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zato787のブログ一覧

2018年09月07日 イイね!

やはり、カワイイは正義なのか 新アテンザ

やはり、カワイイは正義なのか 新アテンザ「カワイイは正義」だが、「よくできたクルマ」が正義とは限らない。

最初に、アテンザは、この6年の間に、様々なネガを潰して進化したことは間違いない。 クルマとしての完成度も2018年に販売されている400万円クラスのDセグメントの中では、十分に近代的だ。走行性能のところで述べたように走りだって、マツダのクルマらしく悪くない。25LとXDLの購入に多少迷うかもしれないが、短距離走行が中心ならば25L、家族と長距離にも乗るならばXDLという選択になるのはこれまでと変わらない。しかし、XDLの加速性能が過去モデルよりもマイルドに滑らかになり、25Lの低速トルクが豊になったため、ディーゼルに動力性能でのアドバンテージが小さくなった。 同時に、静粛性にも大きな差がないほどディーゼルは静かになり振動も小さくなった。


アテンザの静粛性に関しては、もっと褒められるべきだ。
新型クラウンに乗った時に、どのモデルも相当に静かだったし、クルマとしての出来もかなり良くなったから、このブログで3回も取り上げた。アテンザに乗った今でも評価は高い。 アテンザに乗った時も、最初は静かだけどクラウンには及ばないよなと思ったのだが、念のため、再度クラウンンにも乗りなおしてみた。同じ路面を走っているわけではないから、dB系の値を比較するのは意味がないけれど、他のクルマに比べてクラウンが静かであることに間違いはないが、アテンザがこれに匹敵するほど静かになったのは事実だと言っておくべきだと思っている。


 静粛なアテンザの室内


私が、新アテンザを買う方向に動かないのは、新アテンザは、ペリエ(炭酸水)みたいなクルマだからだと感じたからかもしれない。 ペリエは、太ることもなく、甘くもなく、アルコールも入っておらず、安く、料理にもあうし、清涼感もある。 でも、「本当は美味しいシャンパンが飲みたいのだけど、クルマに乗るからペリエにしている」という感じに似ている。 価格と性能のレベルが高い妥協点と言ってもいいかもしれない。 ミニバンを選ぶように、利便性中心でのクルマ選びとは異なり、Dセグメントのクルマは趣味的な要素も多く入ってくるから、無色透明なペリエは選びづらい。 このクラスのクルマは、「このクルマが欲しい」という、そのクルマにしかない何かを持たせることが大事で、どういう気持ちになってアテンザを選べばいいのか、という所のアピールが難しいのだ。


  ペリエ


これが何を意味するかといえば、クラウンやEクラスの購入を検討する人は、アテンザなど、最初から眼中にないから、試乗することすらしないということになる。クアドロフォリオや、ジャガーはその比較対象になったとしても、「アテンザじゃねえ。。。」と最初からディーラーに行こうともしない。似たような境遇にレガシーB4もあるが、あちらはモデル末期だから売れているわけでもないし、新型になってから判断すべきだろう。クラウンもEクラスも、ゴルフエクスプレスがメインの用途ではないし、Dセグのセダンが、全部同じ方向性を向いている必要もないが、だからといって、アテンザにしかない魅力はなんだろうか。 2012年には、魂動デザインが初期ユーザを引き付けたが、今回はその新鮮味はない(現時点でもデザインは優秀だと思う)。 いいクルマなら売れるとはいえない・・のが、このクラスのマーケットの難しいところだ。


 新アテンザ

「乗り出し価格400万円のセダンとワゴン」のマーケットは日本にはない。これはマツダもよくわかっているし、今回のモデルチェンジの目的が、中国、アジア、北米であることは前にも述べた。 恐らく、新アテンザは日本ではさほど売れることはあるまい。クルマのできは良くとも、中途半端に安く、高く売るだけのブランド力はまだないからだ。

マイナーチェンジでは考えられない程の変更をしたことは高く評価したいけれど、購入するユーザの視点からすると、FRになったわけでもないし、SkyActive-Xでもないし、期待の直6を搭載しているわけでもないから、購入時の比較の遡上に上がってこないのだ。 丁度Dセグメントのマーケットに目を向けているクラウンの購買層は、残念ながら、クラウンより150万円も安いアテンザを比較対象としてくれないことは残念だ。



 新アテンザ


マツダのディーラー自身が、アテンザがそれほど売れないだろうということをよく理解している。それは、試乗車の検索をしてみるとよくわかる。主力のディーラーであっても、アテンザを試乗車に持っていないところがたくさんある。逆にCX-5の試乗車を持たないディーラーはないし、主力ディーラーならCX-8の試乗車を持たないところもない。


こうして分析をしてみると、新アテンザ/マツダ6において、最も心配なことは、期待しているアジア、中国マーケットでどのように受け入れられるのかである。 今のところ、北米市場では、それほど大きな動きにはなっていない。やはり、セダンにおいては、カムリ、アコード、シビックが強い。だから、今回投資して大幅に良くなった結果、期待された以上にマツダ6の販売が伸びないのではないかと考えている。 世界中の多くのマツダ6のユーザは、やはり次世代のマツダ6に期待をしていると思う。「KAWAII」はもはや日本語ではなく、世界に通じる言葉の一つだ。日本語の「可愛い」とはことなる意味合いで、尖ったCOOLさ、とでもいえばいいだろうか。 次世代のアテンザは、クラウンクラスの価格と性能と、マツダらしいデザインと走行性能をもって、世界中のDセグメント車を相手に勝負をかけることを期待している。 それこそが、マツダの「KAWAII」なのだから。



 新アテンザ
 良いデザインは、時間と共に劣化することはない。
 もっと褒めてあげたいけれど、マーケットは冷酷なのだ。
Posted at 2018/09/07 23:12:06 | コメント(1) | 試乗記 | クルマレビュー
2018年08月31日 イイね!

上質なGTに向けて舵をきったRF3型

上質なGTに向けて舵をきったRF3型上質さを向上させて、よりGT的な快適性の向上に舵を切った3型のRFに乗ると、頭の中にNTN社の多部ちゃんのCMフェーズが浮かぶ。(なんて滑らか~♪というやつ)1,2型は3型に比べるとがさつな回り方だが、熱心に走って、幌と同じように自分もスポーツカーなのだとある種の無理をしてるところが、けなげでかわいかったのだが、3型はエンジンから振動と雑音を取り除き、高回転でパワーを発揮し、室内に振動が入ってこないようにDMFをつけて静かな車内空間を作ろうとした。 足回りはブッシュも、リアのバネも柔らかくなり、もう誰もリアの突き上げがーとは言わなくなった。 最新のアテンザやCX-5に乗ると、マツダが目指したい上質さが何かは理解できるし、これまでのRFはその方向から大分ずれていたことも理解できる。中山雅氏は、RFをもっとGT的に、長時間乗って遠くに行くことがより快適な空間を作りたかったのだろう。 それに賛同する人には、良い改良だったと言える。

1,2型と3型の間には、大きな差がある。工業製品としての精度も違うし、エンジンは全くの別物だと言ってよい。マツダのディーラーによれば、1型を3型に買い替えるには、約200万円の追い金がいるという。(2型は年式は新しくとも、追い金の額は1型と大して変わらない模様)少なくとも、マツダは旧型を買った人に対して何の救済措置も取るつもりはないし、今後の年次改良でもそういう措置はない。86/BRZには改定用のキットが用意されたこともあるが、これはむしろレアなケースだろう。(長く販売店とつきあっているユーザーには特別値引きとして、初めて買う人よりは少し値引きされるくらいだが、これは販売店側の配慮であってマツダの配慮ではない)こうしたマツダの販売に対する態度が、今までマツダのスポーツカーを買ってきた顧客にネガティブに捉えられている点は理解できるが、それを怖がっていたら、思い切った年次改良はできないだろう。


 ロードスターRF(3型)

NDロードスターは、この先もまだ5年くらいは作り続けるので、今後も進化を続けていく。モデルライフが長いならば、最新のロードスターが最良のロードスターであってほしい。 ユーザは、欲しいと思った時に買うべきであり、将来の改良を待って買わずにいたら、ロードスターに限らず、マツダのクルマを買うことはできなくなるだろう。 ロードスターは、買わずに批判するのではなく、購入して乗って楽しんで価値を示すクルマである。特にこのクルマは実用車ではなく、乗って楽しいから乗ってるスポーツカーなのだからだ。最良のロードスターが、常に未来にあるのならば、一生買わないか、欲しいと思った時に買うかのどちらかだ。モデルライフが長い故に、初期型を購入して何年も楽しんだあと、熟成された後期型の乗り換えるという楽しみ方もある。

もう一つの付き合い方は、自分のクルマをどんどんアップデートしていくことだ。新エンジンが欲しいのなら、自分のRFにそれを搭載することを考えるのも、またロードスターの楽しみ方の一つである。ロードスターのショップには、高い技術と熱い思いを持ったショップがたくさんあり、メーカーが量産してくれた様々なパーツを思いもよらない方法で組み合わせて、ユーザーに提供してくれる。私の2型には既に3型のテレスコ機能が搭載され、早速新パーツの恩恵を受けている。


こうした大きな改定を他のメーカーができないのは、多くのメーカーは、「既存のお客様の気持ち」を慮っているからだ。マツダが顧客の気持ちを慮ってないなんてことはなく、より良いクルマに改良を続けることこそが、お客様の笑顔に通じると考えている。

初期型のロードスターRFに何か変化があったわけではない。旅行の荷物を積み、2名乗車で東北へと自動車旅行にでかけ、山間の歴史のある古民家の宿に泊まり、素晴らしい食事を頂く。その旅の友となる、ロードスターRFは、やはり楽しいクルマであった。それは1型、2型、3型の区別などなく、同様に楽しい時間を提供してくれるスポーツカーだ。 自分の好みにモディファイしたクルマで、大切な人と共に旅ができる、それはロードスターに共通に変わらず与えられた楽しみであり、それをより素晴らしくするために、ロードスターRFが大きく成長していくことを支持したい。



 旅に出たロードスターRF

Posted at 2018/08/31 19:49:34 | コメント(4) | 試乗記 | クルマレビュー
2018年08月11日 イイね!

未知への好奇心を支えた相棒、赤いファミリアXG

未知への好奇心を支えた相棒、赤いファミリアXG名車の基準が何かと明確に決まってるわけではない。

大抵の場合は、誰も乗れないくらいに生産台数が少ないか、既に乗れる個体がほとんどないかのどちらかだ。意外に、自分が過去に乗っていたクルマが名車だと言われたりすると、困惑することが多く、例えば、1980年代のFDやAE86やR32以降のGT-Rが名車にあたると聞くとかなり違和感がある。(一緒に過ごした思い出があるので、楽しいクルマだという意識はある) 一方で、自分が当時リアルタイムに乗れなかったクルマ、例えば1971年式コスモスポーツや1974年式ポルシェカレラ2.7RSなどには、特別な感想を持つから、人によって名車に対するとらえ方は違うのだろうと思う。

今日は、そういった華やかな懐かしのスポーツカーではなく、もっと現実的なクルマを取り上げようと思う。1980年にデビューしたBDファミリア。「赤いファミリア」だ。もちろん、誰かの専用車でもなく、3倍速いわけでもないが、この時代に世界で一番早く100万台売り上げを達成したクルマだ。私も、サーフィンに行ったわけではないが、何度も乗ったことがある。



 ファミリアXG(5代目ファミリア、形式番号はBDだが、「赤いファミリアXG」と呼ばれる)
 1980年のカーオブザイヤーを受賞
 海外名はマツダ323で、現在のアクセラと同じクラス。


会社の歴史を語る上で、経緯的に重要な役割を果たしたクルマは、「名車」と呼ばれることはあまりないのだが、それを知っておくことはその企業を知るのに役に立つ。 東洋工業・マツダはこれまでに何度も倒産の憂き目にあってきた。その理由は明確で、毎回、お客様の方を向いてクルマ作りをしなかった時にそうなっている。 1970年代までは、第一次、第二次オイルショックなどの社会的な事象に全く耐えられない財務状況だったから、企業の存続が不安定なことこの上なかった。(バブル崩壊後の倒産直前の原因は自惚れと自滅だ)そんな会社は東洋工業だけではないけれど、海外に製品を輸出する企業でありながら、「地方の中小企業」的な経営状態から抜け出すことが長い間できなかった。

1979年(昭和54年)12月に、第二次オイルショックが起きた。イラン革命によって石油生産が停止し、イランからの石油の輸入に依存しまくっていた日本社会は困惑した。 日本は世界の中でも、経済政策的な失策によって国民が被害を受けるケースが多く、国際経済の教科書に最も多く事例が登場する国の一つである。 それはともかく、ようやく死ぬ思いで排ガス規制をクリアしたと思ったら、今度は「石油が無くなる」というパニックで、日本の自動車産業は右往左往することになる。 高度経済成長に従って、クルマはどんどん大きくなり、大衆車と呼ばれるクルマにも2000ccエンジンを搭載するものが増えて、実燃費が10km/Lにも届かないクルマが多数あった。



 オイルショックによるガソリン価格の上昇


特に上級モデルにロータリーエンジンの搭載を打ち出していた東洋工業は、オイルショックの前から販売不振が続き、急速に経営が傾き始めていた。経営責任を取らされる形で創業家社長が経営から降板し,メインバンクの住友銀行から経営再建のための人と計画を受け入れることになっていたが、住友銀行は人材の派遣と緊急融資を行った後に、財務を再調査した結果、米国市場の販売店並びに国内の有力な販売店による融通手形(注)の乱発が発覚した。技術面ではREの技術を基に、トヨタ、日産、三菱との交渉を行ったものの、怪しい財務とガスイーターのRE技術に対して、いずれも色よい返事はしなかった。最終的に、トラックの輸出で関係があったフォードに提携を持ちかけ、各種の交渉の上でフォードが25%の持ち株分を出資することになった。
※注 融通手形:現実の商取引がなく振り出す約束手形のこと。資金繰りのために融通する手形。
   簡単に言えば、返済のあてもなく好き勝手に金を借りまくってたってこと。

この苦難の時代に、東洋工業を救ったのが、1980年に発売されたBDファミリアである。イメージ的な面で言えば、1978年に「ポルシェの半額でスポーツカーを売る」ことをコンセプトに作られた初代RX-7も貢献したのだが、財務的な面で東洋工業を支えたのは、BDファミリアである。 BDファミリアの拡販により、「マツダ」の知名度が広がったことを受け、1984年5月1日に企業名をマツダ株式会社に変更している。



 (写真左)1950年代半ばの東洋工業正門
 (写真右)社名変更後1986年1月に新設したマツダ本社2号館


BDファミリアは偶然生まれたのではない。 もちろん、倒産しかけていた東洋工業のままでは生まれることはなかった。トヨタからも、日産からも、見向きもされなかった東洋工業が、どうしてBDファミリアのようなクルマを作り出せたのかを彼らが知るのは、カローラ、サニーがファミリアに月間販売台数で抜かれた後であった。

現代的な言い方をすれば、選択と集中である。 経営から創業者の家系を全て排除し、不透明な財務処理を住友銀行が全てクリアにし、集団指導体制の確立と大幅な権限移譲を行った。 自動車の開発の現場にとっては、「創業者ご一族様のご意見」を聞く必要がなくなり、マーケット、企画、設計、開発、生産部門が一つになってクルマ作りをする体制へと変更したことが大きい。(注) 東洋工業は、1974年~1977年にかけて、組織の大幅刷新を行い、研究開発体制も改編し車種別責任体制を導入した。 スポーツカーとFFの2ボックスに力を入れたのは、世界的に小型車のフォーマットは、FFの2BOXへと移り、これからの大衆車マーケットを支配すると考えられていたからである。 主力CセグメントのFF化は国産メーカーの中で東洋工業が最後だったから、先行で発売されているトヨタや日産に劣るクルマを作っても意味がない。こうした論理的な決定ができることは当たり前のように思うかもしれないが、1974年以前の東洋工業には、こうした論理的な戦略を製品ラインナップに載せることができない会社の構造だったのだ。


 注:マツダに限らず、裏付けのない非論理的な意見であっても、トップから意見があれば、
   正当な理由なく変更せざるを得ないケースがトヨタでも横行していた。
   その結果で失敗した場合の責任は現場が取り、トップは責任を問われない。



 27か月で100万台を達成したファミリアには、トヨタの販売力でもかなわなかった。
 トヨタ博物館にも、BDファミリアは展示されている。

マツダは、1969年に発売した、ルーチェ・ロータリークーペでFF車の市販経験があるが、ガソリン横置きエンジンのFF車は、初めての試みであり、最優秀の人材がBDファミリアの開発に集中投入され、1978年に開発を終えたRX-7のエンジニアも参加するまでに全力を注いだ。 優秀な人材を集中させたファミリアの設計は、デザイン、サスペンション、ミッション、パワートレインの各部において、これまでの東洋工業のクルマとは一変させるクルマを作り始めた。

ゴルフの代名詞とも言える2BOXに、ゴルフが持たない広いグラスエリアを与え、当時の世界的な自動車デザインのトレンドである、角形のウエッジシェイプを取り、デザイン上のしっかり感を持たせている。エンジンは、前期型は直列4気筒SOHCの1300ccで74psと、1500ccで85psの2種類のラインナップを持ち、4輪のサスペンションはストラットの独立式を採用した。リアは、2本のロアアームと長いトレーリングアームの組み合わせにより、トーコントロールを行う独創の「SSサスペンション」を開発したあたりが、マツダらしく、当時の「FFのリアに金をかける意味はない」という論調に対して、RX-7を開発した経験から、駆動方式に関係なく、リアサスペンションの構造は重要であると決めた。 このSSサスペンションが、ファミリアの操縦性の持ち味を決めたと言っていい。 まだFFの経験が十分ではなかった時代のトヨタですら、「FFのリアサスペンションなんて、付いていれば良いのよ」と思っていたくらいで、当時の数多くのメーカーのFF車のリアサスペンションは、固定式のTBA(注)ばかりであった。

※注 次期アクセラの新TBAの構造とは全然違う、当時の鉄パイプを溶接して作ったTBAである。
   1980年代の設計だから、現代のクルマと比べれば、動力性能も、コーナリング性能も
   高くないし、ボディ剛性だってリア側は緩いけれど、このクルマは前後バランスが良かった。



  BDファミリア構造

今と違って、当時の若者は、自分と友達と女の子2名の4人で乗るケースが多く、4人分の荷物を載せて、さらにサーフボードまで上に載っける人もいるくらいで、パワーに対してクルマがかなり重たいのだけれど、この重量を支えるという点で、BDファミリアの無駄に豪華だと言われたサスペンションが大きな働きをした。4名乗車だと重心は比較的車両の中心に寄り、4輪の接地荷重が均等化されて、リアサスペンションが唐突な動きを抑える効果が良く発揮できていた。 この時代のTBAのリアサスのクルマは、路面からの突き上げがひどく、4名乗車時の高速コーナリングでのリアのトゥ角度の急激な変化による不安定な動きから逃れられなかった。 例えば、高速道路でレーンチェンジをした時の安定性などに大きな差があったのだ。この時代に、BMWやポルシェと国産車を乗り比べると、特にシャシー性能に天と地の差があると感じたものだが、そんな中で、BDファミリアの足回りは、正確性が高く、乗り心地も悪くなかった。ダンパーは安物だったので、ダンパーだけ欧州仕様に変えると、見違えるようにシャキッと走ったのである。私がこのクルマに乗った時代は、既に生産を終える頃であったけれど、当時のCR-Xやシビックのような、エンジンだけが走ってるクルマで自動車旅行に行くのは辛くて、長距離旅行に行くならと、よく後期型のファミリア・ターボを近所のレンタカーで借りたものだった。


さらに室内も先進的で快適であった。 もともと、サーファーやキャンプのことを考えて設計したわけではないだろうが、車中泊などの様々な使い方ができるようにと、フルフラットまで前方に倒すことができる前席の背もたれや、リクライニング機構を付けた上で、左右二分割で前方へ折りたためる後席背もたれは、現代のクルマでこそ当たり前の装備だが、BDファミリアがきっかけで爆発的に広がったのである。 若者から見ると、3ドアのリアシートの側面を円形に構築することで、ソファーのように仕上げたラウンジシートもカッコ良い装備だったようだ。 見た目の問題ではあるが、このラウンジシートの形状は、1985年に発売されるカリーナEDにまで影響を与えた。 安全性の面から褒めらた使い方ではないけれど、前席をフルリクライニングさせて、後席から足を投げ出して乗れるようなこともできた。 1980年代に人気のある装備であった、サンルーフを装備したことも抜け目がない。 サンルーフは前席にはそれほどの解放感はないのだが、喫煙者が多かった当時のクルマでは必須の装備であり、ドアのないリアシートにとって、明るさと風を感じさせる装備として人気になった。

  
  ラウンジシート BDファミリアの内装の特徴であった


もう一つの立役者はメディアであろう。 今のようにインターネットがなかった時代、当時の「トレンド」を作るのは、ポパイやプレイボーと言った雑誌であった。 当時のトレンディ雑誌は、湘南をイメージしたスポーティでカッコいい男の子を目指すと女の子にもてるよと、書いていた。 単純な男の子は、世の中に鏡というものがあることに意識がなく、自分もサーファーのような感じで、湘南あたりへのドライブを誘えば、カワイイ女の子が誘えるに違いないと確信してしまった。 出版社自体は男性用と女性用に分かれてるわけではないから、女性用の雑誌には、「誘われカノのコーデはこれでキメ」みたいな、特集を同時進行でやるわけである。 当時は、女性ファッション誌を男性が読むケースはあまりなく、ネタバレしにくかったこともある。


白いファミリアよりも赤いファミリアが人気になった理由をあまり知らない人が多いようだが、当時の女子ファッションのトレンドカラーが白系とパステルの薄い色だったので、青い空と、白系の服に合うということで、ファッション雑誌が、赤いファミリアを使ったのが始まりである。 同時期に同じ会社の男性用雑誌が、サーフボードを上に載せた特集を組むと、一気にトレンドが爆発したわけだ。 その結果、「俺も、ファミリが欲しい」となって発売後27か月で100万台も売れちゃうことになるわけだ。(なお、当時の100万台販売の世界新記録をマーク)これを読んで、「当時の若者ってなんて単純で愚かだったのか」と思ってるだろうが、今の若者だって、あと20年くらいしたら、「ネットとか言う物に踊らされてた愚かなやつら」と言われるのだからきっと大差はない。


  雑誌に登場するファミリア


トレンドに踊らされるのが大好きな世代であったが、同時にクルマが好きな若者が、クルマをイニシャルDのような夜中に山道を走り回るような使い方(夜な夜な、ああいうこともやってました。自分達だけだと思ってたけど、日本各地でやってたとは)だけでなく、もっと友達と楽しく過ごすための道具として使う物だよと気づかされた、エポックメイキングなクルマだと言える。 「痛快なドライブ」を経験した人はきっと自動車での旅行が好きになる。 私は、高校生の時に先輩と友人の4人でルーチェ・ロータリーワゴンで出かけた2泊3日の自動車旅行が原点になっている。


 ルーチェ・ロータリーワゴン
 (欠点の多いクルマだったが、楽しい思い出を作ってくれたクルマだった)

ファミリアとは、クルマは、人より速く走ることを競う道具ではなく、グランドツーリングとは何か、ということを考えさせた大事な意味があるクルマであった。真っ直ぐな天井にはサーフボードではなく、荷物とキャンプや釣りの道具を仕込み、助手席はマップルの地図とコンパスで道路をナビゲーションし(時々パシリとして、その辺りの人に、「ここはどこですか」と聞くのも仕事)、ラジカセで各自が持ち寄ったカセットで音楽を聴いて、まだ行ったことがない所に一緒に行く。 インターネットでお勧めスポットを調べることも、グーグルマップで場所を知ることもできないし、カーナビすらないけど、道路をたどって自分達でそこに来たという満足感とその記憶はいつまでも薄れない。 そして、いつも、「昔の人はここまで歩いてきたのだな」と思うのだ。 かられは、私達よりもっとリスクの高い道中を経た故に、特別な満足感を味わったことだと思う。

子供だった若者にとって、クルマとは、ずっと家族でドライブに行くために乗るものだった。ファミリアがその用途から脱却した使い方をされたのは、ファミリアが荷物と人を積んで最大限に遠くまでいくことを目標に作られたクルマだったからだ。 トヨタもホンダも日産も、クルマの性能を高め、燃費を良くして、コストを下げることには注力した。でも、「何のためにクルマを使うのか」ということを考えてはいなかった。だから、それらから新しい物を生み出すことはなかったし、トレンド雑誌も取り上げることはなかった。トレンド雑誌とファッション誌が、こぞってオシャレとは正反対のイメージの赤いマツダ・ファミリアXGを選んだ理由はそこにある。

「赤いファミリアXG」とは、多くの人に、

「クルマとは、新しい知識と経験と思い出を作るために旅にでるための道具なのだ」

と教えてくれた名車だと思う。



  BDファミリア

Posted at 2018/08/11 22:33:11 | コメント(0) | トラックバック(0) | 自動車技術 | クルマ
2018年07月28日 イイね!

NDロードスターにとって「人馬一体」とは何か

NDロードスターにとって「人馬一体」とは何か「人馬一体」

私はNAの時代からずっと、マツダがクルマとの一体感を示す際にこの言葉を使うことに違和感を覚えてきた。今や海外のメディアにも、「Jinba Ittaii」と言われるように、マツダの手を離れ、言葉が歩き始めてしまったために、人によって意味の捉え方が異なって「人馬一体」の意味を誤解させている。


もともと、「人馬一体」とは、平安時代の日本の儀式である流鏑馬(やぶさめ)を由来としたものである。 流鏑馬は、行進間射撃を行うため、乗り手が馬の上下振動を足で吸収し、上半身を安定させなければ、正確に的を射ることはできない。 人と馬が一体となって進行できなければ、矢を射る見越し角度を決めることすらできない。人馬一体とは、戦闘技術であるわけだ。



 流鏑馬(やぶさめ)。
陸上自衛隊の10式戦車のような射撃演算装置もないのに、行進間射撃を行う。
総括的には騎射と呼び、騎射を100騎以上集中運用する事で元寇での
蒙古軍を撤退させた竹崎らの活躍が有名である。
合戦中は、行進している騎馬同士での行進間射撃も行われた。


つまり、「人馬一体」とは、もともと別の意思で行動している二つの生物が、相互コミュニケーションを通して、操縦意思を持つ方に適切に従って動くことを目指した言葉である。 馬から信頼されない限り、戦場における意思や戦い方を共有し、適切な行動をとることはできない。 この相互コミュニケーションは、誰でも、どんな馬でもできるわけではなく、知識とスキルと訓練の結果でようやくできるようになるのだ。 だとすれば、無機物であるクルマと有機物であるドライバーの間に、「人馬一体」が生まれるのだろうか。


NAの時代の「人馬一体」は今よりずっと軽く考えていたと思われる。現代の先進国における乗馬は、ほぼ乗ることを楽しむ目的で行われることがほとんどであるので、オープンスポーツの例えとして丁度よかったのだと思われる。ロンドンでも、ちゃんと練習をしてライセンスを取れば、街中を馬で走ることができる。都市部を馬で走るのことは、なかなかに楽しい。 都市交通を理解している馬は、信号も自律的に守る。


 ロンドンのHydeParkで乗馬を楽しむ
  (市内中心部にあるHyde parkでも乗馬ができる)


現在のマツダが提唱する「人馬一体」は、クルマの利用目的である、「安全に」「正確に」「効率的に」目的地に着くことだと言っている。 この3つを成し遂げること(つまり、安心・安全)が、「クルマに乗る楽しみ」を生み出している要素だというわけだ。 楽しいと嬉しいには実は差があって、「嬉しい」といのは、自分に対する直接的なアクションに対して感じる感情であり、「楽しい」というのは、与えられた状況の結果に対して感じる感情だ。 マツダは、「楽しいと感じる環境」を与えるクルマを作ろうとしていて、その環境を作ることを人馬一体と呼び始めたようだ。 ふーむ。どうやら、この「楽しい」という表現が人馬一体に対する違和感なのかもしれない。はっきり言えば、「本当は違うことが言いたいのでしょ?」ということだ


こうして、要素を分解していくと、マツダは今、「無機物の馬との人馬一体」の肝は、人間にあると考え、人間の動作を研究している。人間は、他の脊椎動物の原則を外れた特別な動き方をしている。その分、脆くて不安定ではあるけれど、それを補うために必要なものを作り足す能力のために犠牲になっている。脊椎動物の基本形態は4本足であり、腰で上半身を支えるようには、元々はできていない。 クルマは動物ベースの馬車を基本に作られたから4輪であり、人間の形状とは異なる。


 4輪馬車
(左側通行では、御者は右に座る)


じゃあ、人間の形状にしたら、よりシンクロ率があがって、快適なものになるか、というとそれも違う。モビリティとして、人型の物体は適切な形状ではない。 モビルスーツでも、ゾイドとガンダムのどちらが適しているか、と言えば論ずるまでもなく、2足で歩行するガンダム型より、4本足で移動するゾイド型の4本足モビルスーツの方がアンジュレーションにも強く、動力の伝達能力も上だ。 人間が4本足の動物より速く走れないのは当然で、人型は、細長いパーツが胴体から5方向に延びて脆い上に、トップヘビーな頭が一番上にある。 それ故に慣性モーメントが中央に集中するどころか、端に寄っており、移動体として不適切な形状だから、人間はより適切な形状の乗り物に乗って移動しているのだ。


 ゾイド型
 アンジュレーションのある路面では、戦闘能力はこっちの方が高い
 原作を見たことがないから、ストーリはー知らない。


 ガンダム型
 人型でないと、おもちゃが売れないから仕方ない。
 「戦場の絆」では、ジオン公国側だったので、
 連邦の白い奴がチートレベルに強かったことは知ってる。


陸上の移動において、多くの人間は、ヒトの構造とは異なるクルマに乗って移動している。構造をシンクロさせることが、「安全に、正確に、効率的に目的地に着く」ことに繋がらないならば、何をどうすれば良いのだろうか。 自分自身で歩行することに比べて、クルマを運転することには、不安が伴う。重量も速度も生身の体から発揮するものよりも大きく、操作系も自分の体を動かすこととは異なる。さらに、自分以外の不特定多数の要素が絡み、自分自身がクルマを正確に操作しているかどうかも不安だ。 だから、一番簡単な解決方法は、「運転手つきのクルマ」に乗ることになる。 毎日、運転手つきのクルマに乗っていると、多くの人はだんだんクルマを運転したくなくなる。 なんだか本末転倒のようだが、実はここに大きな分岐点がある。マツダの言う通り、「安全に、正確に、効率的に目的地に着く」ことが、「人馬一体」だと言うならば、その究極は完全自動運転ではないのか。


マツダは社会的に口にできないから、公には言わないけれど、彼らは、自動運転と人馬一体は違うと思ってる。 さらに、「自動運転」の時代が本格的に来る前に、やりたいと思っていたことをやろうと思ってる節がある。 内燃機関については、堂々と反論を述べているけれど、「人馬一体」も、その裏側には、「自動運転では得られないモビリティ」を実現したいという意図がある。

 人間がマニュアルでクルマを直接制御するとう前提で、わざとやらないこともある。 いい例が、「タイムラグなく操作に対してクルマが動くこと」である。「意のままに動く」という言葉で覆い隠しているけれど、クルマはタイムラグなしでは動かない。むしろ、何をやってもタイムラグが起きる。 過去には、本当に「早く反応させること」に注力したこともあって、散々な失敗をしていたが、人間は、「即時に反応するもの」より、「想定通りに反応するもの」の方が操作しやすい。 さらに面倒なことに、「想定通り反応すると」気持ちよく感じる。 だから、マツダは、「感覚的に認識している速度でムラなく動くこと」を求めればいいと考えた。 マツダは、これを「躍度」と呼び、加速度の上昇・降下率を一定にすることだとしている。 もう一度言うが、加速度を一定にするのではなく、加速の度合いを一定に操作できることである。(つまり、ドライバーのスキルに完全に依存すると言っている。躍度をうまく使えるドライバーの操作に応えるようにしたと言っているのだから。)



  躍度とは
  数学的に言えば、躍度を時間で積分すれば、加速度になるということ。


躍度をどう説明すればわかりやすいだろうか。 例をあげて言えば、ちょっと踏むとガバっとスロットルが開くクルマ(躍度急上昇)や、車重が100tくらいあるのか、スロットルをいくら踏んでも全く加速しないクルマ(躍度上がらず)は躍度が一定ではないクルマである。どうみても、どっちも「人馬一体」感の逆方向を向いていることはわかるだろう。 もう一つ例えると、ずっと同じ加速度が続くのではなく、徐々に背中を押される強さが上がっていく加速の方が気持ちいいでしょう? ということで、要するに、「すぐ反応すればいい」ってものでもなく、「反応が何もない」のもまた躍度が一定ではないわけだ。


もう一つマツダが大事なことをあえて言ってないことがある。「コミュニケーションがより密接になると人間の無意識と向き合うようになります。意識せずに、タイヤが自分の体の一部のように思い通りに動いている。」と、まるでマツダのクルマを買いさえすれば、こう感じられるような書き方をしている。 しかし、この感覚を感じるには、ドライバーに適切なスキルがなければならない。スキルを身に着けて、訓練を繰り返していくと、ある日、クルマと繋がった気がして、数秒先の未来がわかるようになる。 でも、それは誰もがクルマから感じられるものではない。 非常に例えが難しいが、テレビゲームやスポーツをやりこんだことがある人なら似たような感覚は理解できるだろう。 頭で思うだけで、勝手に手足が動くというあれだ。 古い話でよければ、バーチャファイターで技を出す時に、レバーをどう動かすかなんて考えることもなく、思った時に思った技を出し、防御をしようと思えば防御をしているような感覚みたいなものだ。

  
 バーチャファイター
 コマンドを意識してレバーを動かしてるうちは、勝てない
 

クルマも同じで、コーナーが近付いて、ずばっとステアリングを切りこむことはしない。ステアリングを回す速度が、一定の加速度で増えていくように、切り込むだけで、ロードスターはもっと簡単に速く曲がる。躍度を意識したドライバーの操作に対して、正しく応えることが、人馬一体の第一ポイントである。 だから、大柄なCX-8も、ステアリングを適切な躍度で操作すると、想像した通りのゆっくりしたムラのない速度で旋回するから、「あ、やっぱりマツダのクルマだ」と理解するわけだ。 仮にCX-8がロードスターと同じ時間でレーンチェンジができたら、様々な部分で気持ち悪く感じてしまうだろう。 第二のポイントがインターフェイスだ。ステアリング、ギア、ペダルの位置と操作感覚がドライバーの躍度の操作に忠実に応えることにある。ロードスターとCX-8の操作感は同じである必要はない。しかし、CX-8の運転においても躍度に応じた操作にはきちんとクルマが応えてくれる。第三のポイントはシートだが、まだ改良されたアテンザにしか搭載されていないので、シートのことはアテンザの時に話そう。


 
 マツダCX-8 大柄なボディに見合った動きをするので違和感がない


マツダらしいのは、しばしば「人間中心」と言って人馬一体を説明するのだが、「ユニバーサルだ」とは言わないことである。「2%の人に理解してもらえればいい」」と言ってることの裏には、何らかの割り切りがあるのだろう。マツダが考えている人馬一体は、人間中心ではあるけれど、ユニバーサルとは違う。 トヨタは、「物理特性を磨き、電子化を進めて誰が操作しても良い感じ」に仕上げようと考えている。それは壮大で立派なことで、社会的にも大事なことだから、もしかしたらトヨタならできるかもしれない。だんだん自分が、まるで老害のように、新技術を否定する日が来そうな気がするのが怖いけれど、ドライバーのスキルに依存せず、誰が乗っても同じ結果がでるクルマは、私が知ってるクルマとは別の移動体だ。


こう書いていて愕然とした。私はずっと、老人が新しい物についていけなくなる理由がわからなかった。別段難しいことなんて何もないのに。私は、新しいCanCanのモデルで登場した時の中条ポーリン(あやみチャンの本名)だって、キズナアイだって、受け入れられるのに、何がきっかけでそんなことが起きえるのだろうか・・・と思っていたのだが、どうやらスキル的についていけないのではなく、精神的に「認められない」時に、人は技術に”ついていかなく”なり、そしてそうなったことを後悔しない。



 キズナアイ(自称スーパーAI。 実態は、ポンコツ)
 さっきから、ゲームやらアニメやら、自称AIやら、新人女優やら
 例えるものがずっとやばいっぽいのばかりなのは気のせいだ。



 中条ポーリンあやみ(CanCan時代)
 こんなに売れっ子女優になるとは思ってなかった。
 ポカリの新人女優CMはすごい。


今のロードスターは、ドライバーにそれを引き出すドライビングスキルがなければ、マツダの設定した「人馬一体」を体感できない。 NDロードスターとアルファードを乗り比べても大した違いが分からない人は、別に残念だとは思わってないだろうけれど、そういう人はマツダのクルマを買おうとは思わない。 多分、ポルシェも欲しいと思わないだろう。



 NDロードスター
 ドライビングスキルにきっちり応える



 ポルシェ911
 いろんな意味で人馬一体なラグジュアリーカー
 このクルマも価格なりの価値がある



今のマツダは、私達と同じ「旧世代」の人が最後にやりたいことをやっているのだと思う。「マツダの人馬一体は、クルマに乗るすべての人に安全・安心をもたらすことを目指しています。」と言う言葉は嘘だとは言わないけど、それを全て引き出すには、ドライバーにも一定の努力が必要だ。 彼らは、理想を追求したら(努力する)人間にたどり着いたという。 マツダは口にしないけれど、人間は一意ではない。努力したくない人や、モビリティに興味がない人だっているわけだ。そういう人を切り捨ててないけど、多分、そういう人に支持されなくても仕方ないと思ってるように見える。


人間は、鍛えるとコンピュータや各種センサーより優秀な反応速度を得る。それが人間の達成感につながる。最初はうまくいかなかったショットが、自分なりにコツを掴んで、思う通り飛ばせるようになると、ゴルフが楽しくなるわけで、ドライビングも最初は思う通りにいかない。 それを、学び、試して、自分で身に着けると、もっと思った通りに動かせるようになる。


「常に適切な運転ができるクルマ」が「誰にでも」利用できることはまさに理想だ。そこに否定はない。トヨタならば、訓練せずとも、誰でもうまく走れるクルマを近いうちに作るだろう。どんなコーナーだってスーパーAIの力で最高の速度で最高に安全に走れるのだ。ドライバーは座って方向を示してアクセルを踏むだけでいい。 それは、ドラクエをLV99で始めるようなものだ。誰でもAボタンさえ押しておけば、どんなモンスターにも勝つことができて、レベルアップの面倒さもない、だからドラクエのストーリを心から楽しめる。 でも、そんなのはドラクエじゃないと違和感を覚える人は、その存在の必要性を認めても、自らにそれを強要されることは望むまい。どのくらいの人が受け入れないのかはわからないが、それらは旧世代の人であるのと同時に、旧世代で結構だとも思っている。



 トヨタの未来のモビリティ


NDロードスターで、人馬一体を感じられるように走らせたいなら、ドライビングの知識と技術と練習が必要だ。レベルは全然違うけど、流鏑馬と同じだ。 ロードスターには、「Aボタン」もないし、「AI」も付いていない。ドライビングを積み重ねていく過程で、自分にあわせて道具を調整することだってできる。NDロードスターは、それに応えるように、アライメントの調整の幅を他のクルマよりうんと広く持たせている。だから、私達は毎回のドライブで走ることそのものに目的がある。 目的地に到着することが終局的な目的じゃない時ばかりだ。 だから私達は、マツダがメディアに書いているような、「安全で、正確に、効率的に」目的地に到着することを、人馬一体だなんてこれぽっちも思っていないのだ。


もう一度、最初に書いたことを思い出してほしい。 私たちはNDロードスターに乗ると、「嬉しい」と感じているのではないだろうか。コーナーの一つ、一つに自分のスキルを反映させ、それに応えたロードスターが自らの想定通りの動きで走りで抜けられた時、「嬉しい」と感じてないだろうか。無機物であるはずのクルマから、何かを与えられているように感じ、その経験の集合体を「楽しい」と感じているのだと思っている。 私もモビリティのユニバーサル化は必要だと思う。でも、「人馬一体」を謳うクルマが、ユニバーサルである必要はない。そんなクルマを作ってくれるメーカーが、もうしばらくの間、一つや二つ残っていてもいいと思う。だって、22世紀のマツダには、もうNDロードスターのようなクルマは作れないかもしれないのだ。



 NDロードスターRF



 人馬一体スローガン

Posted at 2018/07/28 18:12:47 | コメント(0) | トラックバック(0) | 自動車技術 | クルマ
2018年07月21日 イイね!

S660の夏休みの宿題「モデューロX」とはなにか

S660の夏休みの宿題「モデューロX」とはなにかなぜ、学生の夏休みには宿題があるのか知っているだろうか。

唐突に何を・・と思うかもしれない。学生本人はもちろんのこと、教師も、親もその真の狙いを知らないまま、子供に勉強を強いている人が多いことは嘆かわしいことだ。 夏休みの宿題の真の目的は、「計画と実行」とは何かを知るためであり、「制限事項の中でいかに人生を楽しむか」を学ぶことにある。

軽自動車には、不合理ともいえる設計上の規制がある。 夏休みの宿題のように目的があるわけでも、自動車工学からみた必然性があるわけでもないが、とにかくボディサイズ、動力システム、最大乗員数に規制がある。その上で、制限のない普通車と同様に公道での安全性も求められるし、衝突性能だって維持しなくてはならない。

その結果、全長3400mm、全幅1480mmに制限されたガラパゴス島では、世界に類のないスペシャルな小型車達が開発され、この島の中だけで多数の個体がずっと生息を続けている。 そんな中に1台のミドシップのスポーツカーが紛れ込んでいるのだ。

ホンダに対する思いは年代によって違うだろうが、ホンダのTypeRとF1への挑戦の時代にホンダVTECエンジンを楽しんだ世代のホンダファンは、現代のホンダに対して何か少し違うと感じているように見える。 しかし、ホンダスピリットは、9000回転まで回るエンジンにだけあるわけではなく、汎用エンジンからジェット機にまで形を変えながら流れているようだ。(クルマのブログだから細かいことは書かないが、ホンダジェットは、まさにTypeRの時代のホンダ製品の乗り味(飛ばし味?)なのだ)

ホンダが、本気で改定してきたモデルに、「モデューロX」という名前を付けてきたのは、新世代のホンダになったことを感じさせる。無限ホンダと、ホンダアクセスのイメージの差は大きく、「モデューロXってディーラーオプションを作ってる会社でしょ? そこのコンプリートカーなんて、見た目だけに決まってる。」と思われることも承知の上だ。既に、無限S660のコンプリートカー(289万円で660台限定発売)が存在するのに、今度はモデューロX版を出してきた。それは、そこに、「ホンダスピリッツ」があるから、躊躇なく出してきたのだ。


 S660モデューロX

S660モデューロXは、285万円と、標準モデルの67万円高で、NDロードスターよりも高い、結構なお値段がついているけれど、このクルマには285万円の価値はある。マーケットが「リーズナブルだ」と受け取るかどうかはわからない。 軽自動車の制限枠は、ピープルムーバーとして、公道を安全に走行できるぎりぎりの線で作られた制限であり、操安性を求めるミドシップスポーツカーのための制限ではない。 だから、S660には様々な欠点があるけれど、軽自動車の制限の中で、精一杯の努力をしている。 物を成し遂げるには、最初は「破れない制限事項」がある方が話は前に進みやすい。後に「ここがもっとこうだったら」ということは起きるけれど、その制限を超えてはならないという事実は議論を纏めやすいのだ。 商業的にも、税金が安く、小型故に車庫証明が取りやすいないしは、不要ということが、セカンドカー需要を呼ぶと踏んで作られているわけで、NDロードスターの価格と比較するべきクルマでもない。


 S660モデューロX



 だから、このクルマはサーキットやワインディングでも楽しめるけれど、ツーリングにも向いている。ND以上に室内は狭くうるさく、物はおけず、屋根の海苔巻は格納しづらく、横置きミッドのくせに、海苔巻をしまうと荷物もほとんど積めないが、そこは「制限」を楽しむのが、S660の本質だから、その中でいかに楽しみを見つけるかが、S660の楽しみ方だろう。目を三角にしてコーナーを攻める走りは、このクルマには向かない。だからと言って遅いわけではないけれど、速さとバランスの悪さを隠すことにポイントを全振りせず、バランスをエアロで整えた分を、「ツーリング能力」「疲れない走り」に向けたと言って良い。 そして、室内の質感も色味もよくなり、乗り込むことが楽しくなった。


 モデューロX 室内

モデューロXは、この制限の中で、ツーリングをもっと楽しくし、すっと曲がり始めるミドシップの楽しさを作り出した。 そのために、徹底的にエアロを研究してきたのだ。 モデューロのクルマ紹介を見ていると、何の迷いもなく作ってることがよくわかる。 夏休みの課題は全部予定通り終わったのに、自由研究に力を注いだので、提出が2学期に入ってしまったけど、これだけの成果を出せば、担任の先生は花丸を与えて当然だと思う。
Posted at 2018/07/21 20:06:48 | コメント(1) | 試乗記 | クルマレビュー

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「RFの後任のND2のNRA-Aが来ました。

マツダ製チューニングカーとでもいうのか、色々なところが改善されて、走らせていて楽しいです。特にステアリングの反力がしっかり計算されてアシストされていて、ステアリングフィールがとても良くなってます。」
何シテル?   04/27 21:12
zato787です。よろしくお願いします。 買い替えずに増車をした結果、スポーツカー3台持ちになってしまいました。保有車両が増えて来たので、車庫を思い切って群...
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