身の回りで起きた小さな事件を機に、少し考えてみました。
興味のない方には無意味かつ不快な内容もあるのかもしれませんが、日記ですのでご容赦を
日本においての銃所持は、おそらく世界でも最も厳しい審査基準をクリアしなければなりません。
審査基準は知識考査は勿論、性格・資質に及び、近隣住人、職場、友人への聞き取り調査が行われます。犯罪歴のある者はほぼ不可能と言われています。
殺傷力を持つ道具ですから当然ですし異論はありません。むしろ更新時(概ね3年毎)にももっと厳しく審査が行われてもよいと思っています。
危険な道具である銃の用途ですが、多くの方は「殺す道具」として怖いもの、忌み嫌う対象であり、戦争や暴力などを象徴する道具という認識ではないでしょうか。
クレー射撃やライフル射撃などのスポーツ射撃もその敷居の高さからとても一般的な趣味とは言い難いところです。
そんな危険な銃を私が持つに至った理由と、今後の生き方について考えるところがあったのでだらだらと書いてみます。
幼少時代、北海道の北の端の田舎町で育ち、勉強もせず暇さえあれば(暇じゃなくても)冒険と称して野山や海で日がな一日遊びまわり、動植物、食材を持って帰る(母親を呆れさせながら)ことが何よりも好きな子供でした。小学時代のカブスカウト、中学からのボーイスカウトなどで救助やボランティア活動などを経験した折、自分たちの技術や知識が困っている人に役立つのだとすごく誇らしかった思いが私の根っこにあります。
1983年、大韓航空撃墜事件の際、砂浜に打ち上げられた機体残骸の回収にボーイスカウトが駆り出され、中3の私もハングルが書かれた機体部品や乗客の荷物、衣服など早朝から日暮れまでとめどなく作業しました。私をリーダーとする5名に割り当てられた砂浜2~3kmを往復する度に新たな漂流物が打ちあがっています。
そんな中、マネキン人形のような下肢や砂にまみれた腕、沖合30mに浮かぶ子供と思しき白い背中を発見し呆然とします。泣き出す仲間を砂浜から遠ざけ、隣のエリアにいるリーダーへホイッスルと手旗信号でSOSを送ります。すぐに団長のジープがやってきて、無線で消防に通報したところで、我々の作業は終了しました。
家に帰って無言の私に母が問いかけますが、混乱していて説明する気になれず不機嫌に「なんでもない」と母に言ったような気がします。
自分の部屋でボーイスカウトの制服を脱ぎハンガーにかけたところで涙が出てきました。
当時、自分の涙の理由がよくわからなかったように思います。
普段の明るい仲間の涙に触発された涙だったのか、怖かったからなのか・・・。
何度も理由を思い出そうと考え過ぎて真実がわからなくなったのかもしれません。泣いてタオルがびしょ濡れになったことを鮮明に覚えています。
夜になってふと思い立ち仏壇の祖父に手を合わせました。
その後、大人になり就職し仕事中心の人間になって超多忙な毎日を送ること20年余り、あまりそのことを思い出すこともなくなりました。子供が生まれ、休日には野山に連れ出し楽しく過ごしましたが、最近は彼らも大きくなり多忙になり付き合ってくれなくなりましたから、私一人での山行が増えました。歩きながら幼少期にひとりで歩いた森の匂いやキャンプでの出来事、仲間たちの記憶を楽しみながら歩きまわり、新たな山菜の群生地を発見し、そこに身を置くことは天国にたどり着いたような気持ちになります。バカですねぇ
そんな中、15歳の記憶を思い出すことがあり、考えを巡らせました。
思春期に意図せずに触れることになった人の突然の死についてです。
これまで人は簡単に死ぬことはなく、地上の生物の頂点ともいえる「強さ」を持つ生物であると思っていました。怪我をしても救急車が来てお医者さんが治してくれる。病気もいろいろな薬を駆使して治してしまうのですから、野生動物とは違い、格段に死ぬことが無いはずだと…。
しかしこれは共同体としての強さ、文明や資本主義システムの利便性による「万能感」がすぐそこにある死の不安を見えなくしているだけなんじゃないかと考え始めました。
実際はどうでしょう、特定の内蔵へのダメージを受けた場合、動物によって死の可能性の違いはほぼありません。鹿も人も簡単に死にます。
死がすぐそこにあるものとして考えた場合、残りの人生で自分はどのように変化するべきかを考えました。
自分も自然の一部として自然と対峙し、自然に召されるならばそれもまた本望なんじゃないかと思い出しました。まだ達観するところまでは全く行きついておらず道の途中ですが、整理がつけばそれを家族(子供達)や共感を持って戴ける方へ自分の精神性や生き様のひとつの行先としてお示ししたいという気持ちです。
以前の自分を含め多くの人は実感することなく生物の死を操って生きているのだと思っています。鳥、魚、ブタ、牛などの見えない死の操作の上に立って生きています。菜食主義者といっても無縁ではありません。15歳のあの時を境に少しの罪悪感が違和感として心の奥に留まった気がします。そんな私がハンターとして生物に対する強制的な死を操るにはどういう精神性や自覚が必要か、現時点での考えというか方向性を導きました。
私が思う「銃を持ち生きる」とは、ある意味において動物と対等に死に接した状態で(まだまだ死ぬわけにはいきませんが)自然と対峙し、山の幸として摂り、彼らの成仏と転生を祈り、私も大好きな自然の一部なのだという実感を得て、自分に必ず訪れるであろう死の時には達観したい。
猟において私は野生である。
ということです。
長文をお読みいただきありがとうございました。
Posted at 2017/03/27 14:56:27 | |
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