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イイね!
2009年06月06日

依佐美送信所跡にいってきました

昨日のしとしと降り続いた雨もあがって良い天気!
ということでドライブがてらにここにいってきました。


愛知県刈谷市にある依佐美送信所記念館。
(写真がいがんでるとかってゆーな!w)


ここはかって依佐美送信所と巨大な空中線がありました。
終戦前までは欧州等に向けた短波・長波の送信施設として、戦後は米海軍の長波送信施設として長く重要な役割を果たしてきていました。


では今は記念館になっていますので中を見ていきましょう。

これが依佐美送信所のシンボルともいえる鉄塔の一部です。
長さは25米ですが、これは解体された鉄塔が展示保管用に残されたものです。
基部と塔頂部を接合させています。
解体前はこの鉄塔の高さは実に250米といいますからこの10倍もの長さだったわけです。
紅白に塗られていますが、これは戦後に航空機の障害物としてわかりやすくするために塗られたものです。
それまでは黒っぽい色だったとか。


依佐美送信所のダイオラマです。
紅白のポールのようなものが鉄塔で、これ1本が高さ250米もあり、実に8本の鉄塔が設置されていました。
写真ではわかりづらいですが、この鉄塔の塔頂部にはワイヤーのようなものが張られています。
これが空中線で超長波のアンテナになっています。
鉄塔は空中線を貼るためのものだったわけですね。


記念館の前景です。
送信所があった当時に似たレイアウトとなっています。
右側にみえる部屋は制御室です。
手前にあるのは主誘導電動機と主直流発電機、その奥は主直流電動機と高周波発電機。
その奥は高周波塞流線輪、高周波コイルとなっています。
発電所の中身かと思ってしまうほど中には巨大な電気設備が設置されています。


主誘導電動機と主直流発電機です。
外部の発電所から送られてくる交流電流をこの2つの電動機と発電機で直流電流に変換させます。
さらにこの電流で主直流電動機に送られ、高周波発電機を動かします。
ここで5.814kHzの超長波と500KWの大電力を作り出します。


高周波コイルです。
5.814kHzの超長波を周波数変更機で3倍の17.422kHzに変換してアンテナに送信します。
写真のコイルは最適な周波数を得るために調整するための設備です。




・・・書いていてなんですが電気や周波数のことはさっぱりわかりません(^^;
いつもと違っていかにもパンフに書いてありそうな文章なのはそういう理由だったりします。
(でも著作権のからみもあるので、いちおー参考程度にとどめてはいますけどね)



ここが米海軍の施設だったんだなとわかる象徴的なものがこれです。
米海軍のプレートですね。

依佐美送信所は欧州に向けて日本独自の通信手段を確保するために昭和2年に建設が始まり、昭和4年から運用されました。
それまでの日本の欧州への通信手段は欧米の所有する海底ケーブルに頼るほかありませんでした。

そこでつくられたのがこの依佐美送信所です。

大正14年に日本無線電信(後の電気興業)という国策会社がつくって管理を行い、逓信省(後の郵政省や電電公社となる通信を監督する省庁)が運用を行うことになりました。

長波の送信には大規模な設備が必要(らしい。よくしらんけど)ということでこのような巨大な送信施設になりましたが、竣工当時には既に大規模な設備が不要(みたいよ?よくしらんけど)な短波の技術が発達していました。

そこでこの通信所では維持運用コストを低く抑えるために主に短波の送信所としての役割を負っていました。
長波のほうはどちらかといえば短波を補完する役割だったようです。

が、長波の特徴として水中でも電波がある程度届くため、潜水艦への通信手段として注目を浴びました。
長波設備は大日本帝国海軍が運用を行っています。
昭和16年12月の日米戦争開戦となるハワイ作戦ではこの依佐美送信所からニイタカヤマノボレの暗号が送信されたといわれています。

終戦後占領軍に接収され、短波送信設備は撤去されましたが長波の送信設備に目をつけた米海軍が昭和27年から平成5年まで潜水艦用の通信手段として利用をしています。
設備は電気興業が受け継ぎ、運用は在日米海軍が行っていました。
平成6年に日本に返還され、解体となりました。


鉄塔の基部です。
この鉄塔は解体された鉄塔のうち1本のみを記念鉄塔として展示保管したもので、当時と同じ場所に立てられています。
250米にもなる鉄塔なので基部は非常に巨大と思いきや、実は細くなっています。
鉄塔そのものはこの基部で支えるのではなくワイヤーで支えています。
もしこの基部で支えようとしたらとんでもなく巨大になる上に風や地震にも弱かったでしょうね。


その基部の台座です。
球状になってるのは風などで鉄塔が揺られたときに荷重を一点でうけることで下の台座に荷重を均等に分散させるためとされています。
昭和19年12月の東南海地震(マグニチュード7.9で志摩半島沖を震央。この周辺の広い範囲で震度5だったようです)、昭和20年1月の三河地震(マグニチュード6.8の直下型で、隣の西尾市で震度6~7)、昭和34年の伊勢湾台風(名古屋で瞬間風速47.5米)など
この地域は何度も自然災害に襲われています。
しかしそれらにすべて耐えているのは驚くべきことですね。



こちらは塔頂部です。
250米にもなる高さの鉄塔ですので飛行機の障害になります。
そこで航空障害灯が設置されています。
子供の頃遠くから見た鉄塔はこの航空障害灯が赤く光っていました。

で、愛知に住んでるのになんで今更ここなんだって?
実は”やっちまい”ました。
というのもこの送信所記念館周辺はいわば地元圏内といってもいいぐらいなのですが、子供の頃からずっとあったので米海軍の施設だということはもちろん知っていたのですが、かなり遠くからも鉄塔が見えましたからもはや風景のひとつになってました。
あまりにフツーにあったので1回もまじまじと見たことが無かったんです。
学生時代に地元を離れたときに鉄塔を解体したということも聞いてたのですが、そのあと記念館になってたなんて知りませんでした。
なんという不覚orz

ブログ一覧 | ミリタリー関係 | 日記
Posted at 2009/06/06 23:21:08

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この記事へのコメント

2009年6月7日 3:02
>子供の頃からずっとあったので

京都市民の京都タワーみたいなもんですね。


長波と短波のメカの大きさ(例:センチ波とメートル波)、これだけ違います!

長波
http://www.wingsontheweb.com/vhangar/he219/he219p01.jpg

短波
http://www.fortunecity.com/greenfield/drongo/72/68a.jpg 

わかりづらいのでプラモ↓
http://www.sstoys.co.uk/ekmps/shops/sstoys/images/ha2302.jpg


なるほど、これが「よさみん」ですか・・・(爆
コメントへの返答
2009年6月7日 12:59
京都タワー・・・う~ん・・・(^^;
どちらかといえばエントツやラジオ局の巨大なアンテナに近い感覚かもしれません。
本当は異様な光景なんですが、マッチしててそれが普通になってるといいますか。
家からは見えませんでしたが、生活圏内でしたからちょくちょく見てましたね。
というより気にもしてなかったというのが正解なところかも。

>これだけ違います!
う~ん・・・確かに設置している飛行機やアンテナは長波のほうが巨大ですからそれぐらいの設備が必要なんだということはなんとなくわかりました^^

「よさみん」は若干萌えを入れてみましたw
2009年6月7日 3:26
実に興味深い施設じゃないか!

こんど連れてってね♪
コメントへの返答
2009年6月7日 12:49
行きます?
それほど遠くは無いですし駐車場もありますので立地条件はいいですよ~
帰りは生ドラ焼きでも買いましょうw
2009年6月7日 5:45
ここは米海軍にとっては重要な通信施設でしたからね。

しかし、周発数が17.422Khzですか?

流石にそこまで周発数が長いと海中まで届きますね。
コメントへの返答
2009年6月7日 12:53
太平洋艦隊の潜水艦には欠かせないものなのでしょうね。
米軍にとっては終戦後にそのまま使えたわけですからオイシイ施設だったんでしょうね。

パンフには12.422kHzとありました。
さすがに潜水艦用です。
こんなのを昭和4年から運用してたわけですから凄いと思います。
2009年6月7日 18:52
私は全く電波はわかりませんが・・・

その当時連合艦隊旗艦山本連合艦隊総司令長官座乗艦戦艦長門発ニイタカヤマノボレ・・・をその送信所経由し更に経由たのが我が長崎県の県北 ハウステンボスの直ぐ近くの旧針尾島無線送信所でした鉄筋コンクリートの異様に長い3本の鉄塔が未だにそびえ立ってます。

私の住んでいる諫早にも10年前まで現役を果たした その当時 軍の通信を担った諫早 メシロの無線局はいまは跡形もなくありません。
考えさせられますね。
コメントへの返答
2009年6月7日 19:11
ニイタカヤマノボレの送信は結構諸説あるようで針尾送信所と船橋送信所という説があるようです。
どういう経路だったのか、それぞれどのような役割だったのは興味深いですね。
ハワイ作戦には航空艦隊のほかにも多数の潜水艦が参加してますし、直後に行われたフィリッピン航空攻撃作戦もありますからさまざまな役割がそれぞれの送信所にあったんでしょうね。

針尾送信所は海上保安庁が使ってたんでしたっけ?
見てみたいです。

無線局なくなってしまいましたか。
イデオロギー的あるいは予算的なことがあるにせよ、後世に伝えておくべき資料的な価値があると思います。
できるだけ残しておくべきだとは思いますね。
2009年6月8日 18:19
刈谷にそんな施設があったんですね@@;
このまま残していって欲しいですね。
貴重な資料ですから。
コメントへの返答
2009年6月8日 23:47
私も知りませんでした。
鉄塔がたってて米軍が使ってるというのは小さいときから聞いてたのですが、まさか記念館になってるとは・・・
日本の外交を支えた功労者として、戦争の資料として、安全保障上の重要な役割のあった証として貴重なものですから永く大切にしていってほしいですね。

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