ほんの1ヶ月前が衣替えで半月前まで普通に長袖の人がいたなんて信じられないような猛暑が続く6月も今日で終わりです。
今年の上半期が終わったわけですが、まさか未曾有の惨事がこれほど大規模に東北を襲って現在進行形で続くなんて年が明けたときには思っても見ませんでした。
もしあの方がご存命だったらやっぱり松島基地で慰問をされていたんだろうなと思います。
その方とは吉永光里さんです。
シンガーソングライターとして活躍されていましたが特に自衛隊との親交が深く、ブルーインパルスのイメージソングを作られています。
ここ数年は自衛隊もテレビなどに登場するようになって芸能人が話題づくりのために自衛隊駐屯地や基地にいくことがありますが、吉永さんは全く違います。
朝雲新聞に部隊の訪問記を連載され、全国の約180もの基地や駐屯地などを訪問しています。
空挺レンジャーの訓練に同行してヘビの調理を体験したり、AH-1S対戦車ヘリコプターに搭乗したりするなど、まず普通芸能人では経験しないことをされています。

T-2時代のブルーインパルスに実際に搭乗され、アクロバット飛行を経験されています。
今でこそジェット戦闘機に有名人が乗って話題になることがありますが、その当時はネットが普及する前でしたし、今ほど自衛隊に対しての世間の認知もなかった頃です。
もちろん私は射出座席がついた飛行機に乗って飛んだことは1度もないですが、テレビなどの映像でパイロットの息遣いを聞くだけでもかなりキツイものがあるのは容易に想像できます。
・・・が、吉永さんが経験したのは50分ものアクロ飛行です(汗)
すごい方ですね。
そのとき作られたのがこれ
T-2ブルーインパルス公式イメージソング「BLUE」です。
まだ8センチシングルCDだった時代です。
懐かしいですね。

もちろん当時高校生だった私も発売当日にCDショップを探し回って手に入れました。
この歌を聴くとT-2ブルーインパルスを思い出します。
B面に収録されていた「STAY」という曲も私は大好きでしたね。
「もう一度時計を戻すことできても同じこの星の同じこの場所で同じ貴方に会いたい」という一説があるんですが、整備員が遅くまで機体を磨いてる姿に声をかけたら「これ僕の飛行機ですから」と笑顔で答えたんだそうです。
それがヒントになって空自のいろんな方々に会うことが出来てとてもよかった、神様が時間を戻すことが
できてもまたこの人たちにこの場所で会いたい
という意味が込められているそうです。
吉永さんでなければ書けない歌詞ですね。

その後ブルーインパルスがT-4にバトンタッチされますが、そのときもイメージソングをつくられています。
それがこの
「PARADISE」です。
航空祭でも売っていましたので買われた方も多かったかもしれませんね。
基地イベントでも自衛隊音楽隊と一緒にミニコンサートもされていました。
私が拝見したのは1回だけでしたが、岐阜基地航空祭でも格納庫の中で行われたミニコンサートはよかったですね。

そのほかにも防衛大学校行進曲や陸自のイメージソング、飛行開発実験団のイメージソングを作られていましたし、本も出されています。

「汗と泥にかがやいて」
巷に売られている自衛隊本はどれも「装備図鑑」や装備の紹介ですが、そういう類のものではなく吉永さんの目を通した自衛隊紹介とそれについての思いや感想をつづられているわけです。
舞鶴で旧帝国海軍の佐久間艇長の遺書(実はこの本で第6潜水艇事故を知りました)を読んで教本になってると知り英国まで見に行ったことや硫黄島のお土産でもらった唐辛子(自生してるみたいですね)がものすごく辛かったというものや沖縄での「差別」に苦しんでる隊員についてや、観閲式のとき整列してる自衛官を前に細○首相(当時)が「軍縮が私の仕事だ」と首を切ることをこの場で言うのはどうなのよなど、ありふれた自衛隊本とは違って部隊や基地を訪問してそれで感じたことを書いていますのでとても新鮮で面白く、なるほどなと考えさせられる本です。
14年前に発売された本なのでもう見ることが出来ないかもしれませんね。
吉永さんが亡くなられて6年になりますがご存命なら東北で心身ともに過酷な任務に従事されてる方々に慰問されていたかもしれませんね。
Posted at 2011/06/30 23:49:04 | |
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音楽 | 日記