20130113 大堀山城(大堀山館)①
投稿日 : 2013年01月30日
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埼玉県川越市下広谷にある大堀山城です。
~現地案内板より~
大堀山館跡は今から約五百年くらい前の戦国時代に築かれた城跡です。
一辺約二百メートル、三重の堀と土塁で囲まれた方形を呈しこの種類の城跡としては埼玉県内で最大級の規模と良好な保存状態を誇ります。
関東の覇権をめぐり争われた戦国時代、交通の要所を押さえることは軍事的、経済的に見て重要な戦略のひとつでした。大堀館跡の周辺を見るとすぐ東には中世の北関東と南関東を結ぶ主要ルートの鎌倉街道が通っていました。またすぐ西を通る県道は扇谷上杉氏の川越城と鉢形城、山内上杉氏の五十子陣をつなぐ当時のルートと重なります。
つまり大堀山館跡は戦国時代の関東における主要なふたつのルートの交わる重要な拠点を押さえるという役割を担って築かれた城であったと推定されます。
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GoogleMapで見てみるとこんな感じ。
「大堀山」とは言っても「山」ではなく平地です。
中央の神明社があるのが本郭で、雑木林の中に遺構があります。
西から北に貫いているのは圏央道です。
今回行ったのは大堀山城のみですが、周囲200mの範囲には同様な城館跡が他に2つあり、半径1kmの範囲にはさらに4つも城館跡があるそうです。
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藪の中に現れる空堀。
南側から入って来ました。
三重の堀のうち一番外側の堀は、湮滅したのか元々無いのかは不明ですが南側にはありません。
これは三重の堀の真ん中の堀で、この二重目の堀が一番しっかり残っています。
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地図に載っている「神明社」がこちらです。
地図だとここへの道はまるで車が入れそうに見えますが、とんでもありません(笑
本郭の東側にあたるのですが、雑木と竹の藪の中に獣道のような道があるだけ。
社の周囲は綺麗に掃除されているので、熱心にお参りに来る方は居るようです。
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社のすぐ裏が一重目の堀跡。
かなり埋まってせいぜい数十cmほどの深さしかありません。
この大堀山城は、確かな文献も伝承も残っておらず、誰が何のために造ったものなのか全く不明な城です。
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二重目の堀の東側です。
二重目の堀は、雨の後などは水が溜まるようなので、堀の中に木や竹も生えていなくてかなり明瞭に分かります。
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一番外側になる三重目の堀はこんな感じです。
知らずに見たら唯の竹林の中の道。
実際、そういう使われ方をしているんだと思いますけど。
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本郭の内部にドーンと盛り上がった土盛があります。
樹間に見えた時は「土塁」かと思いましたが、土塁にしては妙な感じ・・・
郭の周囲に残る土塁よりも高く、幅もやたらと広い。
GoogleMapでもここだけ木が疎らで、第一、案内板の縄張り図に無いし。
残土が置かれているだけのようです。
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