2024年01月12日
Posted at 2024/01/12 21:42:49 | |
トラックバック(0) |
出口 | 日記
2024年01月12日
正月は日本にいなくてよかった。
正月から気が滅入るところだった。
Bruxelles で、スマホでみたり、イタリア放送のニュースで能登や羽田を知った。
ああ、日本にいたら、ボランティアにいったろうか、と思うと、海外にいて行けないことが、精神的安楽をもたらした。
阪神淡路大震災のこともあらかた忘れていた。
南海トラフの試金石のように感じたが、またどうせ忘れるのだ。
よほど馬鹿でなければ、生きてはいけない。
阪神淡路大震災は3ヶ月ほどで、社会活動が再開したか。
南海トラフ?
広域災害に国は対応できるか?
否だな。
利権第一で何が?
東海道新幹線?
代替が、リニア?
御前崎原発だけじゃあない。
火力も被災。
リニアを動かす電力なんてあるのか?
自衛隊?
どこから手をつける?
田舎は見殺し?
反割れで2回の大地震?
君子危うきに近寄らず。
欧州移住を目論み下見をするのは、いけないことか?
Posted at 2024/01/12 20:03:33 | |
トラックバック(0) |
出口 | 日記
2024年01月09日
Posted at 2024/01/10 00:43:24 | |
トラックバック(0) |
出口 | 日記
2024年01月09日
『「挑戦していたら、誰かが見つけてくれる」 今年一番の名言だと思います。』
引っかかりました。間違いだと申します。
そんな甘い世界ではありません。まずは、自分がここにいる!と声を上げなければなりません。そして誰が聞いてくれるか。まず「いない」です。思春期にもなれば、既に時遅く、3D世界において同じベクトルを持った人間に出会うのは「奇跡」というものです。それも輝き続け、努力の終焉の果てに白色矮星となってもまだ、声を上げるべきなのです。そう、何よりも「他者に認知される行動を起こすこと」こそです。どんな絵画もどんな文学作品も、評価されるのは同時代であれ作者の死後であれ、発信者と受信者の相互作用がなければ、作品は輝きを持ちません。人間の行いは全て、かようなものであります。それなくしても、我が道をひとり歩める者は、よほどの鈍感か、よほどの自己陶酔でありましょう。
Posted at 2024/01/09 23:32:56 | |
トラックバック(0) |
出口 | 日記
2024年01月09日
無s目の高校に対する文書を書いていると
まったく日常生活は、アンドロイドばかりで人間がいないと感じた。
アテナイの樽のディオゲネスのように感じている。
人間探し。
人間の面をしたアンドロイドばかりで気持ちが悪い。
彼らは人間の心を持ち合わせていない。
機械にしか見えない。
それはまさに、学校や職場に縛られて、個人の顔が見えない世界だからだと思う。
取り換え可能な機械にしか見えない。
学校と仕事で能力を使い果たしているのだという。
他に手を出す時間も余裕も能力もないのだという。
それ以外のことを言えば、邪魔者扱いされるのである。
息が詰まる。
Posted at 2024/01/09 23:25:18 | |
トラックバック(0) |
出口 | 日記