
こちらは「三笠」のアンカー(碇)です。

それでは艦内にあがってみましょう。
艦首から艦橋を見るとこのような感じになります。
艦橋が意外なほど小さく、そして巨大な30.5サンチ40口径主砲塔が目を引きます。
この主砲塔は同じものが艦後部にもあって合計4門の主砲を装備しています。
日本海海戦時には三笠は主に徹甲榴弾と鍛鋼榴弾を用いていて、火薬には下瀬火薬(ピクリン酸)、砲弾の信管には伊集院信管を用いてました。
下瀬火薬は猛烈な発熱効果があり、敏感な伊集院信管とセットで使われていました。
そのため砲弾がどこに命中しても大爆発と猛烈な発熱により撃沈効果よりも敵艦の構造物を損傷させ行動不能にすることを狙っています。
日本海海戦の砲撃戦で勝敗を分けた一因とされています。

こちらは前部司令塔です。
10~14インチの装甲で囲ってあり、露天のデッキ(東郷司令官はそこで指揮をしていました)が破壊されても後部司令塔やこの司令塔が機能を果たすようになっています。

前部司令塔の操舵輪です。
艦橋の操舵輪以外にもこれで操舵が可能です。

こちらは艦橋です。
この艦橋は木造で
コンパスと操舵輪が設置されており、後部には海図室が設置されています。

オープンデッキから艦首を望むとこのような感じになります。
ここで東郷司令長官は指揮をとっていました。

オープンデッキに設置されたコンパスと伝令管。
オープンデッキは見晴らしが良いので指揮には最適ですが敵の砲弾が飛び交い爆風に晒されるため大変危険です。

こちらは60サンチ信号探照灯です。
発光信号や野戦時の探照に使われます。

三笠のマストです。
実に高さは50メートルほどもある大変高いものです。
ここに無線用のアンテナなどが貼られていました。
日露戦争では世界で初めて無線が大規模に使われた戦争でさらに位置測定、通信妨害など電子戦まで行われていました。
戦艦三笠には高性能といわれた三六式無線機が搭載されていましたが実に艦隊の主力艦だけでなく小型艦艇にまでこの無線機が搭載され、しかも通信中継艦まで使ってと海底ケーブルや電話線で司令部と監視所をつなぐなど早期警戒システムも構築されていました。
この警戒システムの有無で日本海海戦の勝敗はほぼ決定したと言われています。
マストに掲げられたZ旗が目を引きます。
Z旗は国際信号旗の1つでアルファベットの「Z」を示す他、「本船は牽引を欲す」という意味ですが、日本海海戦では東郷司令官が「皇国の興廃此の一戦に在り、各員一層奮励努力せよ」という意味で士気高揚のためにこれを掲揚したことはあまりにも有名です。

三笠のベンチレータ(通風筒)とファンネル(煙突)です。
三笠は主缶(ボイラ)と主機によって構成されていて主缶はベルヴィール式ボイラが25基あってここで石炭の燃焼により高圧蒸気をつくり、直立三気筒三段膨張式レシプロ蒸気機関に送りスクリュを駆動するシステムでした。
戦艦三笠は最大速力は18ノット、燃料として石炭を1500トン搭載でき、航続距離は推定で7000海里(10ノット航行)とされています。

8サンチ40口径単装砲の砲尾から猿島を見るとこのように見えます。
猿島へは三笠公園横に定期船が出ています。
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ミリタリー旅行記 | 日記
Posted at
2008/10/13 13:53:55