(※注 これは、ある掲示板への”レス”です。
みんカラの皆さんには、前後の経緯が分からず、理解し難い内容だと思いますが、何卒、ご容赦ください。)
自分が言いたいメッセージを誤解なくお伝えしようと思ったら、こんなにも長くなってしまいました。だから掲示板へのレスではなく、自分のブログに書くことにしました。
リンクを辿って来ていただいた皆さん、閲覧ありがとうございます。
>もっぱら街乗りでの運転で考えながら走っておりましたが・・・
↑これこそが最も大切なコトだと思います。
ある程度のドライビング経験を積んだ年齢に達すると、「闇雲に好き放題飛ばす」ことは、自分の間違った感覚を助長するだけだと私は考えます。
(新しい発見(改善)は無く、自分のクセ(都合)に合わせた走らせ方を反復するのみ)
目的を持たない「走り込み」は、根拠のない慣れを産み、かえって危険です。
■限界走行では「普段乗りの精度の甘さ」が増幅してあらわれるから危険
街乗りのような穏やかな(小さなG・クルマも人も余裕がある)状態で「精度の高い操縦」の実践(つまりGの大きさ、Gの方向を自らが管理し作り出すこと)ができないまま、速度域を上げれば、自己の操縦精度の粗雑さがより誇張されて現われ、タイヤが許容できるGを超え、予期せぬ動きを招く危険度だけが増す結果となります。
タイヤのキャパシティーに任せるような受動的な操縦では、本当の限界は引き出せない。
人間側が、タイヤのキャパシティーの範囲内で効率よくクルマを導く主体にならなきゃいけないのです。
本当に安全な街乗り走行とは、小さな一定Gの範囲内でクルマをコントロールすること。
つまり、タイヤのキャパシティーを、全方向にわたり「等しく残す」管理でもあります。
そして、精度の高い運転とは、単に一定Gの”範囲内”ではなく、”一定G”でクルマの向きを必要なだけ変える力を導く操縦です。
だから、街乗りにおける「究極の安全運転」とクルマの性能を最大限に引出した「限界走行」は、同じものなのです。(単に、使うGが小さいか、大きいかの違い)
■「速いと危険」、「ゆっくりだと安全」・・・は間違いであることが多い
ゆっくり走っていると、タイヤに余裕があるから気づかないだけのこと。
間違った操縦に基づく「危険な状態」は、ゆっくり走行の中にちゃんと存在しています。
雨・雪・凍結・・・日頃からゆっくり「間違った操縦」を繰り返している人たちが、ちょっと路面のμが下がると引き起こす「ハンドル操作を誤って・・・」という、よく聞く事故のニュース。
実は、「ハンドル操作を誤っている」のは、事故を起こしたときにタマタマではなく、恒常的に普段から繰り返していることなのだろうと私は考えます。(気づいていないだけ)
課題をもってドライビングに臨むのであれば、絶対的な速度域の高さに関係なく、
まず、「街乗り」が非常に難しいことに気付きます。
これを克服しないまま、”根拠の無いハイスピードドライビング”に臨むことが如何に「危険か」が、イヤという程わかります。
しかし、自分が長い年月信じてきた「キモチイイ運転の感覚」というのは、そう簡単にはヌケません。強い信念を持ち続け、これまで積み上げた間違った自分の感覚と向き合わなければ治りません。
■運転について「正しい情報」を掴むのは至難の業。誤解を生み出す環境だ
私が、こういう理解に至ったのは、幸運にも、心から尊敬できる師匠はじめ適切に指導してくれる先輩方との出逢いに恵まれたからこそ・・・なのですが、この後に及んでも、今、なお、私は自分の中の「自己流先生」に甘えたがるのです・・・(^^;)はやく克服したい。。。
一方、「ドライビングを習得する環境」に目を向ければ、ごく一部の恵まれた人達を除くと
「自己流」が当たり前。
そして、残念ながら、これを狙ったマーケット(ドライバーの「基礎的な操縦の問題」を、まず、クルマのセイにして、パーツの販売を促進する市場)が主流のように見受けられます。
(この表現は、物議を醸すカナ?(^^;))
誤解を恐れて補足すれば、「広告や雑誌側の悪意」ではなくて、市場(クルマを使う側のニーズ)そのものが「クルマは、ハンドルは切れば曲がるもの」という価値観を主流に形成されているので、仕方がないのです。
※そもそもクルマは、何も考えなくても、人の意のままに動くように設計された道具。・・・だからこそ誰でも運転できる!
※ただし、「道具の最大限の能力(限界域)を引出す」というテーマを追究する人にとっては、これが当てはまらないのです。誤解すると道具(物理現象)に裏切られます。
だから、バイブルが「雑誌広告」のみで、自分の価値観(「信じて良い」とする基準)が無いと、勘違いが起こりやすい環境だ・・・ということが言いたいのです。
従って、”ドライビング”を真剣に考える多くの人達にとって、雑誌をはじめとするメディアから「真実の情報」を得るのは、非常に難しいコトなのだと、私は思います。(※批判ではない)
※運転で解決することを考えずに、チューニングで解決しようとする。→ある年齢に達すると車以上にお金をかけるべきコト(家族等)が増えてきて、「もう”バカなこと”にお金を使うのはやめよう」と、運転を愉しむこと自体をヤメテしまう。
※或いは、発信側の情報は正しくとも、読み手側が文字情報の”解釈”を誤ってしまい、本当の価値がわからぬまま、苦難や危険に屈してしまう・・・等。
「街乗り」(さらには、経済的低燃費走行)と「ハイスピードドライビング」が同一線上にあることから考えると、「運転好きな人が運転技術の向上を諦めること」はとても残念だなぁ・・・と思います。
■究極の安全運転が究極の効率運転(エコ)=最速の運転
「
安全運転」=「
同乗者が心地良いと感じる穏やかな運転」=「
物理的に効率の良い運転」→「結果的に、
その車の最高の能力を発揮できる運転」=「
最速のドライビング」なのだと私は考えております。
タイヤのグリップに頼って曲がるのではなく、慣性を導いて、クルマの重心にかかる力のベクトルを自在に操る。ヨーコントロールこそがクルマの運転の本当の愉しみ。
これに気付くことが「幸せ」なのか、「不幸」なのか・・・これも、本人の志によるのだと思います。
クルマの愉しみ方は人それぞれ。みんな自分の価値観に合った幸せなカーライフを愉しんでいるのです。
だから、だれも他人の価値観に干渉すべきではない。
ただ、少なくとも、「運転をどうしたらイイか真剣に悩んでいる人」の多くにとって、今の自動車市場に流れる情報の多くは「適切ではないことが多い」・・・と、私は思っております。
独学で勉強すればする程、混乱することがあるかもしれません。
偉そうなことを書きましたが、私はまさに今、このテーマで悩み苦しみ愉しんでいます。
長年
「頭で理解している理論」と
「体が求める間違った感覚」の狭間で苦労し続けています。
何とかして、自分の”感覚”を”理論”(物理的裏付けのある最も効率の良い働かせ方)に近づけたい・・・というのが、私の(おそらく一生の)テーマです。
正直言って、今の自分、ぜんぜん駄目(^^;)あぶない運転の男ですよ。。。
でも、自分が目指している価値は、こういうことなのです。
ドライビング修行にかける私の価値観。とても幸せなのです(^^)
(※注 これは、ある掲示板への”レス”です。
みんカラの皆さんには、前後の経緯が分からず、理解し難い内容だと思いますが、何卒、ご容赦ください。
だれも攻撃する意図は無いので、くれぐれも誤解しないでくださいネ(^^;))
ところで、この長文を最後まで読んでくれたアナタ・・・かなりの運転好きですね(^^)