昨日は愛知の三河地方をドライブにいったのですが、幸田町経由でここにいってきました。
幡豆にある三ヶ根山です。
三ヶ根山スカイラインで知られているあそこですね。
三ヶ根山スカイラインをのぼっていくとこんな感じです。
三河湾が一望できます。
とても美しい風景ですね。
三ヶ根山といえば三ヶ根観音です。
実はここには数多くの慰霊碑がおかれています。
日本は昭和20年の終戦までに中国大陸で、アリューシャンで、太平洋で、南方で、そして日本で数多くの方々が散られています。
その政治的な是非はともかく、個人ではどうしようもない状況におかれていて、日本を守るために多くの方々が亡くなられています。
その方々のあまりにも大きな犠牲の上に今の日本があることを忘れてはいけません。
北支兵站自動車第三五中隊従軍記念碑。
第一〇四号輸送艦慰霊碑。
独立歩兵第二十一大隊慰霊碑。
※記念碑・慰霊碑は数十もあるため、とても全てを紹介できません。
代表として3つを紹介させていただきました。
無数に並ぶ慰霊碑・記念碑を見ていくと、あの戦争ではこんなにも数多くの方々が亡くなられたのだと感じます。
零戦の発動機。
豊橋沖で漁船にひきあげられたものがここに奉納されています。
隣に鉄帽がありますが、零戦とは別で、戦没者の方の遺品でしょうか。
こちらが比島観音です。
フィリッピン戦線での戦没者の鉄帽を鋳込んで建立されたそうですが、戦没者の方々がどれだけいたか、本当に驚かされます。
比島決戦では陸軍369029柱、海軍107747柱、邦人19838柱、計496513柱の方々が英霊になられています。
50万といえばひとつの大都市に匹敵します。
そこにいる方々が全て亡くなる・・・・
どれだけ壮絶な戦場だったのかとても想像できません。
石碑には比島観音の由来がこうつづられています。
「この比島観音は太平洋戦争においてフィリピン方面全域の戦没者50余万人の戦友と同胞の御霊ご供養と永遠の平和を祈念して全国の遺族戦友6千余名の浄財により昭和47年4月2日ここ山ケ根観音境内に建立す」
60数年前、日本を守るために命をかけて戦い、日本から遠くはなれた場所で数多くの方々が亡くなられています。
観音様が建てられている場所は三河湾が一望できるとても美しい場所ですが、亡くなられた兵士の望まれた平和で美しい日本をいつまでも守っていかなければなりませんね。
戦没者の方々の関係者が高齢化していく中で、私たちの世代が次の世代に伝えていかなかなければなりません。
そして何より新しい慰霊碑を将来つくるような悲劇をおこさない努力を私たちがしていかなければならないなと感じました。
Posted at 2010/03/28 23:51:40 | |
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