2009年09月16日
「無駄遣い」と「脱官僚」についてふと思ったこと
新政権は今までの政権とは大きくやることを変えるわけですが、人間に例えれば、学校を卒業したばかりの新社会人が新しい生活をするようなものです。
まずはどんな仕事をしたいかとか、どういう仕事につくか、またはどんな勉強をしたいかを考えるべきなのに、それが決まっていないうちから新生活ではティッシュペーパーの無駄遣いはもったいないからやめようとか、スーパーの火曜特売を利用しようなんて言う人はいませんよね?
それと同じで、まずはどのような国家をつくり、どのような外交安全保障をやっていくかを考え、行政の骨格を組み立てていくのが最優先のはずです。
その具体性が見えてこない(二転三転した閣僚人事や方向性が定まっていない国家戦略室をおくことと事務次官会議をやめたぐらいですよね)うちから「無駄遣いをやめよう」「天下り防止」という優先順位としては疑問なところばかり言ってるものですから不安で仕方ありません。
(あ、安全保障では米軍の核は持ち込ませないことと給油支援活動はやめること、外交では友愛と中国重視ってはっきりいってましたっけ。そんなとこばかり具体的なんだからな・・・)
ところで”普通の国”では政治家が官僚をコントロールして行政をやっていますが、日本は官僚が行政を事実上コントロールしていると言われています。
法律案も政治家ではなく、役所が作るのがほぼ常識になっています。
その是非はともかくとして、現実問題として戦後60数年間それでやってきて、世界有数の経済大国にまで成長してるわけです。
脱官僚・政治家によるコントロールはやらなければならない重要課題ではありますが、国家運営の経験がない新政権ですから不安要素はかなりありますし、そんな初めて政権で国家運営をすんなりできるかどうかも疑問です。
個人的にはまず「脱官僚」ありきではなく、国家運営の経験がないのですから、まずは官僚主導の行政からはいっていき、行政の体裁を整えた上で徐々に「主官僚従・政治家」から「主政治家・従官僚」に変わっていくのも手じゃないかなと思います。
ぶっちゃけ政治家だろうが官僚だろうが、大切なのは「誰」がやるのではなく、「どんな内容」の国家運営かが重要なんじゃないかと思います。
ただし、そうはいっても今までどおりの官僚主導では有権者の意思はどうなってしまうのだという民主主義を蔑ろにしてしまうジレンマもありますが・・・
「とりあえずやってみればいいじゃない」「できなかったらしょうがない」「ちょっとまってもらいたい」は小学校のクラス会ならいいかもしれませんが、1億2千万人の生命財産がかかってる国家運営ですから、それはあり得ません。
政権が変わることで利権構造が変化したりチェック体制や今までとは通用しないなど一部期待するところはあります。
が、バリバリ洗脳教師集団が教育に積極的に介入したり、在日外国人参政権の付与など国家の基幹が根本からかわってきそうなものまで手を出すといってます。
期待以上に不安がてんこもりなのは事実。
マジでしっかりやってくれよ、新政権!
まぁ・・・・仮に国がボロボロになって取り戻すことが出来ないような状態になったとしてもそれが国民の選んだ代表者によってなされたのならそれが民意ですから仕方ないんですけどね・・・
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Posted at
2009/09/17 00:13:00
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