さて10時前に新横浜につきました。
さすが弾丸列車は早い!
横須賀へは新横浜から横浜駅までいってそこから京急本線で25分ぐらいです。
ただし京急線は横須賀駅ではなく横須賀中央という駅でこっちのほうが横須賀市の中心部に近い駅になってます。
さあつきました。
まずはなんといっても横須賀の顔、三笠公園でしょう。
地図を見て・・・・
さっぱりわからない(私は極度の方向音痴)のでタクシーつかっちゃいましょう。
下手に長距離歩いて足の激痛を招くのもなんですし。
三笠公園で降りて出迎えてくれたのはにゃんこ。
・・・・かわええ(//▽//)
私は動物は大嫌いなのですがにゃんことハムスターだけは別、う~んこのままつれて帰りたいぞw
さあ三笠の見学です。
とその前にトイレとみやげ物屋で海軍カレーをゲット。
お約束ですね。
では三笠をじ~っくりご覧ください。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
三笠公園を入るとまず東郷平八郎像と戦艦三笠がその勇姿を見せ付けてくれます。

三笠といえば東郷平八郎、東郷平八郎といえば三笠というぐらいですものね。
日露戦争でバルチック艦隊を壊滅させた連合艦隊の旗艦、戦艦「三笠」と連合艦隊司令長官東郷平八郎はまさに日本海軍のシンボルです。
※NHKの21世紀大河ドラマ「坂の上の雲」では渡哲也さんが東郷平八郎役をされるとのことですのでチェックしましょう。

ではその三笠を見て行きましょう。
まず三笠を眺めると非常に美しい艦影に心を奪われます。
戦艦三笠は大日本帝国海軍が目指していた六六艦隊構想(艦隊主力は戦艦と巡洋艦が6隻づつ)の一環として明治30年計画艦として発注した戦艦(三笠、朝日、初瀬)のうちの一艦で戦艦「敷島」改型として明治35年に竣工されました。
当時まだ日本は大規模な戦艦を作る設備や技術がなかったため当時日英同盟を締結していた英国に建造を依頼、ビッカース社で建造が進められました。
写真からも判りますが思ったより小さく、常備排水量は15410トンとなっています。
海上自衛隊のヘリコプター護衛艦「ひゅうが」の基準排水量が13500トンなので意外に小さく感じますが戦艦三笠は当時世界最大の戦艦でした。

三笠の前には貴重な展示物があります。
まずこれは戦艦「大和」(基準排水量64000トン)の46サンチ主砲弾(九一式徹甲弾)です。
実に砲弾長は2メートル、重さ1.5トンというすさまじいものとなっています。

こちらは1848年製30ポンド砲です。
ロシアの軍艦「ディアナ」が下田に停泊中、安政の大地震で被災し破損した備砲ではないかといわれています。

こちらは戦艦「鎮遠」の30.5サンチ砲弾です。
「鎮遠」(基準排水量7220トン)は元清国の甲鉄砲艦で日清戦争では日本帝国海軍の大きな脅威でした。
黄海海戦で帝国海軍と清国海軍は猛烈な砲撃戦を行い、200発もの命中弾をあびながらも戦艦「松島」などに損害を与えましたが黄海海戦後に威海衛で捕獲され日清戦争後は戦利品として帝国海軍に編入されました。
日露戦争では日本海大海戦時に第3艦隊第5戦隊にて装甲海防艦として参加しています。

こちらは帝国海軍が使用していた機雷です。
当時旅順にはロシア太平洋艦隊(旅順艦隊)の拠点で日本の制海権にとって猛烈な脅威となっていました。
そこで帝国海軍は旅順港に廃船を沈めて身動きを取れなくさせる旅順港閉塞作戦を実施しましたが失敗、このとき並行で旅順の海域に機雷の敷設を行いました。
旅順艦隊司令のマカロフの乗った戦艦ペトロパウロフスクを撃沈するという快挙を挙げています。
旅順攻略は地上からは乃木将軍の第3軍が旅順要塞を陥落させ旅順港を砲撃し旅順艦隊は壊滅しました。

では三笠を見て行きましょう。
これは8サンチ(7.6サンチ)40口径単装砲です。
三笠にはこれが20門設置されています。
記念艦三笠その2へ/
記念艦三笠その3へ
Posted at 2008/10/13 13:54:55 | |
トラックバック(0) |
ミリタリー旅行記 | 日記