お盆休みが終わり、ユーウツな日々ですが、たまには気分を換えて部屋の掃除を・・・
と、そんなとき机の後ろからJウイ○グの付録(2003年9月号)の「全国保存機・展示機一覧完全ガイド」なるものが出てきました。
実は1回も読んでなかったりします(^^;
で、改めて読んでみると・・・・
幸田町立郷土資料館にF-86たKM-2、H-13ヘリコプターが展示されてる?
むっちゃ地元やん!
ていうか地元なのにこんな施設があったなんて知らなかった・・・・

ということで早速行ってきました。
看板が出てないのでカーナビがないときついです・・・・
いきなり出迎えてくれたのが・・・

!?
なんですかこれは・・・・
草ぼーぼーのところにぽつんとKM-2練習機が1機。
かなり異様な光景です。

近づいてみてみました。
風防は完全にくもっていますし、シールドも割れてます。
状態は極めて悪いですね。

KM-2練習機は富士重工がT-34メンター練習機をベースにして開発した練習機です。
海上自衛隊に採用され、小月基地の第201航空隊にて初等教育を行っていました。
航空自衛隊の練習機がタンデム複座なのに対して、P-2JやP-3C、YS-11、PS-1/US-1など大型機を多く運用している海上自衛隊向けの練習機のため、KM-2は並列になっています。
そのため、ベースのT-34に対して、コクピット部分がキャビン型に大幅変更になっています。
1997年度をもって全機がリタイアしています。
もちろん海上自衛隊と幸田町には関わりはありませんが、何故ここに・・・

!?
これもなんだかすごいものがあります。
というか何これ?
小屋の中にヘリコプターが入れられ、しかも金網でガード!
保存状態は劣悪というおまけ付です・・・・
これはH-13H”ひばり”練習ヘリコプターです。
ボデーに書かれたとおり、「陸上自衛隊」で使われていました。
機体がオリーブドライブ色でなく青いのは・・・退色したから?

特徴的な胴体とテイル部分です。
骨組みと駆動系しかないというすさまじくシンプルな構造になっています。
さぞや軽いのでは?と思いますが、自重が750kgと意外にも重く、OH-6(670kg)よりも重かったりします。

うっすらどころか、かなり厚く砂埃をかぶってますし、座席の横のシールドが割れてるし・・・とかなり劣悪な状態です。
H-13ヘリコプターは民間ヘリコプターとして米国のベル社が開発した小型ヘリコプターで、初飛行はなんと昭和20年です。
自衛隊には保安隊時代の昭和29年に6機のH-13Eが引き渡され、昭和32年から昭和39年の間に川崎重工にてエンジン強化型の75機(H-13)がライセンス生産され、昭和57年頃まで陸上自衛隊にて運用されていました。
なお、もちろんH-13と幸田町には何のかかわりもありません。
幸田町教育委員会が自衛隊愛知地方連絡部(当時)から無償貸与されてここに展示してあるようです。
(その割りに状態が劣悪だぞ!)

退役機が地方の博物館や公園に展示してあることは結構あるので、納得できますが、これには驚きました。
なんと潜水艦”おやしお”(初代)のアンカー、スクリュ、もうひとつは・・・なんだろ?時鐘?です。
潜水艦”おやしお”(満載排水量1400トン)は、戦後初の国産潜水艦です。
昭和31年に建造計画が認められ、海上自衛隊の潜水艦建造がはじまりました。
帝国海軍の潜水艦技術をもとに、潜水艦”くろしお”(旧米国潜水艦のガトー級)を参考にして開発がすすめられました。
そのためか見た目は帝国海軍の伊号201潜に似てるとされます。
あくまで将来海上自衛隊が潜水艦を運用していくにあたっての潜水艦訓練用としての性格が強いため、航続距離や魚雷本数は低く設定してあったとされます。

”おやしお”(初代)のアンカーですが、まんまアンカーという形なのですね。
例えば潜水艦”
ゆうしお”型のアンカーはこんな形になっています。
それにしてもこんなに貴重なものがなぜこんなところに・・・・
貴重な展示物がいっぱい!!
ここはパラダイスですか?
いいえ、ケフィアです(笑)

これも驚きました。
展示看板がどこにもないので詳細は一切わかりません。
さすがにスケールやメジャーなんて持ち歩いてないので、手元にあった携帯電話の大きさで砲口を比べてみると、砲径は70~80ミリの間のサイズでした。
これも自衛隊の装備とすれば、このサイズだとM24戦車(75ミリ戦車砲)、M4A3(76ミリ戦車砲)、M41(76.2ミリ戦車砲)、75ミリ無反動砲M20、75ミリりゅう弾砲M1A1、75ミリ高射砲M51、護衛艦”あやなみ”型などに使われていた3インチ速射砲、護衛艦”あさぎり”型などに使われているOTOメララ76ミリ速射砲などがありますが、長さや形を見ると護衛艦の3インチ速射砲かM51高射砲だと思います。
(色がグレーにみえなくもないので3インチ速射砲の砲身でしょうか?)
ご存知の方、教えてください。
m(__)m
(後日展示物を細かく見てみると「防衛庁向け54口径3インチ砲」とありました。護衛艦のそうびですね。)

これにはド肝を抜かれました。
見たことがない火砲です。
説明の展示用看板を見ると105ミリ軽りゅう弾砲(右)と105ミリ無反動砲(左)とありました。
「105ミリ軽りゅう弾砲」聞いたことがない装備名です。
なんとこれ、2つとも試作品だそうですよ。
ということはムチャクチャ貴重なものじゃないですか!!

手前にあるのが105ミリ無反動砲(試作)です。
見た目は60式106ミリ無反動砲に酷似してますが、実はその通り。
説明によると60式106ミリ無反動砲や60式自走106ミリ無反動砲の設計のため、昭和31年に防衛庁技術研究本部が基礎設計資料を得る為に試作した砲なんだとか。
ちなみに射程は1000メートル。
短っ!(60式の最大射程は7700メートル)

奥にあるのが105ミリ軽りゅう弾砲です。
昭和32年度に防衛庁技術研究本部が研究設計して試作した火砲です。
この研究成果は74式戦車、61式戦車、74式自走105ミリりゅう弾砲などに反映されていると説明にありました。
105ミリりゅう弾砲といえば当時既に米軍供与の105ミリりゅう弾砲M2A1やライセンス生産品の58式がありますが、国産の新りゅう弾砲の開発をすすめてたのでしょうか?

・・・もうわけがわからなくなってきました。
ここ幸田町立郷土資料館は「郷土」の資料館です。
館内にはちゃんと「郷土」の貴重な展示物がありますが、屋外展示はいたって謎です。
KM-2練習機やH-13ヘリコプター、さらには試作火砲に潜水艦のアンカーと、どういうつながりがあるのかまったくわからなくなってきましたが、これも謎です。
蒸気機関車D-51の主動輪です。
昭和16年に製造されたD-51の611号車が昭和51年に用途廃止になったのですが、その主動輪なんだそうです。

F-86F邀撃戦闘機”旭光”です。
こちらはあちこちドロドロですが、状態は決して悪いというわけではありません。
再塗装したのか比較的綺麗です。
場所が大変狭いのでコンパクトデジカメでは機体全体を入れるのは大変難しいですね。

垂直尾翼には第3航空団第8飛行隊のマーク”鯱”が描かれています。
第8飛行隊は昭和35年に松島基地の4航空団隷下に編成され、その後小松基地の第6航空団に移動、さらにその後岩国の第82航空隊に移動し、昭和42年に小牧基地の第3航空団隷下になりました。
その後昭和53年に三沢に移動し、昭和54年にF-1支援戦闘機に機種改編しました。
さらに平成9年にF-4EJ改、平成21年にF-2に機種改編され現在に至ります。

本当はコクピットの中も覗きたかったのですが、コクピットに近づくための階段が閉鎖(腐っていて大変危険!)になっていてよくわかりませんでした。
アクセスパネルをむりやりこじあけたような跡があったりして、きっと悪戯もされてたんでしょうね。
F-86Fは航空自衛隊が初めて運用した戦闘機で、180機が米軍より供与され、また新三菱重工(当時)にて300機がライセンス生産されました。
ただしあまりにハイペースに導入されたため運用する側のパイロットや整備員の数が足りず、米軍供与のうち45機を返還しています。
長く邀撃戦闘機として、さらにF-104JやF-4EJといった新戦闘機導入後には支援戦闘機として運用され、昭和57年まで運用されました。
ちなみに映画「ゴジラ」(昭和29年)に登場していますが、航空自衛隊にF-86Fが到着したのは昭和30年なのでこれよりも早かったりします。
と、いろいろありましたが、野外展示に一貫性がなく、まったくの謎展示でした。
興味深いものがありますので一度ご覧になっては?
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幸田町立郷土資料館/
展示物詳細1/
展示物詳細2