平成21年7月5日、ついにこの日がやってきました。
故石原裕次郎さんの23回忌法要イベントです。
裕次郎さんは昭和62年7月17日に肝細胞癌で亡くなられてから22年になります。
23年目となる今年は大々的な法要イベントとしてはラストとされていますのでファンにとってはこれが最後の裕次郎さんに合える場といえるでしょう。
23回忌法要はなんと国立競技場を借り切っての法要となりました。
この法要イベントには記念品が用意され、実に5万名にプレゼントがされるという前代未聞の企画がされています。
まさしく裕次郎さんのファンへの気持ちを汲み取っての形ですね。
5万名は抽選で選ばれましたが、応募総数はなんと75万1170通だったそうです。
私は・・・残念ながら外れちゃいました。
外れてしまったので、正直言いますと愛知から国立競技場に行くのはどうしようかと考えなかったわけではありません。
でも記念品が目当てではなく、裕次郎さんに献花しにいくのですから記念品なんて関係ありません(そりゃものすごくほししうらやましいけどね)。
裕次郎さんに会いたい!
よし、決めた!国立競技場に行くぞ!
新幹線を品川駅で降りて代々木経由で千駄ヶ谷へ。
駅の改札を出るとそこには既に大勢の人が見えます。

千駄ヶ谷駅からゲートまでは結構くねくねした道になります。
これは国立競技場の駐車場に駐車してあったテレビ朝日の中継車です。
今日は15:30から特別生放送番組をやりますしね。
ちなみに手前に水色のナニカが見えますが、これは機動隊指揮車のようです(笑)
大型イベントということもあって警備もすごいぜ!

さあゲート前につきました。
”天国からのラストメッセージ「ありがとう」”と書かれているゲートを見たとき、ついにここに来たんだなという実感がわいてきました。
ちなみに私はこのさらに奥にあるゲートから入場をしましたよ。

ゲートをくぐるとまず渡されるのがこのチケットです。
これ何かわかりますか?
実は献花の待機場所のチケットなんです。
何万人もあつまるので献花をするだけでも軽くパニックになってしまいます。
そこで全部で30ある国立競技場のゲートを活用して、30のグループに区切って1グループごとに献花を行うわけです。

入り口ではポカリスエットが無料サービスされます。
裕次郎さんが解離性大動脈瘤の大手術をした後に一番最初に欲したものがポカリスエットといわれています。
そのことが発端となって日本中にポカリスエットの知名度が広がったと言われます。
尚、この日は晴天ではないものの、30度近い気温で長時間献花のための待機があるのでポカリスエットは大変重宝されました。

これが入場のときにもらったものです。
青色の袋はポカリスエットといっしょにもらったもので、スポーツ新聞の裕次郎特集(裕次郎さんしか載ってない!)は無料配布されていました。

では22番ゲートから入場です。
入場して席についたところでまず目に飛び込んできたのがこの光景。
巨大な競技場を埋め尽くす来場者と巨大な”裕次郎寺”です。
その規模の大きさはまさに絶句です。

”裕次郎寺”を前から見るとこんなかんじになっています。
多彩なイベントがおこなわれる国立競技場ですので10日間抑えることが限度だったようで、その間に寺を建立し、また解体する必要があります。
そのため簡易的なものかと思いきや、かなり本格的なもので驚きました。
この”裕次郎寺”は故裕次郎さんの菩提寺である総持寺を再現したもので、実に高さ17.2メートル、幅50メートルという巨大なものです。
パーツはモジュール化され、組み立てやすさと解体やすさはもちろん、風雨に対する耐久性と軽さを考慮されています。
この”裕次郎寺”は外見だけのハリボテというわけでは全く無く、本格的な内装ばかりか、本尊のお釈迦様を総持寺から移動したまさしく”本物の寺”です。
セレモニーでは僧侶120人がフォーメーションを組んで読経をあげていたようです。
残念ながら入場時間が遅くなってしまい、私は見ることが出来ませんでした・・・・

右手側(電光掲示板側)はこうなっています。
実に21番ゲートまで完全に埋め尽くされていますね。

実は既にこの時点でセレモニーは佳境となっていて、石原まき子夫人と渡哲也さんの挨拶のみとなっていました。
渡さんの感極まったかのような言葉に思わず私も感動。
さらにファンの皆さんから裕次郎さんに言葉をとどけてくださいと、「裕ちゃん」と言ってあげてくださいと、何と”裕ちゃん”三唱。
これは思わず私も感極まりましたね。
言葉ではうまく言い表わせませんが、裕次郎さんというあこがれの人を自分と同じ気持ちで愛してる人たちが一成に「裕ちゃん」と声をそろえるわけです。
何万人という人たちが気持ちが合わさったというんでしょうか。
このとき間違いなく私たちの前に裕次郎さんは生きていたわけです。
写真はセレモニーが終って退場されるまき子夫人と渡さんたちです。

セレモニーを演出する重要な役目を負ったコーラス隊です。
東京混声合唱団の総勢300名が3隊にわかれ、100名づつ交替で裕次郎さんの名曲を歌い続けていました。
名曲の数々を聴きほれてしまいますね。

合唱隊を横から。
巨大な撮影用クレーンや指揮台などがある本格的なものとなっています。
セレモニーが終りましたのでこれから献花となります。
国立競技場を埋め尽くしたファンですから献花もうまくしないとパニックになってしまいます。
そこで入場準にゲートを分け、そのゲート順に献花を行っていきます。
私の22番ゲートはかなり後のほうになってしまうようです。

献花に時間がかなりあるので(推定3時間)、その間に会場の探索に出かけましょう。
これは”裕次郎寺”の竹林の基部です。
一本一本丁寧に植木のような形になってたんですね。

こちらはメインゲートです。
裕次郎さんの生前のお姿が描かれた巨大ゲートになっています。
みんさんここで記念撮影をされていました。
ちなみにこのメインゲートの先に柵があって、そこから出ると再入場ができません。

こちらはメインゲートの横にあった石原プロの特殊ブースです。
グッズやCDなどを販売しています。
献花を終えた後にここのブースに入れるようになります。

こちらは記念品をうけとるブースです。
人がまばらなのは、まだ献花が始まったばかりで献花を終えたばかりの人が少なかったからです。
1時間後に再び見てみたらものすごく混雑してました。
さすがにいくら国立競技場が広いとはいえ、1時間もあれば全部見れちゃいます。
献花まではかなり時間があります。
さすがにヒマですね。
隣にいた70歳ぐらいの男性の方と60代後半ぐらいの女性の方と裕次郎さんについて語ってました。
「裕ちゃんは青春時代だったんだよ」「やっぱりいいわね~」とお話されてました。
お二人ともハガキは当ったようで・・・うらやましかったです(^^;
「私は浦安だけど、貴方はどこからきたの?」「大宮です」「貴方(私ね)は?」
「あ、愛知です。新幹線で・・・」
「あらすごい!記念品はないのによくいらっしゃったわ。根性ありますわね」
「い・・・いえ・・・・(照れっ//▽//)」
なんて会話してました(笑)。
銀幕裕次郎世代の方にとって、私のような30代のテレビ裕次郎世代は珍しく映ったのかもしれませんね。
年齢どころか世代が全く違う者同士が裕次郎さんについて語り合えるってどんなにすばらしいことでしょう。
さて曇っていたとはいえ、気温は27度ぐらいまで上がってきています。
さすがにかなり疲労してきました。
でも暑いのは当たり前、だってこれから太陽に会いに行くんだぜ。
とりあえずジュースと売ってたホットドックで補給をしました。
献花の列は途切れることなく、まだまだ時間がかかりそうです。
そのときキャ~という黄色い(でもちょっと年齢層高そうな)歓声が。
!!

何と舘ひろしさん、神田正輝さんたちがいらっしゃるじゃないですか!
思わず私もキャーキャーいってしまいました(笑)
30すぎたおっさんが「たちさ~ん!」と声援上げてるんですから客観的に見たらさぞ不気味でしょう(笑)
挨拶をされていました。
ちょっと遠かったのと人が多すぎてよく見えませんでしたが、舘ひろしさん、神田正輝さん、徳重聡さん、木村昇さん、宮下裕治さん、池田努さん、金児憲史さんかな?

石原まき子夫人です。
観客席からは「お疲れ様!」という声援が飛んでいました。
主催者としてご挨拶など大変多忙だったと思いますが、お疲れ様でした。
観客席へのお心遣いがある大変お優しい方だと感じました。

渡哲也さんです。
献花をされたファンの方々にお礼を言ったり、挨拶をされていました。
もう言葉にならないほど感激しましたね。
渡さんのお姿を見られただけで、これだけで愛知から来たかいがありました。
しかもわずかに10メートルぐらいの近い距離でですよ!

舘ひろしさんです。
やはりダンディです。
会場のみなさんに挨拶をされていきました。

神田正輝さんです。
何故手を合わせてるのでしょう・・・・(笑)

徳重クンです。
やっぱりかっこいいですね。
私と同い年なのに何故ここまでちがうのか・・・(号泣)

渡さんが新人二人と一緒に会場にご挨拶です。
こちらにも手をふってくれた~!!!

小林専務です。
コマサさんも大変人気で、「せんむ~!」という声援が飛んでいました。
日本で一番有名な専務は石原プロを支える欠かせない人です。
と、石原プロの皆さんによる夢のようなひと時がありました。
私は22番ゲートだったので献花までは長い時間開いてしまうのですが、待ってるファンにも楽しんでもらえるようにこのような挨拶をされるのは石原プロのお心遣いですね。
本当にここまできてよかった!

さて献花として22番ゲートが誘導されます。
学校や会社の避難訓練といえばイメージしやすいと思います。
時間は確か14:30頃だと思いますが、入場が9半時頃だったのでここまで5時間ぐらいになるでしょうか(^^;

列は一度国立競技場の建物がら出て、敷地内を移動して入場ゲートに向かいます。
この人の列を見れば献花に何時間もかかるのが納得できると思います。

いよいよゲートに入りました。
ゲートから見る”裕次郎寺”はこんな感じに見えます。
ものすごく巨大ですね。
私がいた22番ゲート席はこの”裕次郎寺”の後ろにあたるので、写真でも22番ゲート席とその周辺ゲート席はガラガラなのがわかります。
献花ですが、3色のカーネーションが用意されました。
私は裕次郎さんには白色が似合うと思ったので白色を選びました。
”裕次郎寺”本堂にある裕次郎さんの笑顔の写真を見ると、ああ22年もたったんだなと思いましたね。
ちなみに献花が終った時間は15時でした。
入場から5時間半ぐらいでしょうか。
満足感でいっぱいです。

1番ゲート席側を見ると既に席が完全に埋まっています。
もちろん1番ゲートからほとんどのゲート席のファンが献花を終えたか今まさに向かうところなので、この埋まっているゲート席は新しく入場してきた方々だというのがわかります。
この日は11万7000人弱のファンが集まったそうですが、国立競技場の収容人数は5万人ちょいですから実に2倍以上になります。
このうち記念品がもらえるのは5万人だけですから記念品目的だけでなく、心から裕次郎さんに会いたい、献花したいという人が大勢集まったわけです。
これは感動しますよ。
上空には報道のヘリコプターが飛びまわり、その規模の大きさを改めて感じました。
裕次郎さんの法要といえば葬儀や13回忌などをはじめ、四十九日以外は全て雨が降っています。
そのため天気キャスターの森田正光氏が「裕次郎雨」と名づけていますが、この23回忌では雨が降りませんでした。
愛知では夜の9時頃振り出しましたが国立競技場で献花が終るまで雨は持ったのかな?
以上、裕次郎さんの23回忌法要でした。