数年前のゴールデンウイークに広島方面に旅行に行ったのですが、広島県江田島にある海上自衛隊基地を見学してきました。
江田島基地には「教育参考館」という施設があって、先輩になる大日本帝国海軍のあゆみや戦争で戦った方々の遺品などが展示されています。
(教育参考館横に展示されていた特殊潜航艇”甲標的”。この超小型潜水艦も真珠湾に突入していきました)
そこには散られた方々の多くの遺品、遺書が展示されていました。
そのあまりに重過ぎる手紙1枚1枚を読んでいくにはあまりにも悲しく、あまりにも辛いものがあります。
死について覚悟をされていたのか、全く迷いも曇りもない実に力強い文字や母へ別れを告げる手紙など様々です。
国を守ろうとして特攻で散られた多くの方々がいるおかげで、敗れて目覚め、今の繁栄があるのです。
私もその繁栄の中で生まれた日本人の一人なのですからこの遺書について全て一語一句読む必要があると思いますが、まだまだとてもそんな器ではありません。
またここを訪れ全てを読もうと思いました。
(呉の大和ミュージアムに展示してある零戦三二型)
その後、呉にある海軍墓地に参拝にいきました。

見渡す限りの慰霊碑の数々は言葉で表すことが出来ません。
この墓地は海軍の墓地ということで、主に艦艇で殉職された方々の慰霊碑が置かれていますが、こんなにも多くの命が失われたのかとあらためて知らされました。
次の日は岩国基地で航空ショーを見学してきました。

日章旗と星条旗をはためかせたパラシュート隊員が降下して航空ショーに華を添えたわけですが、拍手で迎える大勢の観客、日本と米国の旗を見ると60数年前までとても凄惨な戦いを繰り広げていた敵国同士とは思えません。
お互い、自分の国を守るため砲火を交えていた国同士が今では手を取り合って航空ショーを祝っている。
「これが平和なんだな」
とても印象的に感じました。
大勢の方々の犠牲のもとで作り上げていった平和や信頼関係。
こんな何よりも代えがたい尊いものをいつまでも維持していく努力、大切ですね。
さて、今日は12月8日です。
タイトルの「フジサンノボレ」
これは「ニイタカヤマノボレ」のパロディではありません。
昭和16年11月21日に聯合艦隊旗艦”長門”から発せられた暗号電文です。
日米の緊張が極度に高まり、日米交渉をすすめていましたが完全に行き詰まり、もはや日米開戦は確実になったことを意味します。
これをもって帝国海軍の機動部隊は択捉島にある単冠湾(「ひとかっぷわん」とよみます)に23日に集まって、26日に機動部隊が実に3500浬も離れたハワイに向けて出撃することになります。
ハワイ作戦がこうして始まったわけです。
12月2日にかの有名な「ニイタカヤマノボレ一二〇八」の開戦命令が下され、12月8日に機動部隊から攻撃部隊が、潜水艦からは特殊潜航艇が真珠湾に突入していきました。
こうして太平洋での日米戦争が始まったわけです。
私たち日本人にとっては決して忘れてはいけない日ですね。
この日は
1)日米の戦争について風化しないよう語り継いでいく
2)平和の大切さを考える
3)感情論ぬきでなぜ戦争に至ってしまったのかを考える
4)感情論抜きで平和や戦争について考える
について考えていくよい機会ではないでしょうか。
あえて「感情論ぬきで」としたのは理由があります。
感情論を入れてしまうと見えなくなってしまうからです。
「戦争は嫌だ」「戦争反対」
ここで終わってしまっては何の意味もありません。
戦争は嫌なものなのは当たり前。
でも平和は願ったり祈ったりすればかなうものではありません。
ただ祈るだけで戦争が回避できるなら人類の歴史から戦争という言葉は登場しなかったでしょう。
平和を維持していくには努力とそれに至る理論が必要です。
ときにはこちらが望まなくても戦争に巻き込まれることは多々あります。
そうなる前にどのような努力をすべきか、どうしたらリスクを減らせるか。
不幸にして戦争になったらどうやって被害を抑えるか。
「戦争反対」「平和が一番」で思考停止してそこから先を考えることをやめてしてしまうことが一番平和の危機になることだと思います。
国を動かすのは政治家であり、それを選ぶ意思決定は国民です。
この記事は、
ニイタカヤマノボレ1208・・・について書いています。
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この記事は8日の午前0時過ぎを狙って書いたのですが、手違いで消してしまいました・・
Posted at 2010/12/08 23:00:04 | |
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