
先週土曜日から月曜日にかけて私自身、とても悲しい出来事がありましたが一週間経って一つの記録としている此処に残しておこうと思い、ブログを書きます。
先週の4月22日(土曜日)に私と母親は朝から買い物に出かけていました。
(一緒には住んでいませんが私の自宅とは近い距離にあるため、毎週末の土曜か日曜日に一緒に行っています。母親は足が悪く、父親も一緒に行く事が多かったです)
しかし、この22日土曜日は母親だけが一緒で、父親は自宅に居て後から別で出かける予定にしていて私と母親が戻ってきた時間の12ː20頃には父親は既に出かけていました。
それから12ː30過ぎに1本の電話がかかってきました。
普段見ない(当然電話帳登録の無い)番号です。警察でした。
「お父様が交通事故に遭われたのですぐに病院に行ってほしい」でした。
その電話の途中でキャッチホンがありました。病院でした。「お父様が重症なのですぐに病院に来てほしい」でした。
自転車で歩道を通行していた父親とパチンコ屋の脇道から出てきた軽自動車との衝突です。軽自動車の一時停止があったかどうかが怪しいです。もちろん幹線道路に面していた歩道の父親が優先です。
私は気が動転していましたがすぐに母親と一緒に病院に行きました。
父親は救急救命室にいましたが既にまともに言葉を発せる状態ではなく、相手の軽自動車にはねられた弾みで転倒し(84歳ですが競馬をしたくて自転車に乗るほど元気でとても良い状態でした)左後頭部を強打し頭の中で出血が止まらず脳にも傷があり、医者からは「手の施しようがない」とまでいきなり言われました。
「言葉が通じなくてもいい」、「言葉が言えなくてもいい」からもっと生きていてほしいと心から願いましたが13時間後の23日午前1ː44に死亡が確認されました。
新聞に載るほどの交通事故死です。
…昼過ぎの電話連絡からあっという間に父親の死が目の前に飛び込んできて訳が分かりません。
しかし、病院からは「遺体を早く引き取ってくれ」とか「早く葬儀屋を決めてくれ」、「治療費は後で請求書を送ります」とか人が死んだのに・言われなくてもわかっているのに、なんでそんなことが平気で言えるんだろう…と思いました。
それなのに不思議と涙は出ませんでした。警察の確認が入った後に葬儀屋を決めて、遺体となった父親を運んでもらって葬儀屋へ行きました。その時点で23日日曜日朝の6ː30でした。
それから近親者のみでのこじんまりとした葬式をして、最後は24日に火葬場に送り出す直前の棺桶に蓋をする直前にとめどなく涙があふれてきました。そこで別れが来てしまったんだなと認識しました。
ここまでの何もかもが早すぎて…結局25日も会社を休んで父親名義の各手続きを行いました。まだ少し残っているものもありますが5/1と5/2に役所に行けば完了かなというところです。
これからお墓も仏壇も買わなきゃいけないし、民事での慰謝料交渉が控えていますが弁護士に依頼することにしています。加害者からはまだ一度も連絡がありません。23日に上司らしき人からの電話では線香をあげさせてほしいと加害者は言っていましたが私はお断りしました。
保険会社からも電話はありました。「治療費を払いたい」と言われたのでお任せしましたが後になって「遺族側からの健康保険証の提示を病院にしてほしい」と言われました。
既に区役所に返却しているのでまた取りに行くのも面倒だし「なんで父親を殺されたのに保険会社のために保険証を再度引き取りに行かなきゃいけないの?」と思ったので10割全額払ってくれればいいのではと思っています。
これから戦いが始まるので黄金週間では無いなぁと思う今日この頃です。
Posted at 2017/04/28 23:34:26 | |
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