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2015年03月22日 イイね!

好きな車に会えるトヨタ博物館 (後編)

前編

今回訪れて一番驚いたことは、あのタッカーが一般展示してあったことでした。





以前フォトギャラリーでもタッカーについては紹介しましたが、実車の対面はこれで3回目です。

アメリカでは太平洋戦争に入っていた1942年に、民需用乗用車の生産中止令が発効されました。戦後は車齢10年を超える車が数多く走っていたそうですから、各自動車メーカーが戦前のマイナーチェンジモデルを戦後型と称して出しても、新車に飢えていた庶民は競うように購入していったそうです。

その状況でタッカーの発表です。
長い戦争が終わり、夢と希望に満ちた時勢に、実に見事なタイミングで時代を先取りした夢の車を買いましょうと大々的に宣伝をしたのです。それは国民が熱狂するわけです。
映画「タッカー(The Man and His Dream)」の中で、タッカーは先人は自分の理想を追い求めて好きなことが出来たが、自分は生まれるのが遅すぎたと、大メーカーに会社を潰された理由を裁判で述べていたシーンがあります。
しかし当時は新車であるならば魅力的でもない車が右から左へと売れていった時代に、タッカーほどの急進的で高性能な車を求めるニーズがあったのかという見解も見受けられます。

しかしこの車の生い立ちやその時代背景、そしてこの車を作り上げたプレストン・トーマス・タッカーの情熱、それを深く知った時、すべてが魅力的に感じます。





流線型ではなく空力学を取り入れたスタイリングは、前編に登場したコード812のデザインにも携わったアレックス・トレマリスが担当したそうです。
フェルディナント・ポルシェ博士のVWタイプ1はもう10年早く空力学を取り入れていましたが、戦中に多くの試みや技術革新、そして構想を貯めこんできた技術者達は、戦後ほとばしるようにその構想を具現化していったのでしょう。





アメリカ車といえば眩いばかりに多用したクロームメッキパーツですが、戦前の車の多くはボディとフェンダーが独立していましたので、このような大きなメッキパーツを持った車はあまりありませんでした。
ですから、いかにタッカーが時代を超越していたかをこのリアビューからも伺えると思います。





この車のハイライト、一つ目の巨人キュクロープスの名前に由来するステアリング連動式のサイクロプス・ライトです。
レンズ下部に「TILT RAY」とありますが、これは戦前のGM車のパーツで、新車からこの状態なのか、又はレストアで変更したかは定かではありません。
タッカーが2012年にオークションに出品されましたが、その時の落札金額は、約・・・3億5千万でした・・・
う〜ん、死ぬまでに一度は乗ってみたい車です。





車を眺めているだけではなかなか気が付かない、私が気になる部分にガラスがあります。これは1957年のコロナ ST10型ですが、この時代のガラスの殆どは旭硝子でしたら部分強化の「ZONELITE」ですが、レストアで合わせガラスの「LAMISAFE」が使われおりました。ただ上段の「SAFETY SHEET」というものは調べても詳細が分かりませんでした。





1949年フォード セダンのヘッドランプですが、GEというのが如何にもアメリカという感じですね。






ホンダのFカブです。他の展示車両で比較してわかりましたが、冷却フィンを見ての通り、この時代に於いてもホンダの工作精度はレベルが違います。





1964年のスズキ キャリィバンを見ますと、シンプルなライト回りがハスラーと似通っている感じで、これぞ軽自動車という簡素さが素敵です。





外には愛知万博で乗ったIMTSがありました。
このバスは完全自動運転ですが、その元になったのはMEGAWEBに2010年まで営業運転していたe-comでした。2001年にこのe-comに乗車したことがありますが、アクセルの加減やステアリングにきり方が唐突で未完成な部分が多々ありましたが、このIMTSは非常に滑らかでe-comからの進歩を感じました。





愛知万博で乗車した時に撮影したIMTSの車内です。
運転席というものはとりあえず存在していますが、この時は万博のキャラクターのモリゾーのぬいぐるみが置かれていました。しかしあれから10年、こういった未来の実現というのは出来ていませんね。





リニモに乗って駐車している愛・地球博記念公園へ戻ります。
トヨタ博物館には豊富な書籍・雑誌・カタログ・AV資料といったライブラリーがありますので、今度はこちらもじっくり見たいですね。休みのタイミングが良ければ是非ともバックヤードツアーに参加したいです。





トヨタ博物館で人気のカレーです。味ですが、自宅に置いてきたので分かりません。13年前の記憶では美味しいカレーだったと思います。しかしうちの子供はカレーどころか車にも食いつきませんでしたね。寂しいったらありゃしません。


Posted at 2015/03/22 13:19:06 | コメント(0) | トラックバック(0) | ノンフィクションの30 | 日記
2015年03月19日 イイね!

好きな車に会えるトヨタ博物館 (前編)




ここからの続きです。10年前の愛知万博以来のリニモに乗ってやって来たのはトヨタ博物館です。

前回訪れたのは13年前のバックヤードツアーでして、目的は一般展示していないタッカーを見るためでした。生まれて半年の長女を連れて行きましたが、その長女はもう小学校卒業です。年を取ると月日の流れは嫌になるほど早いです。
ここは大好きな古き良き時代のアメリカ車や欧州車がたくさんあるので、自分にとってはとてもうれしい博物館です。





先ずは1910年代のアメリカを代表するスポーツカーのスタッツ ベアキャットです。
排気量6394ccと巨大ですが、1911年のインディ500出場車の中では最小排気量の車だったそうです。ドアを持たないベアシャシーがこの時代のアメリカ製スポーツカーの特徴で、同時代のライバルにマーサー タイプ35レーサバウトがありますが、オーナー達もライバル意識があったようで、お互いに乗っている車を罵り合っていたそうです。





1920年代のアメリカは未曾有の好景気のお陰で、歴史に残る名車が数々生まれています。この時代に計画・設計、そして制作された車は幸運ですが、計画されたまま大恐慌を迎えてリリースされた車は不運の道を辿りました。この車もその1台です。
実業家エレット・ロバン・コードが所有していた自動車メーカーはかのデューセンバーグを始め、自身の名を冠したコードもありました。
恐らく完全に自分の理想を具現化したのでしょう、棺桶グリルやフロントドライブ等この時代では飛び抜けた構造を持ったのがコード812です。
当時インディ500に出場していたレーサーの中には意外にもFF車がありました。レーサーなのでスペース効率を追求するわけではありませんが、これは直進安定性の改善が理由でした。
そのFFを市販車に持ち込むところがデューセンバーグを所有しているコードならではと思います。
それだけでなく、リトラクタブルヘッドライトやステップを排したサイドシル、プリセレクトの電気シフターといった先進技術が盛り込まれています。プリセレクトのシフターは後のタッカーも採用しています。
しかし1937年にエレット・ロバン・コードの破産によって全てがご破産になってしまいました。

説明が細かいので以下はさらっと行きます。





リンカーン ゼファーです。トヨタ博物館へ行くきっかけになった車です。





本当に何度見てもため息の出る素晴らしいスタイリングです。





ニューヨーク博覧会のポスターがバックというのが憎いです。万博好きにはたまりません。





この博物館で初めて見て、あまりの美しさに感銘を受けたのがこのドラージュ タイプD8でした。如何にもフランス的優雅さで、美しさ故に“愛人に贈るならドラージュ”とまで言われています。





こちらは見た瞬間、圧倒されるほど巨大なのがイスパノスイザ 32CVです。
中を覗き込んでいる紳士と比較すればその巨大さが分かると思います。





「おとうさん、昔はこんな小さいクルマもあったんですかね?」

「これじゃまるでロケット鉛筆の芯じゃな、かあさん。」

と言っていたかどうかは分かりませんが、実車は整備中でした。





8年前に行ったMEGA WEB(メガウェブ)のヒストリーガレージ以来の再会、トヨタ2000GT スピードトライアル仕様車です。
横のモニターでは、1966年の速度記録会に参加した細谷 四方洋氏の興味深いインタビューが放映されていました。





FRライトウェイトオープンスポーツの流行を呼び起こしたユーノス ロードスターです。今ではここまでシンプルに作ることは出来ないでしょうかね。

ひと通り見て回って腹も減ってきましたのでミュージアムレストランへ行きます。





ミュージアムレストランで定番のカレーではなく、ハンバーグセットです。カレーは後程ミュージアムショップでレトルトを買うことにします。

食後は後編へと続きます。
 
Posted at 2015/03/19 11:28:04 | コメント(1) | トラックバック(0) | ノンフィクションの30 | 日記
2015年03月17日 イイね!

訃報

バイカーズカフェ ツインズのマスターが3月10日に急病で亡くなり、閉店されたということがカフェのママがブログを通じて報告されました。

マスターがブログで来客者を紹介する際に、私はツインズの常連客と呼んで下さいましたが、私とツインズのお付き合いはまだ1年8ヵ月しか経っておりません。
しかし、このお付き合いでこれまでの私には無かったバイクを通じてのコミュニティに参加する機会を与えてもらいました。これがどれだけ私にとって有益だったかは、ツインズカップ参加以降の私のバイクに関するブログを見て頂ければ分かると思います。

昨年の12月30日に私とかみさんと長女の3人でディナーを頂きに行きました。マスターとママに家族を紹介したのはこの時が最初で最後になってしまいました。私の最後の来店は今年の1月6日の単身赴任先へ戻る前に寄ったのが最後でした。今となってはそれ以降に行けなかったことを悔やんでおります。

今月初めに4周年を迎えたばかりというのに、なんとも無念だったのではと思います。

心よりマスターのご冥福を祈ります。




2015年03月15日 イイね!

こちらは10年振りの愛・地球博記念公園

2005年に開催された「2005年日本国際博覧会(略称:愛知万博、愛称:愛・地球博)」の長久手会場で現在は大阪の万博記念公園同様に公園として整備された愛・地球博記念公園(愛称:モリコロパーク)へ行って参りました。

大阪万博と違ってこちらは実際に開催期間に家族で行った所です。それまで万博自体にはそれほど興味は無く、娘にマンモスを見せたいというだけで行ったわけですが、結局は私だけが万博のスケールの大きさに圧倒され、その後に尾を引く影響を受けることになりました。

公園に整備されても、当時の痕跡が多少なりとも残っている筈です。記憶を頼りに当時の写真を交えて紹介させて頂きます。
まだ記憶が鮮明に残っていた2006年5月18日に愛知万博へ行った一年後の回想をブログに書きました。その時の画像と現在の場所の違いを並べてみました。








若干のズレはありますが、大体こんな所だと思います。大阪の万博記念公園と違い、まだ10年しか経っていないこともあって殺風景な感じですね。万博当時の広めの環状道路のお陰で、循環するバスが走っております。実は大阪の万博記念公園はこの愛・地球博記念公園の2倍の敷地面積なのですが、あちらは公園内にバスは走っていませんね。しかし当時はモノレールが走っていたのですよね。

こちらは「大芝生広場」です。現在は10周年記念関係の工事の最中です。奥に見える大きな建物はアイススケート場と温水プールですが、当時は永久凍土から発見されたマンモスが展示されていたマンモスラボがあったグローバルハウスでした。あれはとにかく待たされました。








このチケットを手にするまでが長かったです。グローバルハウスに入るまで2時間半は掛かったと思います。これが来た目的だったのに、娘はブルーホールのソニー製巨大スクリーンの映像を見ながら寝入ってしまい、結局娘は肝心のマンモスは見れませんでした。撮影禁止だったので写真もありません。

この大芝生広場は、万博開催期間中は巨大スクリーンが設置されていた「愛・地球広場」でした。




当時は上をロープウェイが通っていました。開催期間限定とは思えない立派な移動施設ですね。ロープウェイに乗って撮った写真の中に近い場所のものがありました。





これは夕方の気持ちの良い時に撮ったグローバル・ループ下で休憩していた時の一枚です。懐かしいです。





当時グローバルコモン3に架かっていたグローバルループの一部が開催期間185日にちなんで185mが保存されています。





下は当時のグローバルコモン5付近のグローバルループの風景です。とにかくたくさん歩きました。





大阪の万博記念公園に「EXPO'70パビリオン」があったように、こちらにも同様の「愛・地球博記念館」という施設があります。この建物は開催当時迎賓館として使われていました。





当時のグッズがショーケースに収められています。





ギャラリーには当時実際に会場で使われたものや、各国の貴重な寄贈品が展示されていました。





趣味ではありませんが、コンパニオンの制服も展示されています。大阪万博のコンパニオン(当時はホステスと呼ばれていました)の制服も見てますが時代でしょうか、実に地味というか尖っていません。





ここで懐かしの展示品を発見しました。イラン館に展示されていた愛知万博の為だけに作成された絨毯です。





ものすごく印象的で、これには当時かみさんも食いついていました。





ここへ来たならあそこへ行かなければという所がありますね。
当時はあまりの人気ぶりとハガキによる「完全予約制」で初めから諦めていた超人気スポット「サツキとメイの家」です。





実は私、となりのトトロって見たことがないんです。だから当時は初めからパスしていたというのもありますが、おそらくこの映画が好きな方、この映画の舞台になった昭和30年代を過ごした方には感動の嵐でしょう。私はというと、根っからの古いもの好きですからもちろん興味津々です。
とにかく徹底的に当時の生活を再現しているのはないでしょうか。

こちらは洋間です。作品を知らない私は、むしろ日活アクション映画でこういう風景を見た感じがしました。ルールで建屋の中からの撮影は禁止でしたので、みなさん外から一生懸命撮ってます。





よくご覧になると分かりますが、とにかく細かいです。








昭和30年代の暮らしをイメージさせる風景が心を癒してくれます。











この井戸ポンプは実際に使えました。飲料水ではないのが残念ですが、屋内の炊事場にも同様の井戸ポンプがありました。





残念ながら屋内の撮影は出来ませんでしたが、とにかく生活に欠かせない物、そうでない物、これ等がてんこ盛りでした。
タンスなどの調度品の引き出しの中には、当時を過ごした方々が「あるある!」「うわぁ~懐かしい~」を連発する生活必需品でいっぱいでした。よく揃えたと思いますが、実際に手に取って見ることも出来ました。
炊事場の鍋や調味料が入った瓶、恐らく当時物の電球ソケット、トドメは下駄箱の中にはさり気なくサツキとメイが履いている小さい長靴まで仕込んであって、若い娘さんが「うわぁ~、かわいい~」と叫んでいました。細かすぎでこだわりすぎです。


視点がズレている私はこんな所に目が行ってしまいました。1965年製でしょうか、それともタグだけ付けたのでしょうか。





私事のエピソードです。

当時はロープウェイやトヨタの自動運転バス「IMTS」に乗ったりと歩き以外の移動手段もあって楽しかったですね。神出鬼没の"リアル"モリゾーとキッコロもいましたね。
帰りの電車では事故で1時間缶詰にされてしまい、これでは最終の新幹線に間に合わないと途中下車してタクシーに乗り換えて名古屋駅を目指し、やっとのことで着いた名古屋駅では、あと3分で最終の新幹線が出るということでかみさんは娘をおんぶしてダッシュ、私はおみやげを抱えてダッシュ、滑り込みで間に合いました。この時かみさん、実は妊娠7ヶ月でした。
ようやく家に着いた時はもう日付が変わっていました。この強烈な記憶が消えるわけがありません。




電車に缶詰、そして頑張ってくれたタクシーの運転手さん


娘はまだ小さ過ぎて残念ながら愛知万博へ行った記憶は殆どはありません。
しかし忘れた記憶の代わりに、デジカメの画像とカムコーダの映像が頼りない記憶の代わりをちゃんと果たしてくれるでしょう。
万博へ行った翌日、デジカメのFinePix F10は画像データを移した直後に電源が入らない故障が起こり、ソニーのカムコーダに至ってはワイコンの重量の影響でレンズのフィルター枠がポロリと・・・運が良かったと思います。


たっぷり懐かしんだ愛・地球博記念公園のあとは、これに乗ってもう一つの思い出の場所へ行きました。





これに乗って行った所は続きで。




Posted at 2015/03/16 01:48:42 | コメント(0) | トラックバック(0) | 万国博覧会 | 日記

プロフィール

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何シテル?   12/24 08:12
カネは無くともバイクに乗りたい。貧乏子沢山、4児のオヤジ、家族は一番の宝です。   
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