お盆休み、家でグダグダしてるのもいいですが、どうせならということで美ら島にいってきました。
バカンスもいいですもんね♪
あ、今回はミリタリー目的ではなくカンペキに観光です(^^;

ということで中部国際空港です。
若干空に雲がありますが、大丈夫でしょう。
今回搭乗したのはJALのボーイング777-200機。
だいたい2時間ぐらいです。
知ってます?
最近の座席には戦術情報表示ディスプレイみたいなのがついていて、機位・対地速度・高度・目標までの距離・予想時間が表示されるんですよ。
(文字フォントが妙に中国語っぽかったのが気になりましたが・・・・しかも情報は英語でしたし)
まったくどうでもいい話ですが、私は飛行機は怖くないものの超がつくほど高所恐怖症です。
緊張しまくって気分が悪くなりまくりました(^^;
着陸よりも離陸して上昇中のときが気分悪くなりますね。
さあ着陸・・・・・那覇の天気は?

オォゥ・・・・・
低気圧の関係で雨です。
もしかして・・・すごい雨男?
とりあえず昼ごはんに名物沖縄そばを食べました。
う~ん・・・・
かなりソバにクセがあるので好き嫌い分かれそうですね(^^;
私はちょっと苦手かも。
ソバというよりは中華麺に近いかも。
といっても中華麺のようなツルツルした感じではなく、表面と食感は普通のソバと似た感じ。
お昼を食べた後は空港内をぶらぶら探索。

3Fの見学者デッキからは偶然南西航空混成団第83航空隊のF-15J邀撃戦闘機の離陸を見ることができました。
航空自衛隊那覇基地は空港と隣接してるために、離着陸する民間機のためにかなりの時間ホールドされていました。
ちなみに湿度が高く、カメラのレンズが曇ってしまって数枚しか写してません・・・・
さて、レンタカーを借りに行きましょう。
沖縄は鉄道が空港と首里をむすぶゆいレール約13キロの路線しかなく、交通は自動車がメインです。
今回はレンタカーを借りてこれで移動します。
借りたのは・・・・

マツダ・デミオです。
小型ですがキビキビ走りますし、いい車ですよ。
沖縄は観光客が多いですが鉄道がないこともあってレンタカーがムチャクチャ多いです。
印象としては街を走る3台に1台の割合でレンタカーじゃないかってぐらいそこらじゅう走ってます。
その中でも人気なのは小型のフィットとデミオ。
特にデミオは本当に多いですね。
小回りがきいてキビキビはしるのでオススメです。
トヨタのレンタカーは比較的少なかったですね。
意外にもヒュンダイのレンタカーが結構な数走っています。
・・・・が、今回借りたデミオのカーナビ(インダッシュだったなあ)は恐ろしくオバカ。
まっすぐの道なのになぜか交差点で左折させ、さらに右折して元の道に戻らせたり、どうみても200メートル近くあるのに100メートル、100メートルぐらいあるはずなのに50メートルと表示されたり数値の表示速度が変でツーテンポほど遅かったりでかなり苦労しました。

那覇空港から糸満方面に向かいました。
豊見城市の町並みです。
沖縄のドライバーは皆さん本当にマナーがいいですし、殺気だってません。
右折などでは赤信号で確実に止まりますし、合流ではちゃんといれてくれます。
驚いたのは皆さん法定速度をちゃんと守るんですよ。
愛知では大きな道路だと法定速度+10~15キロは当たり前で、法定速度で走ったら煽られたり、ムリな追い越しされるなんてザラですが今回はそんなこと1回もありませんでした。
その上法定速度も低く抑えられています。
50キロ制限だと思って標識をみてみると40キロだったりします。
観光客はどうしても道がわからず、運転速度も低速になりますが、これはとてもありがたいですね。
逆にとばしまくってるレンタカーを何台か見たぞ。
ただ、愛知並みに路上駐車は多いぞ。

さてつきました。
まずは海軍司令壕公園です。
ここには沖縄戦にて使われた大日本帝国海軍司令部壕跡があります。
沖縄は大東亜戦争では大規模な地上戦となりました。
米国はまだ日米緊張段階にはない1900年代初期に対日戦構想「オレンジ計画」を立案していました。
日本と戦争をした場合、最終的には沖縄を足がかりにして本土上陸へとすすむプランです。
昭和16年に日本が米英と戦争状態に入りますがサイパン、グアム、南方の島々やフィリッピンが陥落すると昭和20年春、いよいよ沖縄戦へと突入します。
わが国は陸軍第32軍など約11万6000人、連合軍は第10軍など約54万8000人。
規模で既に4倍の差がありますが、航空優勢をにぎられ、さらに沖縄周辺には大量の連合軍艦艇の砲撃があったわけですから恐ろしいほどの激烈な戦いだったのでしょう。
写真は海軍壕公園にある戦没者慰霊之塔です。

戦没者慰霊塔にあった主錨。
沖縄は国内最大の地上戦になりましたが、沖縄を守ろうと陸軍だけでなく海軍も戦いに参加しています。
戦艦大和が沖縄沖で撃沈されたのも沖縄を守るため沖縄の浜辺に乗り上げて陸上砲台となるべく水上特攻(菊水1号作戦)をかけたからです。
陸戦隊や海軍航空隊などが参加し、多くが犠牲となりました。

海軍司令部壕の内部。
海軍司令部壕は小禄飛行場を見下ろす74高地に設営され、沖縄防衛戦では司令部として使われました。
ツルハシなどで実に数百メートルもの坑道を設置し、ここを海軍将兵が拠点としていました。
現在では一部が開放されて見学ができるようになっています。
写真のように壕内はコンクリート、部屋は漆喰で補強されています。
地下水(?)がこぼれおち、あまり広いとはいえない構内には4000名もの将兵が集まることもあったようで、狭い兵員室では立ったまま睡眠をとることもあったようです。
狭い壕内に大勢の兵員、さらに高い湿度など非常に劣悪な環境だったでしょうからさぞ凄惨な状態だったと思います。
兵員室や医務室(と思われる部屋)には散られた将兵を思ってのことでしょう、賽銭がみられました。
この奥には幕僚室や司令室がありますが、手りゅう弾で自決した祭の壁の破損跡が生々しく刻まれていました。
海軍司令部壕では大田実中将(自決後昇進)が指揮を執っていましたが、圧倒的な兵力差、武器も弾薬もない絶望状態の中で3月半ばからはじまった小禄地区の戦闘は大田中将が自決する6月13日まで実に2ヵ月半もの激戦となりました。
大田実中将が海軍次官にあてた通信はあまりにも有名ですね。
「沖縄県民斯ク戦ヘリ、県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」

こちらは巌部隊(南西諸島航空隊)の戦没者碑です。
小禄飛行場を拠点としていた部隊で、小禄飛行場とは今の那覇飛行場にあたります。
ちなみにみやげ物として”回天”の模型やキ-43(特攻隊版)の模型が売られていたのですが、正直複雑な気分でした。
記念に、おみやげに・・・と特攻隊の方々が乗り込まれた特攻兵器を軽々しく買う気にはとてもなりませんでした。

さて、海軍壕公園から糸満市方面に車を走らせると平和祈念公園があります。
そこから太平洋を見るとこんなかんじです。
実に沖縄らしい青い海ですが、天候不良のためちょっと荒れてますね。

こちらは平和祈念公園内にある平和への礎です。
沖縄戦で犠牲になった方々の名前を刻んだ記念碑です。
無数の石板を見ると24万人もの犠牲の大きさに驚きます。

沖縄の戦後はまだ続いてるんだなと感じるのがこれ。
資料館内に展示されてる不発弾です。
大きいのは250キロ爆弾ですね。
沖縄は小銃弾のような小さなものも含めて平成19年には1万9557発が陸自の不発弾処理隊が処分を実施しています。
ところで記念資料館のほうですが・・・・
やはり噂で「議論がある」と聞いていましたがなるほどなぁ・・・と感じました。
(資料の出所や紹介されてる政党・政治結社が非常に限られている点などにも伺えます)
詳細は書きませんが、沖縄でごく一部の人に自衛隊に対して嫌悪感や自衛隊員の子供に対してイジメがあるなどといった問題が報じられていましたが、展示内容を見ると特定の思想を持ってない人でもそうなるんだろうなという気がしました。
「平和」を祈ることは特定の「思想」を入れることじゃないと思いますよ。
さて、本当はひめゆりの塔や喜屋武岬、斎場御嶽もみてまわりたかったのですが、時間もなかったので首里にいきました。
沖縄といえば・・・・
やはりシンボルは首里城ですよね。
あ、そうそう。
沖縄はとてもクルマで走りやすいのですが、非常に悩むのが地名です。
上で出てきた斎場御嶽って読めます?
「せいふーうたき」って読むんですよ。
ほかに「北谷」は「ちゃたん」と読んだりするのでひじょ~に読み方が難しいです。
カーナビでは住所や施設名検索よりも最寄の電話番号検索が非常に重宝します。

糸満から507号線を那覇方面に向かうと首里城公園につきます。
首里城といえばやはりシンボルの守礼之門ですね。
日本本土の城郭の門と比べるとずいぶん違います。
朱色に塗られ、中国文化の影響を受けていることを伺えます。
16世紀につくられたようで、沖縄戦で破壊された後昭和33年に復元しました。

こちらは歓会門です。
門の上に櫓が立っている独特のつくりで、左右に狛犬のようにシーサが配置されています。

歓会門にあるシーサ。
いわゆる獅子のことで、沖縄弁から「シーサ」とよばれるようになったようです。
魔よけとして沖縄ではあちこちでみることができます。

瑞泉門です。
歓会門をくぐって石段を登るとこれがあらわれます。
なんでも門の右側にあった湧き水から名前をつけたのだとか。

正殿です。
朱色に塗られ、実に鮮やかですが、塗装修理中でした(^^;
ここは琉球王朝で政治・御嶽信仰の中心として機能していました。

正殿横の南殿です。
この中は資料室になっていて琉球王朝について知ることができます。
写真ではものすごく空が暗くなっていますが、この写真を撮った後、猛烈な豪雨にみまわれました(涙)

首里城の城郭です。
やはりよく知ってる日本本土の城郭とはずいぶん異なりますね。
中国文化の影響をうけているようです。
さて首里城でおみやげ物を買って、この日は宿にいくことにしました。
宿は首里にある結構大きなホテル(このへんのホテルはみな大きいですが)です。
これは立派・・・・だとおもったのですが、いろいろ残念な部分も。

ホテルの部屋のテレビのリモコンです。
テレビは日本製の液晶大型テレビなので当然デジタルだろうと思ったら実はアナログ。
それはともかく、このリモコン、よ~くみてください。
「チャソネル」?
どこのメーカーよ?
ついでに言えば、テレビとリモコン受信部の接触が悪く、音が出なかったぞ!

ホテルから見た那覇の夜景。
こうしてみるとあまり高い建物はないですね。
住宅も家屋というより鉄筋コンクリの建物や集合住宅が目立ちました。
夜景なのでよくわかりませんが、住宅の屋根に水タンクが設置されているものが多かったですね。
沖縄は降水量が多いものの、さんご礁でできた島なので水はけがよく、すぐに海に流れてしまうのだとか。
また雨はまとまって降るので降らないときの貯水量がガンと減る上に多くの観光客が来沖するため水が足りなくなり、断水や水道制限がちょくちょくあるのだとか。
そのためにも各自で貯水するようになったそうです。
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