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れいら@修行中のブログ一覧

2014年10月24日 イイね!

父との思い出

今は亡き父のこと思い出すと ひと言で表すと 「職人」でした。

故に わたしが思う職人像は、父のような人になります。

どんな父だったか。

父は、大工さんでした。
大工でも 棟梁【頭(かしら)という意味です。】でした。
仕事では、常に良いモノへの拘りを持つ人であり
とても無口で お客と話をしていても 手を休めたことがありません(笑)
・・・お客様から見たら 真面目な方だと安心するのでしょうけどね。
・・・でもね、本当は 話下手なので 話しかけられても仕事を続けていれば すぐ止めると踏んでいたのでしょう(笑)

棟梁なので 設計から見積 施工 集金まで すべての責任者であり それをこなす人でした。

施工主の要望を聞いて 自分の経験からどんな仕事内容になるかを考え設計をして 材料費 作業に携わる人の数も決めて  日数もよんだうえで すべてをまず見積もるわけです。

そして設計内容と見積額を提示し 了解を得てから 材料の発注と作業

家を建てるならば 基礎から考えてかなりの手間と時間が掛かります。

わたしは、経験の蓄積があるとはいえ よくこれだけのものを事前に読むなと思いました。

よく お客を観て態度を変えたり 交渉などもいい加減な仕事をする業者は、見積もりも適当だったりして あとになって二転三転なんて変わることってありますが 父の見積は余程予測不可能な事態 天候が長期にわたって悪く 工期に大幅な遅れが生じたなど 致し方がないという誰もが思う事情がない限り 変わったことがありません。

父は、まずお客様との信頼を大切にしてました。
だから 自分が出した見積もりを後で大きく変えてしまうなんてことは恥だと思っていたのか プライドが許せない人だったようです。

あるとき 工期の半ばで 顧客からの要望と自らの拘りから 当初の予定より より良い材料に変更をしたのですが 初めに出した見積を大幅に上回っても あの人は、見積額のみ集金してきました。

お掛けで携わってくれた仲間に支払ったら 自分の分がほとんどなかったという話を 良く母から聞かされました。(笑)

何か月も掛けて仕事をして 20万足らずしたか手元に残らなかったら うちは大赤字ですが 父は、そんなことは気にしません。

家のことは母に任せている人でしたから 父は気にしないわけです。

でも 母も勝気な人で納得できないものを貯めてしまう人ではなかったので こんなお金しか家に入れないでとお酒なんて飲ませないよと といっては、父とモノが飛び交う喧嘩をしてました。

子供の頃 わたしのお茶わんなどは、年に5-6回は新しくなりました。
わたしが壊したわけではありませんよ(*´∀`)一度も・・・

父が大切にしていた仕事の拘り 一番は、顧客の満足と信頼だったのでしょう。
わたしが社会に出て仕事に就いてわかりました。
父がいってました 俺の建てた家は、雨漏れなんて絶対しねえ 30年だろうが40年経とうが大丈夫だ。
腕には自信があったのでしょうね。
ただ 腕を自慢する話などは一度も聞いたことがないです。
自分がいなくても 残った家が語るということなのでしょう。

父が携わった仕事で苦情は聞いたことがありません。
そんなものがあったら 一度の仕事で何十日も数か月も費やすのですから 食べていけなくなりますものね。

父の口から聞いたことがない言葉は、職人という言葉です。
自分のことを自分で職人とは決して言いませんでした。
俺は大工だとは耳にしましたけどね・・・仲間から棟梁と呼ばれるのも かなり照れてました。

でも私は彼を職人だと大人になって仕事に就くようになって 感じました。


わたしが社会人になる頃、仕事の多くは、大手ばかりに取られ 俺の代で終わりにしようと 兄たちに 継ぐ必要はない 自分の好きな道に進めと話してました。

決してお客様との約束を蔑ろにしない。
そんな父が 一度だけ引き受けた仕事を断ったことがありました。

それは、ちょっとだけ建蔽率を超えて誤魔化して建てて欲しいと頼まれた時です。

建蔽率とは、土地の広さの中で建物が覆い隠す広さで 建蔽率80パーセントと定められた地域なら 土地の広さの80パーセント分の面積以内で建物を建てないとなりません。
火事等で延焼を防ぐためにも 定められた法律や条例 いわばルールです。

父は、ルールを破るのが大嫌いな人です。
曲がったこと 道理が合わないことには、屈しない。

依頼された方は、昔からお付き合いがある 近所で毎日顔を合わせるお家の方でした。

そこから依頼されたら なかなか断れないですよね。普通・・・

でも父は、激怒して 「出ていけ この仕事 俺にはできない他を当たってくれ」と 母の制止を無視して 追い出してしまいました。

あそこまで怒らなくても・・・と私も思ったものでしたが 後で考えると あれはあちらが悪い。
母も同じ意見でしたので 父の行動は正解だったのでしょう。

ちなみに 母に言わせますと わたしの曲がったことが嫌いで 道理が合わないことに我慢できない性格は、父譲りだそうです。o(- -;*)ゞ イヤァ

そんな厳しい父も プライベートではとても優しく お酒さえ飲まなかければ 良い人でした(*´∀`)飲まなければね・・・

飲んだら 危険 近寄るべからず(*⌒д⌒*)

わたしがピアスホールを開けた後 ファーストピアスを入れていたら それを観た父が何を思ったのか 母を連れて ジュエリーショップへ

母は、この人がこんな店に入るなんて珍しいと 何か買ってもらえるのかと多少期待したそうですが ピアスを選ばされたそうです。
ちなみに母は、ピアスを開けてないので すぐ私にだと理解したとのことで (笑)

「アイツったら、金がないのか あんな安っぽいピアスなんてつけているから ダイヤでも買ってやるかと思って」といっていたそうで・・・(笑)

ファーストピアスは、開けた穴を安定させるために一定期間入れておくピアスで 通常 見た目安っぽいですね(。・・。)(。. .。)ウン

それを観て勘違いしたらしいのですが 私には、ラッキーでした。

後で母と一緒に笑ってしまいましたが 折角だからと ちょっとだけ早かったけど 付け替えてあげました。
そのピアスは今でも大切に持ってます(*´∀`)

そういう お茶目で優しいところもある父でした。



Posted at 2014/10/24 08:11:46 | コメント(3) | トラックバック(0) | 回想 | 日記
2014年09月17日 イイね!

バイクとの出会い

こんな私にも高校生の頃はありまして (^-^)

当時 都会で暮らしていたので バイクの免許を取るとか バイクに乗るとか 買うとかは自由でした。

わたしが高校の頃の世の中は、3ない運動 なんで勝手な大人達のバイクを高校生に与えない環境を整えれば 不良に関わらず 不良にならないという おかしな論理。

高校生にオートバイや自動車を「運転させない」「買わせない」「免許を取らせない」という 素晴らしいスローガンの元 バイクはダメって感じで お隣の某埼玉県などは、免許センターで学生だとダメとか 公的機関の行いとしては、法律違反ではないのと思える事例も耳にしたものです。

幸い 東京都は、問題なしでしたし 私が通った学校も都立でしたので 取ろうが乗ろうがお構いなし

ただ バイクで通学さえしなければ おとがめはない良い環境でした。

そんな良い環境にいれば 楽な生活をしたくなるのが人の常(*´∀`)ですよね~

中学の頃上の兄たちが 母に バイクに乗りたいと懇願する姿を見てました。

両親は、「自分で働き 自分で稼いで免許を取り バイクを買うなら 構わない」と兄たちに応えます。

すると 兄たちは、アルバイトニュースをかって 履歴書を作り バイトに出かけます。

一週間もすると 帰宅すると 兄たちの部屋からいつものように音楽が流れてきます。

「あれ、バイトは?」

「辞めた」

・・・(ハイハイ)

そんな私も高校生になり 早速アルバイトがしたいと両親に頼みます。

「うーん・・・夜遅くなると危ないから・・・」とか

「変な人に絡まれると危険だから」とか

・・・(;-o-)σォィォィ・・・兄たちには、働けといっていたじゃない・・・とツッコミを入れると だって男の子だもの・・・アンタは、・・・・

それはズルい わたしだっていろいろと自分で自由に欲しいもの手に入れたいもの

と 三日間頼み込んで 許可・・・を得ました ・・・世の中理不尽なことばかりですね。

何をするのにも 簡単に許可される兄たちと 同じことをするのにも 許可を得るのに苦労する私の違いは・・・(^_^メ)むかむか

バイト選びは、注意深く選びました。

友達たちが良く選ぶような ファーストフードなど 出会いがあるようなイメージの場所は、あとあと続けていると両親の心配が募り出し厄介 わたしも面倒
・・・(当時からどちらかというと 独りが好きな人でして 友達は良いけど 友だち以上の関わり合いは面倒と感じてくる人でした。)
成績が下がったら 即禁止令が出るのは、何とか回避させたい・・・・

で良いところを見つけました。

東京駅の特急など列車の車内清掃

これとても良かったです。
チームで一列車を掃除するのですが 大体一人で二両を掃除すれば終わりですし

次の列車が当直するまで 最低で35分 最大110分の空き時間がありました。

空き時間は自由なので、食事も取れれば 予習復習もできます。
詰め所で 勉強も出来たので 高校生の2年と半年 続けましたけど 一度も成績が下がることはありませんでした。(*^▽^*)
時間はあっても構内または 地下街辺りにはいないとならないのですからね。
遊びへの誘惑は 皆無でした。

今のような楽しめる東京駅周辺の環境とは違うのですよ。
当時は、ビジネスマンや旅行者の向けの色合いの濃い環境でしたので お店を巡るのは、楽しいという雰囲気はなかったです。

お土産屋さん お酒の出る店って感じのものが多かったかな・・・高校生のわたしにとってはヽ(´~`;ウーンつまらん

だから やることないので勉強ということに(笑)

お仕事は面白かったですよ。
わたしの場合どんな仕事も楽しむようにしているので ただ掃除するのでは、わたしも単調な気分になってしまうため 今回は、3分で片づけるとか 目標をもってやってました。

そのうち ヘ(゜ο°;)ノうわって驚くような汚い状態の車内も 誰よりも早く綺麗に仕上げるわざを得たりもしました。

酔っ払いさんが残していった 誰も歓迎しないお土産も さっと新聞紙を取って被せて 軽く周りを踏んで 箒と塵取りを当てて 箒を使ってさっと塵取りに入れただけで 何も残らない

そんな 光景をホームから見ていた お客様たちから、(!o!)オオ! (!o!)オオ!という声が聞こえると ☆⌒(*^∇゚)vえへっ♪ってなってしまいます。

このバイトの目的ですが 当初は、洋服とかのためでした。

が、毎日頑張っていたら 結構貯まりまして そのうち16歳になって免許も取れますよって年齢に・・・

まぁ原付くらいとろうかと試験を受けと取ってきました。

で、スクーターでも買おうかと思ったところに 同級の男の子たちがγ50とか RZ50 とかMBX50だったかな・・・そんな50のバイクで集まっていたところに出くわしまして ちょっと5メートルだけ運転させてもらいました。

どうして5メートルかって クラッチなんて知らねぇーだよ だから すぐ止まっただよ (・へ・)なにこれ

男の子たちは、笑って クラッチってものは、・・・下手だな・・・

わたしも 愛想よく にこにこしておきましたが 内心 負けるものかと火がつきまして

その足で教習所へ・・・クラッチの付いたバイクに乗りたいと 受付に・・・

自動二輪ですね・・・はい(知るか クラッチの付いたバイクなら良いんだよって感じ)

原付の免許見せて 入学の手続きをして

当時私はバイクなんて興味がなく 原付っていうものは、スクーターで クラッチ付のバイクは、子供の頃兄たちが読んでいた ナナハンライダーとかの漫画に出てくるようなバイクだと思い込んでいたわけで 

排気量ならそれって感じでした。

中型は体力的に無理だろうといわれ 小型を勧められました。

フムフム それならばと小型で教習を受けたのですが あちらこちらが筋肉痛 イテテ状態でした。

でも何とか免許を取りました。

人の倍加通った気がしますが・・・(笑)

で 125を買って乗っていたら 50に乗っていた連中は、いつの間にか400に乗ってました。

「れいらは、オートバイに乗っているんじゃない 乗られているんだ。」と馬鹿にしてきました。

(*^▽^*)にこにこ しながら 心の中では、オマエラ許さないとまたまた火がつきまして・・・

試験所に通って中型を取ったら わたしの友達の彼氏が 丁度免許取り消しを食らったとかで とても大切にしていた昼間用のバイクを買わないかという話しが来まして 買ったのがCBX400F青白でした。
RPMの集合管に BEETのクランクケース ジェネレーターカバーとか・・・・とても綺麗なバイクでした。

ちなみに その先輩の夜用のバイクは、紫一色でトラが唸るような音のする 直管で セパハンがとても絞られていた 免許がなくても乗れるとかいっていた CBXでした。

ちなみに わたしは、グルーブで走るのが大嫌いなことは 友達も知っていたため バイクは買いましたが 他のお誘いはありません。

毎日のバイトも これで更に快適に 東京駅から10分で帰れるようになりました(*´∀`) えっ 何処までかって 聞いちゃだめですよ

でもね 400乗っている人たちに馬鹿にされ 400乗って見返すって わたしの気持ち的に許せないのですよ。

目指すはさらに上をということで 通ったのが都民自動車教習所という ところで 750を借りて練習あるのみ。

散々練習して 自由自在に乗りこなせるようになってから 普段のるCBXも基本姿勢と基本的な運転に変え 交通法規を守る運転を心掛けて 毎日のバイト先からの帰宅も25分くらいかけ ヾ(ーー )ォィ

それを 続けました。

で 試験場に通うこと三回目で「限定解除」をとり 買ったのがCB750FCでした。

これは、10年のって 会社を辞める後輩にあげたのですが・・・その後は、Kawasakiの忍者900Rをずっと乗ってました。

わたしが限定解除を取ったとき これでバイクに乗られているといった連中を見返せると思っていたのですが いざとってみると そんなことどうでも良くなっていたんです。

鮫洲というところで取ったのですが 取れたとき試験場の方から 「ここで自動二輪の限定解除を取った方で バイクでの死亡事故は一件も起きてない。貴女も見本となるよう 安全に心がけで運転してください。」といわれたのですが その言葉を聞きながら あっナナハンに乗れるって特別だったんだと その時改めで思い そしてここまで頑張った道のりを思い出して バイクって気持ちを発散させる乗り物ではなく もっと深い乗り物だと感じてました。 そして危険な乗り物だと・・・

貴女は本当に負けず嫌いだと友達には言われます。
そして、一度決めたら諦めない往生際の悪い性格でもありますが 世の中無駄な努力なんてものはないという考えです。

一生には限りがある だから一生のうちから見たら些細なことに関わる時間など もったいないという方もおえられますが わたしはそうは思いません。
そういうのは、責任とか逃げているだけと考えます

限りのある一生だからこそ その時その時のわたしが納得できる形にしていく努力はすべきだと思うわけです。

今私は、バイクには乗ってません。

たぶん わたしがまた乗っているとそのうち死にます。

独りで死ぬなら良いですが 他人を巻き込みたくないので 900忍者から降りました。

バイクを扱うのに体力などは、特に必要ないと思いつつも 風を切って走るのに体力は必要ですからね。

私は、長距離を走るうえで そこに自信が持てなくなってきました。

そう感じたとき 降りたわけです。

良い思い出はたくさん詰まってますがね。

遅刻すると焦る娘を後ろに乗せて USAヨシムラの集合管を轟かせで中学校の校門前に着けたら 先生方に囲まれたとか (笑)

降りてメットを取って「いつも娘がお世話になっております」と頭を下げる私。

じゃっとソソクサ降りて 小走りに構内に消えていく娘

唖然とする先生方・・・遅れて 「あっどうも」って感じで「お母様でしたか・・・」

「お母様 オートバイは、ちょっと・・・・」と困る先生たち

「次からは車で」・・・「ハイハイ」

で次にこういう事態になったときは、AZ-1で校門横付け 上をいく爆音と 目立つガルウィング(爆)

またアンタかという顔で驚く先生たち

わたし的には、忍者の方が良かった気がしました。ヽ(´~`;ウーン





Posted at 2014/09/17 08:08:45 | コメント(3) | トラックバック(0) | 回想 | 日記

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「清津峡にて・・・冬の上越なのに雪が少ない(^◇^;)」
何シテル?   01/12 12:47
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