この前の散歩中に、やたらと目についた旗がコレ↓

小泉八雲(*゚.゚) 聞いたことが有るような無いような...
帰宅してネットで調べてみると、作家だとわかりました。作家なら何か有名な作品を残してるのかな?と、かなり上から目線で経歴読み進めると...何と!「雪女」「耳なし芳一」「ろくろくび」「のっぺらぼう」等々、かの有名な怪談を世に送り出していたのです(;° ロ°)
凄いぞ八雲...
それじゃあ行ってみるしかないでしょう。見てみぬふりしてた...

記念館へ初めて入ってみました♪
自宅より歩いて3分(´゚ω゚):;*.':;ブッ

そして誰も居ない((〃゚艸゚))
入ってみての第一印象は、いわゆる一般的な資料館と言った感じ。整然と並べられた貴重であろう手記や写真。その中で一番驚きだったのが、、

家系図見て(°Д°;≡;°д°) この人
ガイジンだったんだ(*0*;)

本名は「ラフカディオ・ハーン」という名のギリシャ人。幼少時から様々な国々を渡り歩く人生で、新聞記者として働き、最終的に英語教師として日本へ来たとき知り合った女性と結婚し、その女性の苗字『小泉』だったことで日本へ帰化したって流れ。
詳しくは
コチラ
それで本題。どうして焼津が小泉八雲と関わりがあるとか言ってるのか?それは八雲が夏休みのたび、毎年焼津を訪れてたからなんですね(。’-')(。,_,)ウンウン 水泳が得意だった彼は、すぐ深くなる焼津の海(浜当目)が気に入ったのに加えて、焼津に住む人々のガサツで飾らない人柄が肌に有ったんだとか(*´艸`)
今後の活躍も期待されてた矢先、54歳の若さで心臓病によりこの世を去った八雲。
日本を 日本人をこよなく愛した彼の作品が、後の太平洋戦争でアメリカ軍が、対日本軍の心理的軍事作戦を立てるのに役立てたと言う話を聞くと、何だかとても複雑な気分になりました(ノ_-;)
小泉八雲記念館を出た後、目に入ったのが

「おいしい焼津」ではなく(^▽^;) 歴史民俗資料館
行ってみるか[影]ω ̄)

おーおー有った有った!こんなのが母さんの実家に((´∀`*))
さらに奥へ進むと...

第五福竜丸 この名を聞いて”ピン”と来るのは、焼津市民だけでないはずです。
戦争が終わった1945年に、広島と長崎に原子爆弾が落とされたのは誰しも知る悪しき歴史。そのたった9年後に起きたのが、アメリカによる水爆実験後の被爆事件。

ザックリ説明しますと、水爆実験することは事前に各国へ連絡してあったのですが、実際水爆を爆発させたら、、想定以上の威力(約3倍)で...。
ゴメンナサイm(__)m
戦争は人間の理性でコントロールできるにしても、事故はどんなに気を付けていても起きてしまう。100%ヒューマンエラーを防ぐことは不可能。そう考えると、原子力発電所は今すぐにでも全部廃棄するべきだと自分は思いますl-_-l_ _l-_-l_ _l ウムウム
核兵器は使用後約二週間で放射能が無くなるのに対し、もし原発事故が起きてしまったら...もうおわかりですよね?いまだに核反応が止まらないチェルノブイリ原発や福島第一原発。。
笑えるネタを探しに来た二つの資料館でしたが、完全に想定外でしたσ(^_^;)
Posted at 2025/10/18 06:29:30 | |
トラックバック(0) |
地元紹介 | 日記