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アンチコのブログ一覧

2008年12月30日 イイね!

そうだ舞鶴へ行こうその2(12月29日)

タクシーで舞鶴地方総監部に向かいました。
ここには海軍記念館があって見学を申し出ると中に入らせてもらえます。
自衛隊基地に入れるなんてちょっとドキドキです(^^)

海軍記念館には大日本帝国海軍の資料約200点が展示されています。
その中でも特に目にとまったのが第六潜水艇事故の佐久間艇長の資料を読むと目に熱いものを感じました。
不慮の事故で岩国沖に沈底してしまった第六潜水艇ですがまさに艇内の空気がなくなって絶命する直前まで乗組員全員が持ち場につくか復旧作業についていました。
潜水艦の事故といえば死への恐怖から将棋倒しや乱闘になった状態で絶命するまさに地獄絵図となります。
ですがこの第六潜水艇では誰一人そのようなことはせず配置についたまま絶命という状態だったそうです。
佐久間艇長は絶命するその瞬間まで艇内の状態を詳細に手記につづり、また乗組員の家族が困窮することのないよう取り計らってくれるよう遺書を残しています。
この見事な最期は世界中で話題になり、英国では潜水艦乗りの鏡として教本にさえなっているといわれます。
佐久間艇長はこのとき30歳だったとのことですが私とほとんど同い年にもかかわらずここまで自分の仕事に責任感をもって取り組む姿には心から尊敬します。
自分にもっていないものが何なのか少しだけ判ったような気がします。

さて広報の方にお礼を言って次は北吸桟橋(自衛隊桟橋)です。
ここではやはり見学を申し出れば桟橋に立ち入りができます。
目の前の護衛艦やミサイル艇、曳船群に鼻血でそう・・・・
写真も撮り放題で立ち入り禁止区域でなければ何を写してもいいとのこと。
幸せです♪


まずは護衛艦DD-154”あまぎり”(基準排水量3500トン)です。
”はつゆき”型の拡大改良型の”あさぎり”型の4番艦となっています。
前からの艦影が”はつゆき”型と似ているのがお分かりでしょうか。


”あまぎり”の側部。
門松がなんとも日本的でいいですね。


”あまぎり”を後ろから。
特徴的な2本のランテイスマストと巨大なヘリコプター格納庫と甲板がよくわかります。
武装はOTOメララ76ミリ62口径単装速射砲1門、RGM-84ハープーン艦対艦ミサイル発射装置、3連装単魚雷発射装置2基、ASROC発射システム一式、RIM-7シースパロー短距離艦対空ミサイル発射機1式、高性能20ミリ機関砲CIWSが2基、さらにSH-60哨戒ヘリコプターの搭載が可能です。


舞鶴の大型護衛艦2隻です。
左側はヘリコプター搭載護衛艦DDH-141”はるな”(基準排水量4950トン)、右側はミサイル護衛艦DDG-177””あたご”(基準排水量7750トン)です。
どちらも第3護衛隊群の護衛艦ですが、旗艦の”はるな”よりも”あたご”のほうがふた周りほど大きいことがわかります。


”はるな”の艦首から艦橋にかけて。
”はるな”は海上自衛隊初のヘリコプター搭載護衛艦でコンパクトな艦体でありながら大型のHSS-2対潜哨戒ヘリコプター(今はSH-60対潜ヘリコプター)を3機搭載できる世界でも類を見ない水上戦闘艦です。


”はるな”の艦首です。
2門の75式54口径5インチ単装速射砲が設置されています。
この速射砲は米国のMk42速射砲を国内ライセンス生産したものです。
”はるな”の武装はRGM-84ハープーン艦対艦ミサイル発射装置、3連装単魚雷発射装置2基、ASROC発射システム一式、RIM-7シースパロー短距離艦対空ミサイル発射機1式、高性能20ミリ機関砲CIWSが2基、さらにSH-60哨戒ヘリコプター3機の搭載が可能です。


”あたご”と”はるな”を後ろから。
”はるな”は護衛艦でも最もベテラン艦、”あたご”は現在就役している護衛艦では最も新しいタイプの護衛艦です。
艦体やステルス性を考慮したマストなど新旧の対比が面白いですね。
”あたご”はミサイル護衛艦”たちかぜ”の後継でイージスミサイル護衛艦”こんごう”の性能向上型として建造されました。
”こんごう”型に対してSH-60対潜ヘリコプターの運用が可能になったことと速射砲をOTOメララ127ミリ速射砲からMk45-mod4に変更したことがあげられます。


次は護衛艦DD-114”すずなみ”(基準排水量4650トン)と護衛艦DD-126”はまゆき”(基準排水量2950トン)です。


”すずなみ”の艦橋部分です。
”すずなみ”は”たかなみ”型汎用護衛艦の4番艦で従来の護衛艦と違ってシースパロー短SAMとASROC対潜ミサイルを垂直発射機VLSに装填していることが特徴になっています。


”すずなみ”と”はまゆき”を後ろから。
汎用護衛艦最新の”たかなみ”型と現在就役中の中で最もベテランの汎用護衛艦”はつゆき”型の対比が興味深いですね。
排水量は1.5倍の差ですが後ろから見るとそれ以上あるように感じます。


桟橋の対岸を見るとユニバーサル造船舞鶴のバースで数隻の艦艇が修理を受けています。
こちらは補給艦AOE-425”ましゅう”(基準排水量13500トン)です。
修理中ということで艦内には補給用の油脂類がないこともあって喫水線が海面の上まできていることがわかります。
護衛艦隊第1海上補給隊。


同じくユニバーサル造船舞鶴のバースに停泊中のミサイル護衛艦DDG-175”みょうこう”(基準排水量7250トン)です。
現在”こんごう””きりしま”がMD対応改修工事を済ませており、現在はこの”みょうこう”が、来年度は”ちょうかい”が受ける予定になっています。


ユニバーサル造船舞鶴で修理中の護衛艦DE-229”あぶくま”(基準排水量2000トン)。
近海警備用の護衛艦で同型艦が6隻就役しています。
巨大なマストとヘリコプターの運用を想定していない後部甲板が特徴的です。
DEは他の護衛艦と異なり短SAM発射機を装備していません。


ユニバーサル造船舞鶴で艤装中の砕氷艦AGB-5003”しらせ”(予定基準排水量12500トン)。
今年用途廃止になったAGB-5002”しらね”の後継として名前を引き継いでいます。


ミサイル艇PG-824”はやぶさ”(基準排水量200トン)とミサイル艇PG-828”うみたか”(基準排水量200トン)です。
平成11年に発生した北朝鮮の工作船事件を教訓に最高速力と耐弾性の強化と.50口径機関銃の装備が行われました。
両艇とも舞鶴地方隊舞鶴警備隊第2ミサイル艇隊の所属です。


”はやぶさ”の艇首に装備された速射砲です。
OTOメララ76ミリ62口径単装速射砲を1門装備しています。
これは”むらさめ”型や”あさぎり”型と同じ速射砲ですが写真のように砲塔にステルス性を考慮したシールドが設置されています。


”はやぶさ””うみたか”の艦尾に設置された艦対艦ミサイル発射機です。
ミサイルはハープーンではなくSSM-1B 90式艦対艦誘導弾を4基装備しています。


”はやぶさ”と”うみたか”を後ろから。
3本の煙突が目を引きます。
”はやぶさ”型はウオータージェットのガスタービンを3基装備していて最高速力は44ノットを出すことが出来ます。


こちらは油船です。
YO-33”油船33号”(積化重量490トン)とその同型艦”油船25号”型です。


こちらは曳船YT-72”曳船72号”とYT-94”曳船94号”です。
ともに曳船58号の同型船で基準排水量は260トンです。


”曳船72号”を横から。
赤い色のものは消火用の放水砲でしょうか?


”曳船72号”を後ろから。
全長30メートルに満たない小型の船ですが1800馬力の出力を出すことが出来ます。


さて最後は今回の一般公開で公開艦に指定されていた護衛艦DD-124”みねゆき”(基準排水量2950トン)です。


なんと見学のため甲板まであがれてしまいます。
門松が風流ですね。


”みねゆき”のASROC発射機Mk112です。
ASROCとはAnti Submarine ROCketの略でロケット弾に短魚雷を装填して発射するシステムです。
目標潜水艦近くになるとパラシュート降下して着水、目標に向けて突入していく西側の標準的な水上艦艇用対潜装備です。


”みねゆき”の右舷に設置された3連装短魚雷発射機です。
圧縮空気により短魚雷を海中に投射させるものです。


RIM-7シースパロー短距離艦対空ミサイル発射機。
シースパローはF-15やF-4戦闘機に搭載されるスパロー空対空ミサイルの艦載型です。


”みねゆき”の艦橋付近です。
筒状のものはRGM-84ハープーン艦対艦ミサイル発射筒になっています。
特徴的な巨大で太い煙突が目立ちます。
以上、舞鶴基地での一般公開の模様でした。
この後PXで

のお土産をゲットしてきました(京都チーズケーキだけは京都駅で買ったもの)
それにしても海軍カレーで舞鶴と佐世保でどう味が違うのか楽しみです。

舞鶴にいこうその1へ
Posted at 2008/12/30 20:43:30 | コメント(2) | トラックバック(1) | ミリタリー旅行記 | 日記
2008年12月30日 イイね!

そうだ乃木神社に行こう(12月27日)

京都旅行で私がどうしても行きたい場所がありました。
そこはJR奈良線桃山駅から徒歩15分ぐらいの場所にあります。


乃木神社です。
乃木神社とはその名前の通り日露戦争で名高い乃木希典陸軍大将を祀った神社です。


乃木神社内にある忠魂碑です。
陸軍大臣陸軍大将南次郎の名前があります。
南次郎は日露戦争で旅順要塞総攻撃を行っている1904年には日露戦争に出征し大本営参謀となっています。


帝国海軍将兵の慰霊碑です。
主戦場は陸でしたが日露戦争では黄海開戦、旅順港閉塞作戦、日本海海戦のほか数多くの海戦が行われています。


その慰霊碑には錨がモニュメントになっています。
これは装甲巡洋艦”吾妻”(基準排水量9326トン)の主錨です。
”吾妻”は日露戦争直前の1900年に竣工された装甲巡洋艦でフランスに発注されて作られました。
45口径20サンチ砲4門、40口径15サンチ砲を12門ほかを搭載しており、日本海海戦では連合艦隊の第2艦隊(上村彦之丞中将)隷下の第2戦隊に編成されていました。


私がどうしても見たかったもの。
これがそうです。
乃木将軍が指揮を執った大日本帝国陸軍第三軍が旅順要塞攻略戦の際に司令部として使われた柳樹房の民家です。
そのままのものをここに移築しています。


明らかに日本の民家とは違った佇まいですね。
旅順要塞攻略作戦では日本軍第三軍総兵力13万人のうち戦死1万5千400名、戦傷4万4千名というすさまじい損害を出しましたがその中には乃木将軍の2人の息子もいました。


旧乃木邸です。
乃木将軍は元長州藩士で1849年に今の六本木ヒルズがあるあたりに生まれました。
1858年に長府に帰郷しましたがそのときの乃木邸がこれです。


乃木将軍の胸像です。
乃木将軍は明治4年に陸軍少佐に任官、その後西南戦争に歩兵第一四連隊長心得として従軍していますがここで連隊旗を喪失する失態を演じ、生涯苦しんだといわれます。
日清戦争では第1歩兵旅団長として出征、旅順要塞攻略を担当しています。
その後台湾総督府、近衛師団長を歴任していますが日露戦争では旅順要塞を1日で陥落させた功績により第三軍の司令官に抜擢されます。
日清戦争当時とは比較にならないほどの強固に補強された要塞群や機関銃の登場などにより旅順要塞攻略は大激戦となり実に6万人近い大損害を受けています。
その指揮に対しては批判がありましたが難攻不落といわれた旅順要塞を陥落させた司令官というネームバリューはすさまじく、日露合計60万人の兵力がぶつかった奉天会戦ではロシア軍司令官クロパトキンは乃木第三軍がいつ投入されるかを恐れていたといわれます。
旅順要塞攻略戦で大きな損害をだしたことで乃木将軍は大きな批判をうけますが息子2人を攻略戦で失うと同情を受けています。
乃木将軍は大変温厚だったことで知られ、敵だった旅順要塞ロシア軍司令官アナトーリイ・ミハーイロヴィチ・ステッセル中将は降伏調印式での帯刀を認められたことに感激し武士道を高く評価しています。
また乃木が殉死すると香典を送っていもいるようです。


乃木将軍の愛馬璞号です。
旅順要塞陥落の際にステッセル将軍から馬”壽号”が贈られました。
璞号はこの子で璞号と壽号の像は拝殿の前で御霊を護って対峙しています。


乃木神社の拝殿です。
乃木将軍は明治天皇への強い忠誠心でも知られ、明治天皇が崩御され大葬が行われた大正元年9月13日に乃木夫妻は自刀しています。
多くの国民がこの殉死に感銘を受け大正5年にこの乃木神社が作られました。


これはさざれ石です。
国歌”君が代”に登場するさざれ石はこの石のことで、小さな石が炭酸カルシウムなどにより固まり、大きな石になったものをいいます。
君が代の由来になったさざれ石は岐阜県の揖斐川にあるそうです。

以上、乃木神社の見学でした。
このほかに敷地内に資料館があり乃木将軍の遺品が展示されていました。
乃木将軍の作戦の評価や殉死についての評価はさまざまですが、資料的価値も大変高いので機会があれば参拝するのもいいと思います。
Posted at 2008/12/30 10:51:10 | コメント(1) | トラックバック(0) | ミリタリー旅行記 | 日記
2008年12月29日 イイね!

そうだ舞鶴へいこう

3日目。
今日は半日舞鶴です。
朝むっちゃさむかったですが暖かくなっていいかんじ。
朝一番で軽く護衛艦を見てその後赤れんが記念館と舞鶴市政記念館へ。
、、、
年末年始で閉館してました。
その後海軍記念館と自衛隊桟橋へ。
たっぷりゆっくり堪能できました。
来てよかったo(^-^)o
Posted at 2008/12/29 13:13:35 | コメント(1) | トラックバック(0) | ミリタリー旅行記 | モブログ
2008年12月21日 イイね!

軍跡めぐり

ちょっと用事があったので車を2時間ほど飛ばして愛知へ。
その帰りに行ってみたいところがあったのでよってきました。

某スーパーの後ろに公園があります。
そこにあるのは・・・


なにやら記念碑と営門があります。


大日本帝国陸軍騎兵第二六聯隊の記念碑だったんです。
終戦前に日本陸軍には騎兵部隊がいくつかありました。
日露戦争中日本には2個の騎兵旅団があり、ほかに各師団隷下に騎兵聯隊が編成されていました。
日露戦争後露西亜への警戒のため2個騎兵旅団が新たに編成されましたがそれが騎兵第三旅団と騎兵第四旅団です。
このうち豊橋に騎兵第四旅団が設置され、隷下に騎兵第二五聯隊、騎兵第二六聯隊がおかれていました。


営門の横にある歩哨所です。
営門にはおなじみのものですね。
歩兵第18聯隊の営門の歩哨所は豊橋公園におかれてされています。


騎兵第二六聯隊は明治42年の駐屯時代から大東亜戦争終戦までに約17500名の将兵が在籍しており、230回もの戦闘に従事、440名が戦病死されています。
騎兵第二六聯隊は世界史史上最後の騎兵の活躍といわれた老河口作戦に参加して老河口飛行場の占領に成功、有終の美を飾っています。
Posted at 2008/12/22 22:13:10 | コメント(3) | トラックバック(0) | ミリタリー旅行記 | 日記
2008年10月13日 イイね!

横浜・横須賀道中~滞在編~(10月3日)

横須賀からJR横須賀駅経由で桜木町へ。
いよいよ横浜です。
ホテルはこの近くのビジネスホテル(1泊5000円)にとりました。

駅を降りてまず驚いたのはその巨大さ。
こんな高層ビルはほとんどお目にかかることはありません。
ランドマークタワーの想像を絶する高さはまさに大都会ですね。

ホテルは駅からから徒歩15分のはずなのですが、どうも嫌な予感がしたのでタクシーに乗ったところ、徒歩どころかタクシーで15分かかりました。
おい、情報間違ってるぞ!!w
ホテルはいたって普通のビジネスホテル。
ヒマなのでパソコンを借りました。
やることはみんカラの回覧とニコニコ動画。
・・・横浜まで来て何やってるんだ^^;

せっかく横浜に来たので豪勢な食事をと思って中華街に。

酢豚が食べたいな~と思ってると結構どの店も高い。
食べ放題で2300円とか2500円とかありましたが、そんなに食べる気はしないしもったいないので単品でそれなりの店でと思ったのが間違いでした。
春巻きと酢豚とご飯を頼んだのですが、これが正直旨くない。
不味くはないのですがこれなら会社の社員食堂の安っぽい酢豚のほうがいいなぁ。
春巻きもパリパリすぎです。
私はどちらかといえばパリパリの春巻きよりもスーパーのお惣菜で売ってるちょっとしなっとした春巻きのほうが好きだったりします。
合計2800円。
はぁ、これなら食べ放題にいけばよかった。

ホテルにもどって有料の教養番組(爆)を見て次の日に備えました。
あ~疲れた!
Posted at 2008/10/14 22:19:42 | コメント(3) | トラックバック(0) | ミリタリー旅行記 | 日記

プロフィール

「commもそうですが、「LINE 個人情報」「LINE 危険性」でぐぐって、それでもokと判断できるなら使ってもいいかも。私はちょ~っと躊躇して未だに使ってませんけど。」
何シテル?   04/11 00:38
こんにちは。 アンチコと申します。 車はレガシィTWに乗ってます。 やっぱトランスフォーマーG1といえば「ロボット殺虫剤だって?」のあの人だよね~ ...
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