかさん。
さようなら。
福島。何も解決していない。
解決するはずもない。
そんな爆弾に、君子は近寄りません。
この国は、貪欲なくせいに、無知な、阿呆どもの集まりです。
自滅して、当然なのです。
あほうども、さようなら。
そう、さようならするなら、
僕は、自殺するしかない、
ということは、よく理解しています。
ここは地獄です。
オッフェンバックの オペラ
地獄のオルフェ のような地獄です。
鬼はもういません。煉獄も、貪欲な阿呆どもに乗っ取られて。
連日連夜乱痴気騒ぎです。
さようなら、
阿呆ども。
じわじわと目に見えない放射能の炎に焼かれるいいのです。
子どもは親を選べません。
阿呆な親を持った不幸と思って、
日本人の子々孫々は、親世代を罵ったらいいのです。
何の解決にもなりませんが。
いまや、阿呆につける薬がないのではなくて、
阿呆にあきれ返っている人間には、生存権がない、という次第です。
Posted at 2020/11/12 00:45:05 | |
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政府はいつも愚か | 日記