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アンチコのブログ一覧

2009年12月06日 イイね!

カレンダーゲットだぜ

カレンダーゲットだぜ今日の装備品展示inざざシティ浜松で、記念品のプレゼントがありました。
そこでカレンダーをゲット(^^)
これで今年はカレンダーを買わなくてもOKです。
自衛隊が配布しているこの手のカレンダーの写真って、何気にすごく良い写真なんですよね。
結構見とれちゃいます。
Posted at 2009/12/06 22:42:29 | コメント(4) | トラックバック(0) | ミリタリー関係 | 日記
2009年08月22日 イイね!

ここはパラダイスですか?いいえ、ケフィアです。

お盆休みが終わり、ユーウツな日々ですが、たまには気分を換えて部屋の掃除を・・・
と、そんなとき机の後ろからJウイ○グの付録(2003年9月号)の「全国保存機・展示機一覧完全ガイド」なるものが出てきました。
実は1回も読んでなかったりします(^^;
で、改めて読んでみると・・・・
幸田町立郷土資料館にF-86たKM-2、H-13ヘリコプターが展示されてる?
むっちゃ地元やん!
ていうか地元なのにこんな施設があったなんて知らなかった・・・・



ということで早速行ってきました。
看板が出てないのでカーナビがないときついです・・・・

いきなり出迎えてくれたのが・・・


!?
なんですかこれは・・・・
草ぼーぼーのところにぽつんとKM-2練習機が1機。
かなり異様な光景です。


近づいてみてみました。
風防は完全にくもっていますし、シールドも割れてます。
状態は極めて悪いですね。


KM-2練習機は富士重工がT-34メンター練習機をベースにして開発した練習機です。
海上自衛隊に採用され、小月基地の第201航空隊にて初等教育を行っていました。
航空自衛隊の練習機がタンデム複座なのに対して、P-2JやP-3C、YS-11、PS-1/US-1など大型機を多く運用している海上自衛隊向けの練習機のため、KM-2は並列になっています。
そのため、ベースのT-34に対して、コクピット部分がキャビン型に大幅変更になっています。
1997年度をもって全機がリタイアしています。
もちろん海上自衛隊と幸田町には関わりはありませんが、何故ここに・・・


!?
これもなんだかすごいものがあります。
というか何これ?
小屋の中にヘリコプターが入れられ、しかも金網でガード!
保存状態は劣悪というおまけ付です・・・・
これはH-13H”ひばり”練習ヘリコプターです。
ボデーに書かれたとおり、「陸上自衛隊」で使われていました。
機体がオリーブドライブ色でなく青いのは・・・退色したから?


特徴的な胴体とテイル部分です。
骨組みと駆動系しかないというすさまじくシンプルな構造になっています。
さぞや軽いのでは?と思いますが、自重が750kgと意外にも重く、OH-6(670kg)よりも重かったりします。


うっすらどころか、かなり厚く砂埃をかぶってますし、座席の横のシールドが割れてるし・・・とかなり劣悪な状態です。
H-13ヘリコプターは民間ヘリコプターとして米国のベル社が開発した小型ヘリコプターで、初飛行はなんと昭和20年です。
自衛隊には保安隊時代の昭和29年に6機のH-13Eが引き渡され、昭和32年から昭和39年の間に川崎重工にてエンジン強化型の75機(H-13)がライセンス生産され、昭和57年頃まで陸上自衛隊にて運用されていました。
なお、もちろんH-13と幸田町には何のかかわりもありません。
幸田町教育委員会が自衛隊愛知地方連絡部(当時)から無償貸与されてここに展示してあるようです。
(その割りに状態が劣悪だぞ!)


退役機が地方の博物館や公園に展示してあることは結構あるので、納得できますが、これには驚きました。
なんと潜水艦”おやしお”(初代)のアンカー、スクリュ、もうひとつは・・・なんだろ?時鐘?です。
潜水艦”おやしお”(満載排水量1400トン)は、戦後初の国産潜水艦です。
昭和31年に建造計画が認められ、海上自衛隊の潜水艦建造がはじまりました。
帝国海軍の潜水艦技術をもとに、潜水艦”くろしお”(旧米国潜水艦のガトー級)を参考にして開発がすすめられました。
そのためか見た目は帝国海軍の伊号201潜に似てるとされます。
あくまで将来海上自衛隊が潜水艦を運用していくにあたっての潜水艦訓練用としての性格が強いため、航続距離や魚雷本数は低く設定してあったとされます。


”おやしお”(初代)のアンカーですが、まんまアンカーという形なのですね。
例えば潜水艦”ゆうしお”型のアンカーはこんな形になっています
それにしてもこんなに貴重なものがなぜこんなところに・・・・
貴重な展示物がいっぱい!!
ここはパラダイスですか?
いいえ、ケフィアです(笑)


これも驚きました。
展示看板がどこにもないので詳細は一切わかりません。
さすがにスケールやメジャーなんて持ち歩いてないので、手元にあった携帯電話の大きさで砲口を比べてみると、砲径は70~80ミリの間のサイズでした。
これも自衛隊の装備とすれば、このサイズだとM24戦車(75ミリ戦車砲)、M4A3(76ミリ戦車砲)、M41(76.2ミリ戦車砲)、75ミリ無反動砲M20、75ミリりゅう弾砲M1A1、75ミリ高射砲M51、護衛艦”あやなみ”型などに使われていた3インチ速射砲、護衛艦”あさぎり”型などに使われているOTOメララ76ミリ速射砲などがありますが、長さや形を見ると護衛艦の3インチ速射砲かM51高射砲だと思います。
(色がグレーにみえなくもないので3インチ速射砲の砲身でしょうか?)
ご存知の方、教えてください。
m(__)m

(後日展示物を細かく見てみると「防衛庁向け54口径3インチ砲」とありました。護衛艦のそうびですね。)


これにはド肝を抜かれました。
見たことがない火砲です。
説明の展示用看板を見ると105ミリ軽りゅう弾砲(右)と105ミリ無反動砲(左)とありました。
「105ミリ軽りゅう弾砲」聞いたことがない装備名です。
なんとこれ、2つとも試作品だそうですよ。
ということはムチャクチャ貴重なものじゃないですか!!


手前にあるのが105ミリ無反動砲(試作)です。
見た目は60式106ミリ無反動砲に酷似してますが、実はその通り。
説明によると60式106ミリ無反動砲や60式自走106ミリ無反動砲の設計のため、昭和31年に防衛庁技術研究本部が基礎設計資料を得る為に試作した砲なんだとか。
ちなみに射程は1000メートル。
短っ!(60式の最大射程は7700メートル)


奥にあるのが105ミリ軽りゅう弾砲です。
昭和32年度に防衛庁技術研究本部が研究設計して試作した火砲です。
この研究成果は74式戦車、61式戦車、74式自走105ミリりゅう弾砲などに反映されていると説明にありました。
105ミリりゅう弾砲といえば当時既に米軍供与の105ミリりゅう弾砲M2A1やライセンス生産品の58式がありますが、国産の新りゅう弾砲の開発をすすめてたのでしょうか?


・・・もうわけがわからなくなってきました。
ここ幸田町立郷土資料館は「郷土」の資料館です。
館内にはちゃんと「郷土」の貴重な展示物がありますが、屋外展示はいたって謎です。
KM-2練習機やH-13ヘリコプター、さらには試作火砲に潜水艦のアンカーと、どういうつながりがあるのかまったくわからなくなってきましたが、これも謎です。
蒸気機関車D-51の主動輪です。
昭和16年に製造されたD-51の611号車が昭和51年に用途廃止になったのですが、その主動輪なんだそうです。


F-86F邀撃戦闘機”旭光”です。
こちらはあちこちドロドロですが、状態は決して悪いというわけではありません。
再塗装したのか比較的綺麗です。
場所が大変狭いのでコンパクトデジカメでは機体全体を入れるのは大変難しいですね。


垂直尾翼には第3航空団第8飛行隊のマーク”鯱”が描かれています。
第8飛行隊は昭和35年に松島基地の4航空団隷下に編成され、その後小松基地の第6航空団に移動、さらにその後岩国の第82航空隊に移動し、昭和42年に小牧基地の第3航空団隷下になりました。
その後昭和53年に三沢に移動し、昭和54年にF-1支援戦闘機に機種改編しました。
さらに平成9年にF-4EJ改、平成21年にF-2に機種改編され現在に至ります。


本当はコクピットの中も覗きたかったのですが、コクピットに近づくための階段が閉鎖(腐っていて大変危険!)になっていてよくわかりませんでした。
アクセスパネルをむりやりこじあけたような跡があったりして、きっと悪戯もされてたんでしょうね。

F-86Fは航空自衛隊が初めて運用した戦闘機で、180機が米軍より供与され、また新三菱重工(当時)にて300機がライセンス生産されました。
ただしあまりにハイペースに導入されたため運用する側のパイロットや整備員の数が足りず、米軍供与のうち45機を返還しています。
長く邀撃戦闘機として、さらにF-104JやF-4EJといった新戦闘機導入後には支援戦闘機として運用され、昭和57年まで運用されました。
ちなみに映画「ゴジラ」(昭和29年)に登場していますが、航空自衛隊にF-86Fが到着したのは昭和30年なのでこれよりも早かったりします。

と、いろいろありましたが、野外展示に一貫性がなく、まったくの謎展示でした。
興味深いものがありますので一度ご覧になっては?


________________________________________________________________________________
幸田町立郷土資料館/展示物詳細1/展示物詳細2
Posted at 2009/08/22 22:47:07 | コメント(4) | トラックバック(0) | ミリタリー関係 | 日記
2009年08月10日 イイね!

18DDHの進水・命名式

18DDHの進水・命名式ちょっと遅れましたが、海上自衛隊のサイトに平成18年度護衛艦の進水式・命名式が今月21日に行われます。
http://www.mod.go.jp/msdf/formal/info/news/200908/080401.html
平成18年度護衛艦といえば18DDHですからヘリコプター搭載護衛艦”ひゅうが”型の2番艦ですね。
たぶん艦番号はDDH-182になるんでしょう。
さてどんな名前になるのかが凄く気になります。
”ひゅうが”は旧帝国海軍の航空戦艦”伊勢”級の2番艦"日向”を連想します。
前任のヘリコプター搭載護衛艦は”はるな”(戦艦”榛名”)、”ひえい”(戦艦”比叡”)、くらま(戦艦”鞍馬”)を連想しますが、しらねは戦艦の名前にはありません。

ということで・・・・私が勝手に可能性のある名前を予想してみました。
”ふそう”
”やましろ”
”いせ”
”つくば”
”いこま”
こんなとこでしょうか?
個人的には同じ航空戦艦の名前を引き継いで”いせ”がいいと思いますが、過去には姉妹艦の”はるな””ひえい”を同型艦に命名していることを考えて”いせ”に1票!
本命・・・”いせ”
対抗馬・・・”ふそう”
大穴・・・”つくば”

こんなとこでしょうか?
楽しみです。

ちなみに写真は同型艦の”ひゅうが”
Posted at 2009/08/10 22:18:39 | コメント(7) | トラックバック(0) | ミリタリー関係 | 日記
2009年06月20日 イイね!

よさみん

よさみん今日は先日に引き続き依佐美送信所にいってきました。
お友達のSL-35さんがなぜかあの鉄塔と直流発電機を気に入ってしまったようでしてw

こうしてじっくりみていくとやはり面白いです。
前回1回だけではよくわからなかった送信の仕組みなどもすこしづつ理解できましたし、ボランティア解説員の方のお話も伺えましたしね(^^)
Posted at 2009/06/21 00:16:19 | コメント(2) | トラックバック(0) | ミリタリー関係 | 日記
2009年06月06日 イイね!

依佐美送信所跡にいってきました

昨日のしとしと降り続いた雨もあがって良い天気!
ということでドライブがてらにここにいってきました。


愛知県刈谷市にある依佐美送信所記念館。
(写真がいがんでるとかってゆーな!w)


ここはかって依佐美送信所と巨大な空中線がありました。
終戦前までは欧州等に向けた短波・長波の送信施設として、戦後は米海軍の長波送信施設として長く重要な役割を果たしてきていました。


では今は記念館になっていますので中を見ていきましょう。

これが依佐美送信所のシンボルともいえる鉄塔の一部です。
長さは25米ですが、これは解体された鉄塔が展示保管用に残されたものです。
基部と塔頂部を接合させています。
解体前はこの鉄塔の高さは実に250米といいますからこの10倍もの長さだったわけです。
紅白に塗られていますが、これは戦後に航空機の障害物としてわかりやすくするために塗られたものです。
それまでは黒っぽい色だったとか。


依佐美送信所のダイオラマです。
紅白のポールのようなものが鉄塔で、これ1本が高さ250米もあり、実に8本の鉄塔が設置されていました。
写真ではわかりづらいですが、この鉄塔の塔頂部にはワイヤーのようなものが張られています。
これが空中線で超長波のアンテナになっています。
鉄塔は空中線を貼るためのものだったわけですね。


記念館の前景です。
送信所があった当時に似たレイアウトとなっています。
右側にみえる部屋は制御室です。
手前にあるのは主誘導電動機と主直流発電機、その奥は主直流電動機と高周波発電機。
その奥は高周波塞流線輪、高周波コイルとなっています。
発電所の中身かと思ってしまうほど中には巨大な電気設備が設置されています。


主誘導電動機と主直流発電機です。
外部の発電所から送られてくる交流電流をこの2つの電動機と発電機で直流電流に変換させます。
さらにこの電流で主直流電動機に送られ、高周波発電機を動かします。
ここで5.814kHzの超長波と500KWの大電力を作り出します。


高周波コイルです。
5.814kHzの超長波を周波数変更機で3倍の17.422kHzに変換してアンテナに送信します。
写真のコイルは最適な周波数を得るために調整するための設備です。




・・・書いていてなんですが電気や周波数のことはさっぱりわかりません(^^;
いつもと違っていかにもパンフに書いてありそうな文章なのはそういう理由だったりします。
(でも著作権のからみもあるので、いちおー参考程度にとどめてはいますけどね)



ここが米海軍の施設だったんだなとわかる象徴的なものがこれです。
米海軍のプレートですね。

依佐美送信所は欧州に向けて日本独自の通信手段を確保するために昭和2年に建設が始まり、昭和4年から運用されました。
それまでの日本の欧州への通信手段は欧米の所有する海底ケーブルに頼るほかありませんでした。

そこでつくられたのがこの依佐美送信所です。

大正14年に日本無線電信(後の電気興業)という国策会社がつくって管理を行い、逓信省(後の郵政省や電電公社となる通信を監督する省庁)が運用を行うことになりました。

長波の送信には大規模な設備が必要(らしい。よくしらんけど)ということでこのような巨大な送信施設になりましたが、竣工当時には既に大規模な設備が不要(みたいよ?よくしらんけど)な短波の技術が発達していました。

そこでこの通信所では維持運用コストを低く抑えるために主に短波の送信所としての役割を負っていました。
長波のほうはどちらかといえば短波を補完する役割だったようです。

が、長波の特徴として水中でも電波がある程度届くため、潜水艦への通信手段として注目を浴びました。
長波設備は大日本帝国海軍が運用を行っています。
昭和16年12月の日米戦争開戦となるハワイ作戦ではこの依佐美送信所からニイタカヤマノボレの暗号が送信されたといわれています。

終戦後占領軍に接収され、短波送信設備は撤去されましたが長波の送信設備に目をつけた米海軍が昭和27年から平成5年まで潜水艦用の通信手段として利用をしています。
設備は電気興業が受け継ぎ、運用は在日米海軍が行っていました。
平成6年に日本に返還され、解体となりました。


鉄塔の基部です。
この鉄塔は解体された鉄塔のうち1本のみを記念鉄塔として展示保管したもので、当時と同じ場所に立てられています。
250米にもなる鉄塔なので基部は非常に巨大と思いきや、実は細くなっています。
鉄塔そのものはこの基部で支えるのではなくワイヤーで支えています。
もしこの基部で支えようとしたらとんでもなく巨大になる上に風や地震にも弱かったでしょうね。


その基部の台座です。
球状になってるのは風などで鉄塔が揺られたときに荷重を一点でうけることで下の台座に荷重を均等に分散させるためとされています。
昭和19年12月の東南海地震(マグニチュード7.9で志摩半島沖を震央。この周辺の広い範囲で震度5だったようです)、昭和20年1月の三河地震(マグニチュード6.8の直下型で、隣の西尾市で震度6~7)、昭和34年の伊勢湾台風(名古屋で瞬間風速47.5米)など
この地域は何度も自然災害に襲われています。
しかしそれらにすべて耐えているのは驚くべきことですね。



こちらは塔頂部です。
250米にもなる高さの鉄塔ですので飛行機の障害になります。
そこで航空障害灯が設置されています。
子供の頃遠くから見た鉄塔はこの航空障害灯が赤く光っていました。

で、愛知に住んでるのになんで今更ここなんだって?
実は”やっちまい”ました。
というのもこの送信所記念館周辺はいわば地元圏内といってもいいぐらいなのですが、子供の頃からずっとあったので米海軍の施設だということはもちろん知っていたのですが、かなり遠くからも鉄塔が見えましたからもはや風景のひとつになってました。
あまりにフツーにあったので1回もまじまじと見たことが無かったんです。
学生時代に地元を離れたときに鉄塔を解体したということも聞いてたのですが、そのあと記念館になってたなんて知りませんでした。
なんという不覚orz

Posted at 2009/06/06 23:21:08 | コメント(5) | トラックバック(0) | ミリタリー関係 | 日記

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何シテル?   04/11 00:38
こんにちは。 アンチコと申します。 車はレガシィTWに乗ってます。 やっぱトランスフォーマーG1といえば「ロボット殺虫剤だって?」のあの人だよね~ ...
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