
今月も小銭が貯まったから(500円玉中途半端ww)義援金に持ってこうかな♪
自分は生まれてなかったけど父親は
福井地震を経験しててその時の話は幼い頃からよく聞いた記憶がある
昭和20年
福井大空襲によって焼け野原からの戦後復興もままならない昭和23年に今度はM7.1 の直下型地震で福井平野は壊滅状態
当時は戦後の復興で日本中が「自分が生きてくために・・・」の環境だったから
現在のような救援活動や物資などほとんど無いに等しい状態で「全て自力」の時代
がれきの下敷きで足を挟まれて動けない人に炎が迫りくる!
その傍らをパニックで逃げ惑う人々
通りがかりの道具を手にした大工が見かねてのこぎりを置いて逃げていく
脱出するのも自力!
その後はご想像のとおり・・・
まさに修羅場
命をとりとめても避難所なんて無いから数ヶ月も蚊帳だけで毎日食べ物探しのサバイバル生活
風呂?なんて入れるわけない
頼れるのは親族のみ
そして3ヶ月後には1級河川の九頭竜川が氾濫(これは幼かった父には記憶に無いらしく市内の被害は少なかった模様)
国の補償や義援金、仮設住宅なんてある訳無い時代にこんな度重なる災害から復興をはたした福井
その事から「フェニックス(不死鳥)の町」と呼ぶようになった
だから申し訳ない事だが震災にあったというニュースが流れても「同情はするが何か手助けを・・・」
と真剣に思う年配者は少なからずいたと思う・・・
そう、今回の東北地方太平洋沖地震がおきるまでは・・・
そんな年配者をして口をそろえて「津波は恐ろしい・・・」と言っている
しかし、自分の経験では災害時に助けて頂いた記憶はしっかりある
平成9年
ナホトカ号重油流出事故の際には人海戦術で柄杓を使って海岸線に打ち上げられた重油を汲み取る為に多くのボランティアの方々が助けてくださった
特に印象的だったのはこれより2年前に阪神・淡路大震災で被災された方が
「今度は我々が助ける番」とまだ復興中であろうに多く来られた事
これには本当に「ありがたい。。」と思った
おかげで日本一のカニ「越前かに」の水揚げも今に続いてると感謝
その後平成16年には
福井豪雨で足羽川堤防が決壊するも、すぐさま富山、石川の消防団が駆けつけ市内中心部への水害を食い止める事が出来た
続々と駆けつける他県の消防車がどれほど頼もしく見えたことか・・・
「受けた恩義は石に刻め!」だよね♪
こんなちっぽけな事しか今は思いつかないけど
福井からフェニックススピリッツと共に東北に届け!!
後、献血ぐらいはしなきゃ。。。
Posted at 2011/04/02 18:52:28 | |
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